理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.10(2000年12月号



脳科学はどこまで進み、私たちに何をもたらすのか

 
 

 理化学研究所 脳科学総合研究センター(BSI)は、1997年10月に設立され、3周年を迎えた。BSIはどのような構想に基づいて設立され、3年でどのように成長したのか。そして、「脳の世紀」ともいわれる21世紀、脳科学はどこまで発展するのか。脳科学分野の取材を多数行っているノンフィクション作家の立花隆氏とBSI所長の伊藤正男が、脳科学の現状と展望を語る。
研究センター3周年。“黄金の33歳”が支える

立花──設立からちょうど3年ですね。私が前回伊藤先生を取材させていただいたときには、まだ国際フロンティア研究システム(*1)のころでした。
伊藤──最初は、国際フロンティア研究システムの中に、脳科学関係の研究室を三つつくって始めたんです。だんだん増やして10年間で10にした。3年前にさらに10チーム増やして20チームで脳科学総合研究センターがスタートしました。それが現在37チームにまで増えました。
立花──3年前にこの研究センターをつくるとき、そもそもどういう研究センターにしようと考えていたのですか。


伊藤正男
BSI所長。1928年生まれ。1953年東京大学医学部卒業。医学博士。1959年、オーストラリア国立大学に留学。シナプスの研究でノーベル賞を受賞したエックルス教授の下で研究を行う。小脳研究の国際的な権威である。東京大学教授などを経て現職。

伊藤──日本で今までできなかったことを、ここでみんなやろうと。
立花──ほう。具体的にはどういうことですか。
伊藤──一つは領域の融合です。脳科学はものすごい複合領域ですよね。複合領域が始まるときに、いつも日本は遅れるんですよ。日本は複合的な、学際的な新しい領域の開拓がものすごく下手です。いつも10年、20年たってからやっと欧米に追いつく。  脳のことをやるには学際的な大きな領域として、あらゆる方向から進めないとだめなんです。それをやるには、今の大学ではほとんど不可能です。それが、この研究センターをつくったいちばん大きな理由ですね。  もう一つは国際化です。この研究センターを始めるときに、外国人を全研究者の30%にするという目標を設定しました。多いときで25%、今は約20%が外国人です。37チームのうち外国人のチームリーダーが6人います。
立花──研究センター全体として、国際化しようという雰囲気がありますよね。会議も英語でするそうですね。
伊藤──それをやらないとだめなんですね。セミナーは全部英語ですし、研究室でもほとんど英語を使っている。
立花──領域融合と国際化。それから何かありますか。
伊藤──研究者が若い。平均年齢が33歳です。いちばん頭のさえるいい時期です。私は「黄金の33歳」と言っています。  アメリカの研究システムが成功した非常に大きな秘けつは、ポスドク(*2)が終わった、日本でいうと大学の研究助手クラスにすごい自由を与えたことです。ポスドクが終わってアシスタントプロフェッサーに採用されると、自分でどんどん研究費をNIH(米国立衛生研究所)に申請します。研究費さえもらえればポスドクを雇って、自前で研究ができます。

領域融合の発想

立花 隆
ノンフィクション作家。1940年生まれ。1964年東京大学文学部仏文科卒業。文藝春秋社に入社。1966年退社し、東京大学哲学科に再入学。在学中から評論活動に入り、現在に至る。著書に『脳を究める』『脳とビッグバン』『宇宙・地球・生命・脳』『サイエンス・ミレニアム』『人体再生』などがある。
立花──脳科学研究に「脳を創る」領域を入れるというのは、世界でも独特ですね。
伊藤──「脳を知る」「脳を守る」「脳を創る」という三つの要素を統合したので、とてもユニークな研究センターになりました。アメリカは、少しびっくりしていましたね。創るというコンピュータの領域と、バイオロジーをいっしょにするとは思わなかったと書かれました。NIHの中のNIMH(米国立精神衛生研究所)の所長には「そんなことできるはずない。すぐにけんかするよ」とも言われました(笑)。
立花
──その独特な点が国際的にも相当評価されて、むしろ外国がそれを追いかけてやろうとしているところがありますね。  伝統的な脳科学の世界では、その発想は異質だったと思います。「脳を知る」「脳を守る」「脳を創る」という三つの要素を統合するという発想は、どのあたりから生まれてきたのですか。
伊藤──元をたどってみると、実は私が若いころ、1960年代にとてもいい環境があったんです。東京大学に。あのころは今よりも学部間の交流が良く、総合大学らしかった。皆さんもう故人になってしまわれましたが、理学部物理の高橋秀俊さん、医学部で脳の研究施設をつくった時実利彦さん、工学部でバイオニクスをやっていた南雲仁一さん、そして私たち若手も入って、班研究や合同講演会をしていました。専門分野は違うけれど、先の方ではみんな同じことを考えている。ただアプローチの仕方や発想が全然違うのです。私自身、異なる要素を統合することに抵抗がなくなりました。
立花──せっかく一つの研究センターに、領域も違うし研究方法論も違う研究者を集めたからには、互いの知見が結び付き、新しい発見や発想が生まれたり、新しいパワーが出てきたり、融合がうまく働くことを期待したいですね。
階層研究から系別 研究へ
立花──各研究領域の研究チーム構成を見ると、きちんと脳のすべてをやるんだという意気込みがうかがえます。つまり「脳を知る」領域で言えば、分子レベル、細胞レベル、回路レベル、さらにその上のシステムレベルというように階層になっていて、先生の思いをそのまま実現したような感じがします。
伊藤──しかし3年もたつと、階層性がかなり崩れてきています。あなたは細胞だけ、あなたは回路だけとはいかなくなってきました。みんなつながってきてしまって。むしろ、自分は感覚系をやるとか、運動系をやるとか、認知系をやるというように系別 になる傾向があります。例えば感覚系の嗅覚をテーマにして、分子生物から電気生理、工学的な光計測などあらゆる技術を動員して研究するというやり方に、だんだんと変わってきています。だから枠組を5年くらいごとに書き換えないといけないですね。それだけ進歩しているということだと思いますが。

