理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)Brain Science Institute



Cruising Inside Cells

先端技術開発センター
細胞機能探索技術開発チーム
チームリーダー 宮脇敦史


 細胞の中を動き回る生体分子の挙動を追跡しながら、ふと大洋を泳ぐクジラの群を想い起こす。クジラの回遊を人工衛星で追うアルゴスシステムのことである。背びれに電波発信器を装着したクジラを海に戻す時、なんとかクジラが自分の種の群に戻ってくれることをスタッフは願う。今でこそ小型化された発信器だが昔はこれが大きかった。やっかいなものをぶら下げた奴と、仲間から警戒され仲間外れにされてしまう危険があった。クジラの回遊が潮の流れや餌となる小魚の群とどう関わっているのか、種の異なるクジラの群の間にどのような interaction があるのか。捕鯨の時代を超えて、人間は海の同胞の真の姿を理解しようと試みてきた。

cameleon
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図1GFPとcalmodulinをベースに開発されたカルシウム指示薬、cameleon。
カルシウムイオン依存的に donor と acceptor の
相対的位置が変化して、donor から acceptor への蛍光のエネルギー移動の量が変わる。
-  細胞のイメージング実験において、電波発信器の代わりに活躍するのが蛍光プローブである。生体分子の特定部位に蛍光プローブをラベルし細胞内に帰してやれば、外界の刺激に伴って生体分子が踊ったり走ったりする様が実時間で可視化できる。蛍光は物理現象であるから、その特性を活かせば様々な情報を抽出できる。例えば、ある蛍光分子ドナー(エネルギー供与体)の励起エネルギーがアクセプター(エネルギー受容体)へ移動する現象(蛍光のエネルギー移動)は、ドナーとアクセプター間の距離および向きに依存するので、これを利用して生体分子間の相互作用や生体分子の構造変化を観ることができる。蛍光のエネルギー移動に限らず、蛍光の偏光、消光、退色、光異性化反応など、あらゆる特性が活用できる。
 特定の外界刺激を受けて、細胞内では特定のカスケード反応が起こり、細胞の分化、移動、分裂などの現象が具現化される。こうした細胞内のシグナル伝達に関わる分子は数多く同定され、それらの上位、下位関係(ヒエラルキー)が明らかにされてきた。酵素反応、分子間相互作用を表すべく分子と分子を矢印で結んだシグナル伝達経路図を頻繁に見かけるようになった。
 しかしシグナル伝達系を包括的に理解するためには、ここに空間の3軸と時間軸を導入しなければならない。各事象が空間的、時間的に巧妙に制御されているからだ。百万個以上の細胞をすりつぶして調製した試料を電気泳動にかけるといった生化学的方法は、そうした時空間的スケールを無視している。満足のいく理解は得られない。生きた細胞1個1個において実時間で事象を観察する技術、いわゆる real-time and single-cell imaging 技術が必要である。


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図2cameleonを用いて観察されたHeLa 細胞の細胞質カルシウム濃度の時間的変化。外界情報(ヒスタミン刺激)がカルシウム振動の振幅および頻度としてコードされる。
-  細胞内セカンドメッセンジャーの一つ、カルシウムイオンの細胞内濃度測定技術の進歩を振り返ってみよう。蛍光のカルシウム指示薬が開発され、その信号を画像化し定量的に評価する技術が発達したおかげで、カルシウム振動やカルシウム波などカルシウム濃度の時空間的な動的変化が細胞の諸機能を生み出すことがわかってきた。
 シグナル伝達系の分子ネットワークには、下位から上位へのフィードバック機構が働いている。他の伝達系との interaction もある。それゆえに、生物現象は科学者のいわば恣意的な行為に対し、時に予測不可能な展開を見せることがある。例えばある分子種を過剰に発現させたり、あるいは欠損させる実験でも、その分子種の下流だけではなく、やはり伝達系全体の振るまいを可視化することが重要である。

 そこで私たちは、細胞内の様々な事象が、いつ、どこで、どの程度(すなわち定量的に)起こるのかを把握できる贅沢なイメージング技術の開発を目指している。ポストゲノムプロジェクトを云々するに、単に要素還元論に全体論を対置するのではなく、より実際的な意味において、細胞内シグナル伝達系を記述するための同時観測可能なパラメータをどんどん増やす試みが重要であると思う。
 イメージング技術の開発は artifact との闘いでもある。クジラの電波発信器ではないが、蛍光プローブが大きすぎると元々の生体分子の振るまいが変わってしまう危険がある。現在、殊に細胞生物学の領域で利用されている Green Fluorescent Protein(GFP)は、238個のアミノ酸から成る蛋白質である。何ら補因子を必要とすることなく自ら蛍光を発するために重宝されているが、決して小さなプローブとは言い難い。GFP でラベルすることで生じる artifact はもっと慎重に検討すべきである。
 また、あるリガンドによって構造変化を起こして活性化する酵素を想定しよう。構造変化を蛍光の信号変化に変換し、そのリガンドの蛍光指示薬を作製するとしよう。どんな場合でもそうであるが、指示薬の過剰な細胞内導入は問題を生む。まず、その酵素反応を過剰に増やす危険をはらむ。かといって、指示薬のリガンド依存性構造変化を保持したまま酵素活性のみを殺すと、リガンドが指示薬に食われる、つまり緩衝が問題となる。
 このように外来性の蛍光プローブを導入する限り、観る細胞を多かれ少なかれ perturb してしまうのである。マッハの感覚論ではないが、物事の真の姿を100%完璧に把握するなんてことはそもそも不可能である、という認識が必要である。そう開き直った上で、真の理解に近づくよう奮闘すればよいのである。

 脳を研究する者としての最終的な目標は何ですかと問われて、シナプスの可塑性や神経の発生分化、老化の何々などという具体的な答えはあえて掲げないようにしている。脳神経系の生物現象に関する仮説の検証のための技術開発もなくはないが、発足したばかりの私たちは、今はより幅広く柔軟なほうがいい。懐を広くして、細胞のもつ柔らかさの実体を追究しようと思う。入力(刺激)に対する出力(反応)の比を自動的に制御する細胞の心をつかんでみたい。
 超ミクロ決死隊を結成し、微小管の上をジェットコースターのように滑走したり、核移行シグナルの旗を掲げてクロマチンのジャングルに潜り込んだりして細胞の中をクルージングする、そんな adventurous な遊び心をもちたいと思う。大切なのは科学の力を総動員することと、想像力をたくましくすること。そして whale watching を楽しむような心のゆとりが serendipitous な発見を引き寄せるのだと信じている。
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図3cameleonを用いて観察されたHeLa 細胞の細胞質カルシウム濃度の空間的変化。
カルシウム濃度上昇がどの部位で最初に起こり、どのように広がっていくかが問題となる。

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