脳科学者の本棚「藤澤 茂義」

posted in 2016.04.25
いつも難しい研究をしている(イメージ)の脳科学者って、普段どんな本を読んでるんだろう?
人生に影響を与えた一冊ってあるんだろうか?
気鋭の脳科学者が揃う脳科学総合研究センター(BSI)で彼らの本棚をのぞき、お気に入りの本をお勧めしていただきます!

「脳科学者の本棚」の案内人

  • 本が好きな事務員。
    カール・セーガンの『コンタクト』は12歳からの愛読書
  • 本が好きなサイエンスコーディネーター。
    お気に入りは大江健三郎の『新しい人よ眼ざめよ』

記念すべき第1回は、システム神経生理学研究チームの藤澤 茂義チームリーダー。

最近は研究で忙しくなかなか本が読めないけれど、昔はよく本を読んだという藤澤さん、これは期待がつのります!

藤澤 茂義

藤澤 茂義 (ふじさわ しげよし)

システム神経生理学研究チーム チームリーダー
岡山県出身。2000年京都大学工学部卒業、2005年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。
米国ラトガース大学分子行動神経科学センター、およびニューヨーク大学医学部神経科学センター研究員を経て、2012年より現職。趣味は美術館巡り。
現在は脳において他者の行動がどのように認識されているかに興味をもって研究している。

今回は、サイエンス関係でお勧めの本と、これまでの人生で影響を受けた本を紹介していただきます。
挙げていただいたのは『統計学を拓いた異才たち1』とボルヘスの『伝奇集2』ですね。

あっ、ボルヘス私も好きです!

Tさんが好きだなんて、怪しい本のにおいがしますが……。
まずは『統計学を拓いた異才たち』を選んだ理由から教えてください。

統計学って、今もっとも注目すべきトピックだと思うんです。サイエンスって、ものごとの原因・メカニズムを明らかにすることですよね。たとえば、物が落下するのは万有引力があるせいだ、みたいな。でも今の世の中、技術が進歩してどんどん複雑な事象を扱えるようになったのだけど、その分原因・因果関係が簡単にはわからないことも多くなった。そういうときに統計学をつかえば、原因が確定できないまでも、ものごとの因果性にある程度目処をつけることができる。

この本は、統計学がどのような歴史をたどって創り出されてきたかが書かれていてけっこう面白いです。たとえば、こんなエピソードが出てきます。昔、ケンブリッジ大学のお茶会で教授陣とご婦人たちがアフタヌーンティーを楽しんでいたところ、あるご婦人が、「紅茶にミルクを注いだミルクティーと、ミルクを入れてから紅茶を注ぐミルクティーでは、味が違うのよ」と言い出します。科学者たちは、どっちも混ざったら同じものになるはずなので味が違う理由が無い、といって一笑に付すのですが、そこにいたフィッシャー教授は、「ではその二種類のミルクティーが入ったカップを見えないようにシャッフルしてご婦人に味を当ててもらおう」と提案して、シャッフリング統計検定が生まれた、という話です。ちなみに、そのご婦人はシャッフルされたミルクティーの味から注ぎ方の違いをぴたりぴたりと当てたということです。

個人的に統計学に興味を持ち始めたのは、アメリカのブザキ研究室3に留学していた時でした。研究室の同僚に、数学科出身のプロの統計学者がいて、彼と友達になってからいろいろと統計学の哲学についてたたき込まれました。自分の研究テーマである脳科学についても統計学はとても重要です。脳ってあまりにも複雑すぎて、脳機能のメカニズムとかは簡単には分からないのですけど、最新の統計学を使えば、脳活動の背後に隠れている法則が自ずと浮かび上がってくる、みたいな。

大学生の頃少し統計学をやりましたがなかなか難しかったです……。でも目次を見ると結構面白そうな章タイトルが並んでますね! 今度読んでみます。

  • 1. デイヴィッド・サルツブルグ (著)、日本経済新聞出版社
  • 2. J.L. ボルヘス (著)、岩波文庫
  • 3. György Buzsáki(ジョージ・ブザキ)海馬の研究で高名なニューヨーク大学神経科学部教授

Recommend Book!

『統計学を拓いた異才たち』デイヴィッド・ザルツブルグ書

僕が10年ほど前アメリカに留学していたとき、大学の同僚の数理統計学者と友達になって、統計学に目覚めました。巨大な観察データからどうやってノイズを取り除いて背後に隠れる法則を見つけ出すか、統計学には宝探しのような醍醐味があります。『統計学を拓いた異才たち』では、20世紀に躍進して21世紀にますます必要とされるであろう統計学について、その発展の歴史をたくさんのエピソードを交えながら語ってくれます。

では次に、ボルヘス著の『伝奇集』について教えてください。

ボルヘスは、アルゼンチン出身の幻想小説作家です。彼の作品はすごく魅力的で、雑多で果てしない広がりをもった世界がきゅーっと一点に集約されていくような物語を作り出していくんです。ものの見方がぱっと変わる驚きがあって、やみつきになるんですね。それまでは小説といえば主に日本人作家のものしか読んでこなかったのですが、ボルヘスの伝奇集を読んで、こんな小説があり得るのか、と衝撃を受けました。実はこの本も先ほど紹介した留学時代の友人に教えてもらったのですが、それ以来ボルヘスにはかなりハマりました。

Recommend Book!