研究技術の開発が重要
立花──組織図を見て感心しました。先端技術開発センター(*3)があるでしょう。
伊藤──お誉めいただいき、ありがとうございます。自慢しているんですよ(笑)。

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写真左はゼブラフィッシュ。写 真右2枚は、後脳の運動ニューロンで発光クラゲ由来の蛍光タンパクを発現するトランスジェニック・ゼブラフィッシュの胚である。神経細胞体とその軸索が緑色に光っている。(発生遺伝子制御研究チーム・岡本 仁チームリーダーより提供)
立花──こういうものをきちんとつくったというのは、さすがです。日本の研究で弱かったのは、実はこういう点にあるんですよね。研究の方法論の問題は、ものすごく大事です。いろいろな技術が開発されるかどうかで、研究に圧倒的な差がついてしまう。そういう意味でも先端技術開発センターの存在は、感激しましたよ。
伊藤──世界的トップの技術をすべて手に入れておかないと、勝てないですね。先端技術開発センターには、研究センター全体の技術水準をいつもトップにもっていくことを期待しています。
立花
──今この研究センターから、すごい技術が出つつあるのですね。どのような遺伝子も望みどうりのパターンで発現を誘発できる新規技術というのが事実上もうでき上がっていて、その詳細な方法は特許の申請と論文の発表後に公開するという資料を読んでびっくりしました。これはすごいですよ。発表されたら世界がわっと沸きますよ。
伊藤──ゼブラフィッシュでの研究です。ゼブラフィッシュは頭の骨が透明で、脳が外からよく見えます。このことを利用していろいろな新しい技術を応用できるわけです。
立花
──遺伝子の世界は、魚であろうとマウスであろうとヒトであろうと、結局はほとんど同じです。好きな所で好きな時に発現させるというのは、みんなが夢に見ている技術ですからね。
伊藤──ほかにも神経細胞で発現する遺伝子に蛍光物質を付けて、この遺伝子が発現すると光るようにして、脳の神経細胞がピカピカ光っているゼブラフィッシュもつくられています。
スパインの動態を見る
立花──遺伝子の発現が蛍光物質で見えるようになったことで、バイオの世界全体が大発展しています。このように蛍光物質を使って脳の働きを可視化する手段がいろいろ出てきて、思いがけない発見がいろいろ出てくるでしょう。
伊藤──新しい蛍光物質が一つ出てきたらおおごとなんですね。世界中が目の色を変えて、いろいろな動物で新しい蛍光物質を探しています。  蛍光物質を使った可視化の新しい技術にツーフォトン(Two Photon)があります。
立花
──ツーフォトンとはどういう意味ですか。
伊藤──二つの光子がほとんど同時に飛び込むことで、蛍光物質が励起されて蛍光を発するというものです。脳の深い所の小さな構造が見えます。神経細胞の樹状突起のスパインが見えるんですよ。
立花
──生きた状態でですか。
伊藤──そうです。カルシウムが入っていくようすを検出できます。ツーフォトンレーザー顕微鏡として世界中で必死に開発をしているところです。今は試験的に実験研究に使っています。

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