理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



分子の働きを通して神経機能をとらえる

細胞内情報研究チーム
チームリーダー 矢野良治

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図1 小脳プルキンエ細胞



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図2 小脳プルキンエ細胞とそのシナプス

生物の体は、蛋白質、核酸、脂質などの分子から作られています。もちろん脳や脊髄などの神経系もこれらの分子から成り立っており、記憶・学習や認識などのいわゆる高次な機能も分子の働きによって実現しています。従って、分子の働きを理解することによって、脳・神経系で行われる高次機能の仕組みを明らかにしていくことができます。
 脳・神経系では神経細胞がつながって神経回路を構成し、情報処理を行っています。従って、それぞれの神経回路の特性はそれを構成している神経細胞の特性によって決定されています。例えば、記憶・学習など神経回路網における情報処理の可塑的な変化が起こるのは、それぞれの神経細胞で情報伝達の効率を変化させるように特性が変わることによるといえます。では、このような神経細胞における情報処理の特性を決めている分子機構は一体どのようなものでしょう。これまで、生化学・分子生物学などの手法を用いて脳神経系で働いている様々な分子が同定され機能が調べられてきました。特に、近年の分子生物学の手法の発展により、細胞内部での情報伝達の分子機構が少しずつ明らかとなってきています。これまでの結果から、細胞内部での情報伝達が主として近接した分子同士が情報の受け渡しを行うことによって支えられ、情報処理を集中して行うために多くの種類の分子が集合した機能分区(ドメイン)が存在していることが分かってきました。細胞内部では、異なった分子構成と働きを持った様々なドメインがところどころに形成され、それらの間で情報や分子のやりとりがなされることによって細胞全体の構造及び機能が維持されています。
 神経細胞では特にこれらの機能ドメインの発達が著しく、それによって複雑な情報処理が行われています。図1には、脳の中でも特に大きな神経細胞である小脳のプルキンエ細胞の写真を示しましたが、神経細胞はこのように大きく分けて樹状突起、細胞体と神経線維から構成されています。神経細胞は樹状突起で情報を受け取り、細胞体などを通してその処理を行った後に神経線維を通して次の細胞へと情報を伝えます。これらの樹状突起、細胞体、神経線維はそれぞれが大きな機能ドメインと考えられますが、それぞれはもっと小さなドメインから成り立っています。これらのドメインのうち、シナプス後構造と呼ばれるものが近年注目を浴びています。
 神経細胞は、神経回路の中の前の神経細胞から伸びてきた神経線維と樹状突起においてシナプスを形成し情報を受け取ります。神経細胞内部では情報は膜電位の変化をもとにした電気的な信号によって伝えられますが、シナプスでは神経細胞同士が直接結合せず、シナプス間隙と呼ばれる隙間が存在します。ここでは電気的な信号はいったん化学的な分子の信号(神経伝達物質)に置き換えられ、シナプス後細胞へと伝えられます。このとき、シナプス前構造では伝達物質の放出のために、また、シナプス後構造では伝達物質を受け取るためにそれぞれ特異的な機構が働いています。
 図2はプルキンエ細胞の樹状突起の一部を拡大したもので、多数の小さな突起が観察できます。これが神経棘(スパイン)と呼ばれるもので、ここでプルキンエ細胞はシナプス前細胞からの情報を受け取ります。ひとつの細胞に10〜20万個のスパインが存在し、そこで受け取られた情報が細胞の中で処理されます。このスパインの中にシナプス後構造が形成され、情報の受け取り及び細胞内への伝達を行っています。この部分をさらに電子顕微鏡を使って拡大してみると、図3に示したように特徴的な構造が観察されます。
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図3 シナプスの微細構造(電子顕微鏡写真)


--  シナプス前構造で特徴的なのは球状の小胞体で、この中に神経伝達物質が蓄積され神経線維を伝わってきた電気信号に応じてシナプス間隙へと放出されます。シナプス後構造には黒く密度の高い部分がありますが、これはシナプス後肥厚部(PSD:post synaptic density)と呼ばれるもので、これが神経伝達物質の情報を受け取る中心的な構造体です。この構造体の中には、神経伝達物質と結合する受容体、その受容体の働きを制御する酵素、受容体からの信号を細胞内部へと伝える情報伝達分子、あるいはシナプスの構造を維持する接着分子などが存在しています。このほかにも様々な分子が含まれ、およそ30種類以上の分子が集まっていると考えられます。これまでは、この構造体の中でどのような分子がどのような機能を持っているのかはっきりしていなかったのですが、最近ようやくこの構造体がどのように形成され維持されているのかが明らかになりつつあり、注目されています。
 神経伝達物質にはアミノ酸やペプチドなど様々な種類があり、それぞれの伝達物質に特異的な受容体が存在します。また、例えば脳神経系における主要な神経伝達物質にグルタミン酸がありますが、このグルタミン酸のみに対する受容体にも多数の種類があり、グルタミン酸との結合に対して異なった反応を示します。これらの受容体の中には、イオンを透過させるチャンネルの機能を持ったものがあり、伝達物質による情報を直接に電気的信号に変換しています。

 他方、同じ伝達物質に対する受容体でもチャンネルではなく蛋白質のリン酸化などの細胞内の情報伝達機構を制御するものがあり、同じシナプス後構造の中でこれらが互いに関係しながら、シナプス前細胞からの情報を受け取っています。例えば、イオン透過型の受容体の性質が他の受容体を通した信号によって変わることが明らかとなっていますが、そのように細胞の外からの刺激に応じて受容体の信号に対する応答性が変化することが、神経細胞間の信号伝達の可塑的な変化を引き起こし、それが学習や記憶の基礎的な過程になっていると考えられています。これらのことが可能になるためには、異なるタイプの受容体やそれらの信号を細胞内部へと伝えていく伝達分子がシナプス後肥厚部に集合し、きちんと配置されることが必要です。最近これらを配置させる分子が相次いで発見され、シナプス後肥厚部の中の構造が次第に明らかになってきました。  図4に示したのはこれまで明らかになったこれらの分子と受容体の関係を示した模式図です。私たちの研究室では、小脳のプルキンエ細胞や顆粒細胞でシナプスの形成や情報伝達に働いている分子の同定や機能の解析を行っています。これらの分子の中には、受容体と結合しその局在に関係していると考えられるものや、信号に応じて接着分子としての機能と増殖因子としての機能の間の転換を行っているものなどがあります。このようなシナプスで働いている分子はこれからもどんどん同定されてくると考えられますし、また、これらの分子をまとめている仕組みも明らかになってくると考えられます。
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図4 シナプスを支える分子結合

 以上述べてきたように、これまで分子が詰まっている袋のように考えられてきた細胞内部が、実はしっかりと秩序だった構造を取っており、それぞれの機能ドメインがうまく相互作用することによって細胞としての機能を実現していることが明らかとなってきました。さらに、これらのドメインの中では分子同士が互いに作用しあい、その構造や機能をダイナミックに変化させていることがわかりつつあります。そしてこのような変化が神経細胞で起こり細胞内部での情報伝達の特性を変化させることが、神経の可塑性など脳神経系の高次機能の基礎となっている仕組みであると考えられます。

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