『伝奇集』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス著

ボルヘスは言う。どんな人の人生も、それがどれほど複雑かつ充実したものであっても、実際はひとつの瞬間からなりたっているのではないか――人が己の何者かを永久に知るあの瞬間のことだ、と。この考えに取り憑かれたボルヘスは、永遠と一瞬、無限と唯一をテーマにした奇想天外な幻想小説を数多く産み出します。どんな些細なことでも際限無く記憶できる男の物語、過去から未来に至るありとあらゆる可能な限りの本を蔵書する図書館と世界の法則を完全に要約できる究極の一冊の物語、終わりのない夢を見続ける男の物語など、無限に想像力をかき立てる物語群を『伝奇集』は収録しています。

アメリカでの出逢いが読む本にもいろんな影響を与えた、という感じですね。

ブザキ先生の名著
『RHYTHMS OF THE BRAIN』もばっちりあります

そうですね、留学したときのカルチャーショックもあいまって、そのころ読んだ本からは今でも影響を受けていると思います。ボルヘスのエッセー集『続審問』を読むと、ボルヘスの作品が過去のどういう文学作品から影響をうけているかが分かるのですが、そこから芋蔓式にプラトン、ダンテ、カント、新約聖書なんかにも興味をもつようになって順に読んでいきました。

研究でお忙しいなか、よくそんなに読めましたね!

アメリカではわりと仕事が早く終わったので、けっこう本が読めました。

記憶の人、シゲヨシ

わたしは彼を記憶している(この神聖な動詞を用いる権利は、わたしにはない。地上ではただ一人の男がこの権利を持っているようだが、その彼はどこにいるのか知らない)。画面にうつる脳のスパイク活動をひたすらにマウスで愛でながら、初めて見るもののようにー一生のあいだ、夜のしらしら明けからたそがれどきまで眺め暮らしているにもかかわらずー眺めていた彼を記憶している。12月の窓から降る光のかげの、しずかで、ひっそりとしていて、奇妙にぼんやりした感じのする顔を記憶している。必要とあらばどんな実験器具ですら作り出すことを厭わない、鉛筆でなぞられたように輪郭をぼやけさせたその手を記憶している(ように思う)。その手の近くにあって撮影の邪魔とばかり移動させられたマグカップを、同じく追いやられた箱ティッシュクリネックスといっしょに記憶している。居室の窓から見える緑を、人々の声のない研究室の喧騒とともに記憶している。彼の声をはっきりと記憶している。きょう日のくつろいだ若者めく鋭い音を伴わない、昔の場末の男らしく間のびした、鼻にかかった、かすれ気味の声だった。

今回挙げていただいた二作品のほかにお勧めはありますか?

好きなのはダンテの『神曲4』です。これまたボルヘスの『神曲講義』というエッセーから入りました。
ほかにはミラン・クンデラ5とか、ボラーニョ6の短編小説も面白いですし、I・アジェンデ7の『精霊たちの家』とかも……。

南米の作家が多いですね。

そうですね。南米は度重なる政変で人々が傷ついた歴史を持つせいもあってか、物語の根底に深い喪失感みたいなものがあって心に沁みます。喪失感という意味では、ダンテの神曲もそうですね。ちなみにボラーニョの長編小説『2666』は勧められて読み始めたのですが、いま挫折してます……。

なかなかヘビーなラインナップです。『2666』を読み切れたら藤澤さんに勝ったことになる、ということですね。

  • 4. ダンテの代表作で地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩
  • 5. チェコ生まれのフランスの作家。代表作は『存在の耐えられない軽さ』
  • 6. ロベルト・ボラーニョ・アバロス。チリの小説家、詩人
  • 7. イサベル・アジェンデ。チリの小説家

記憶の人、シゲヨシ

その声が伝えていたのは BS 語だった。その声は(居室の奥から聞こえていたが)、ゆっくりした楽しそうな調子で、演説か、祈りか、呪文を読んでいた。 BS 語の音節が共有のホールに響き渡った。不安に襲われたわたしはそれを、謎めいた、際限のないもののように感じた。そのあとの長い会話によって、私はそれが『博物誌』第七巻の第二十四章の冒頭の文章であることを知った。その章の主題は記憶であり、最後のことばは何事もおなじ言葉で繰り返すのが聞かれるようにであった。

日本人の作家さんでお勧めの方はいますか?

うーん、昔よく読んだのは村上春樹8とか、塩野七生9とか。ノンフィクションですけど佐藤優10とかかな。

これまた歯ごたえのある作家さんたちですね。中高生くらいで読んでた本って何かありますか?

うーん。あまり覚えてないですけど、歴史ものをよく読んでたような気がします。司馬遼太郎11とか、史記12三国志13とか。

やっぱり歯ごたえが(笑)。

全体的に重めのレパートリーですね。私は料理をしながら本を読むんですが、そんな片手間には読めなさそうです。

そうですか? ご飯作りながらはないけど、食べながらは読んでますよ。
でも、塩野七生とかは軽いんじゃないですか? 『日本人へ』っていうエッセイとか。

  • 8. 国内外で著名な日本の小説家。代表作『ノルウェイの森』『1Q84』など
  • 9. ローマ在住の日本の歴史小説家。代表作は『ローマ人の物語』
  • 10. 元外交官、日本の作家。外交論や文化論などを執筆している
  • 11. 日本の小説家、評論家。代表作に『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など
  • 12. 中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書。正史の第一に数えられる
  • 13. 中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 – 280年頃)の興亡史である

記憶の人、シゲヨシ

最初に刺激となったのは、わたしの思うのに、「二十四のletter(文字)」が一個の単語と一個の記号ではなくて、二個の記号と三個の単語を必要とするという不愉快な事実だった。やがて彼は、その奇妙な原理を他の数にも適用した。七千十三のかわりに(たとえば)ダンテ・アルギエーリ、七千十四のかわりに神曲といった。他の数は不死の人、ドン・イシドロ・パロディ、八岐の園、バベル、セイレーン、砂の本、クジャタ、円環の廃墟、エル・アレフとなった。五百のかわりに、彼は九といった。それぞれの単語が特別の記号、一種のマークを持っていた。最後のものは非常にこみ入っていた……。わたしは懸命に、この脈絡のない単語のラプソディは計数法の正反対のものである、と説明した。三百六十五とは、三個の百、六個の十、五個の一であって、この分析はサン・マルティン手帳永遠の薔薇などという数には存在しない、といった。シゲヨシはわたしのことばを理解できなかった、いや理解しようとしなかった。

漫画は読みませんか?

あ、漫画は大量に読みますよ。けど、言い出すときりがないからそれはまた別の機会に(笑)。
んー、最近の漫画のお勧めなら『チェーザレ14』かな。適度な重さ。ダンテも出てきますので。

やっぱりダンテが絡んでくるんですね。

お気に入りには付箋がびっしり

それではちょっと本棚をのぞかせてください。
あっ、甘利先生の本があります!

付箋がたくさんついてますね!

クンデラは五回くらい読んだかな……。いや、少ない本を読み返している感じです。

CDもありますね。
あっ。マーラー15の隣にテイラー・スウィフト16がある!

最近はテイラー・スウィフトとかLADY GAGA17とか、アメリカンポップしか聞かないんです(照)。
マーラーは置いてあるだけ……。

  • 14. 『チェーザレ 破壊の創造者』(講談社)惣領冬実作。監修にダンテ学者の原基晶。本邦未訳のG・サチェルドーテ版の伝記を翻訳しながら、歴史を精査し描く。
  • 15. グスタフ・マーラー。主にウィーンで活躍した作曲家・指揮者
  • 16. アメリカの女性カントリー歌手。身長180cm、足のサイズは26.5cm
  • 17. アメリカの女性歌手。派手な衣装やパフォーマンスでも有名

記憶の人、シゲヨシ

シゲヨシのいわばすし詰めの世界には、およそ直截的な細部しか存在しなかった。
夜明けのかすかな光が土の中庭をとおして差しこんだ。
そのときやっと、わたしはずっと話しつづけた声の主の顔を見ることができた。シゲヨシはエジプトより古く、予言やピラミッドに先立つブロンズのように、記念碑めいて見えた。わたしは、自分のことばのすべてがー自分の身振りのすべてがー彼の執念ぶかい記憶のなかで生き続けるにちがいないと思った。無用な動作をふやすことへの恐れでわたしの動きはにぶらされた。
シゲヨシ・フジサワは今日も研究を続けている。

アメリカ留学時代の影響で西洋哲学の世界にのめりこんだ藤澤さん。たくさんの統計学の本と、付箋をびっしり貼り付けたお気に入りの本たちは難しそうで藤澤さんもとっつきづらそうな雰囲気……。と思いきや、少し照れくさそうにテイラー・スウィフトについて語り、好きな本の話をする藤澤さんは活き活きと楽しそうで場は大いに盛り上がったのでした。

藤澤さんと打ち解けたい人はボルヘスとダンテを読みましょう!

◆◇◆ 編集後記 ◆◇◆

『記憶の人、フネス』(ボルヘス)より、『記憶の人、シゲヨシ』
『伝奇集』の豊富な知識と語彙力で編み上げられた短編はどれも不思議な味わい。正直に言えば、難解でなかなか味わうまで行かないけれど、読みすすめるうちになんだか言葉に絡め取られていくような重厚で不思議な気持ちがしてくる。『記憶の人、フネス』は、何でも記憶してしまう男について書かれた短編。何でも記憶してしまうが故に「何も忘れられない」、静かな狂気がにじむ一作をモチーフに、記憶研究に携わる藤澤さんについてボルヘス風描写を狙ってみました。

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