理研百年・BSI 20周年記念シンポジウムレポート Part 2

posted in 2017.02.13

講演会に続いて、「脳科学に期待すること」と題したパネルディスカッションが行われた。参加者の方々から頂いたメッセージやコメント、質問などを反映したテーマに沿って、竹内薫氏と伊佐正教授が分野ごとに各パネリストに質問を投げかけた。前半の講演会で講演した7名に加え、九州大学の神庭重信教授、東北大学の大隅典子教授、理研BSI 副センター長でありチームリーダーである岡本仁氏、加藤忠史氏が壇上に登った。

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テーマ1

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                      大隅典子 東北大学教授

認知科学研究の第一人者である宮下教授によれば、意識や個性は「脳科学の切り口から理解できるとほぼ確信できるところまで来ている」という。さらに社会学者の西條教授は「3人以上の人が集まれば社会が生まれる。意識や心の問題の根底にある情動や共感といった脳の機能は、1人の脳を調べるだけでなく、相互作用している3人以上の脳をリアルタイムで同時に測定するような研究が必要だ」と述べた。

先天的な影響で決まる個性については、脳の発生が専門の大隅教授が「胎児の脳が作られる過程や、環境が生後の脳の発達に与える影響についても分かりつつあり、これまでの研究では扱いにくかった外れ値*1 をビッグデータから解析できるようになれば、天才の脳など個性創出のメカニズムに迫れるかもしれない」と期待を述べた。

ここで、モデレーターの竹内氏が投げかけた素朴な疑問。「将来、意識が脳科学で研究できるとして、どうやって意識がある、この脳から意識が出てきた、と実験的に示せるのか?」

まず利根川センター長が「意識の研究はヒトを対象にすべき。ヒトだけが意識の状態を言葉でレポートできる」と答えた。現在、一部の医療現場においては、診断・治療目的で電極を脳内に留置した脳疾患の患者さんから直接脳活動を測定する研究*2 も増えてきている。「そうしたデータが集まれば、意識している状態、していない状態と、特定の脳活動の相関を探ることが可能になるかもしれない。しかし一方で、そこから実験的に因果関係を示すのはヒトでは難しいだろう」と述べ、ヒトの研究から得られた相関関係をもとにモデル動物で因果関係を調べて、そこから仮説をたてるというプロセスが妥当という考えを示した。

さらに数理学者である合原教授が「明らかに意識がない状態からある状態への変化を調べることで、意識を研究できるのではないか」と続け、寝ている状態から覚醒する過程やいつ胎児に意識が生じるのかなど、意識の分岐点に注目すれば研究が進む可能性を示した。


*1  外れ値: 他の値から大きく外れた値。一般に、統計的な解析では外れ値は解析の対象にならないことが多い
*2  重度のてんかんなど外科手術を必要とする脳疾患を持つ患者さんの了承を得た上で、術中に神経活動を測定する研究はアメリカを中心に増加している

 

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脳科学の究極の目的はヒトの脳を理解することである。しかし現在使われているfMRI法*3 のようなヒトの脳の測定技術では、細胞レベルの活動は観察できない。

「細胞レベルの活動を測定できるモデル動物のデータとfMRIによるヒトのデータをすり合せれば、fMRIから細胞レベルの活動を予測できるようになるかもしれない」と、利根川センター長。現段階は動物を使った神経細胞レベルの研究とヒトの研究を行き来しながら、ヒトの脳の理解を目指すべきであるが、並行してヒトの細胞レベルの活動を測定できる新しい技術の開発を目指すことが重要であり、こうした技術が開発されれば、ヒトの脳の理解は飛躍的に進むだろう、と述べた。

そもそもヒトの心は進化の過程でどのように生じたのか。

IMG_5847_web「脳の役割はものごとの因果関係を理解し、それを行動選択に役立てること。これに必要な神経回路は下等とされるサカナにも備わっている」と、脳の進化に詳しい岡本チームリーダーが説明した。このような因果関係を推定する回路は、ヒトにむかう進化の中で階層化したという。「心は突然生まれたのではなく、連続的に回路が階層化、複雑化した中で、ある閾値を超えたところで生じた可能性がある」と、ヒトの心の起源について自身の考えを述べた。「ヒトでは回路が高度に階層化した結果、より複雑な因果関係の推定が可能になり、共感などの高度な能力が備わるようになったのではないか」

つまり、ヒトと動物の脳は進化的に保存された共通の仕組みを多く持ち、動物における脳研究の知見をヒトの脳研究に生かすことで、ヒトの脳の理解は進む。しかし一方で、ヒトの研究でしかわからないこともあり、この二つの研究対象をつなぐ技術開発が必要ということのようだ。


*3  fMRI法: functional magnetic resonance imaging / 機能的磁気共鳴画像法  高周波の磁場に被験者を置き、局所的な血流動態を測定することで、脳の局所活動を測定する方法

 

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それでは、動物の研究からヒトの脳を理解するために、具体的にどのようなブレイクスルーが期待されているのか。

「動物研究に関しては遺伝子改変技術、特にゲノム編集技術*4 によって、すでにさまざまな可能性が広がっている」脳科学のための技術開発研究を牽引している宮脇チームリーダーは言う。それに対して、ヒトの研究では非侵襲性*5  な計測技術の開発が大きな課題となっている。宮脇チームリーダーは「電磁波など、まだあまり開拓されていない種類の光や、音波や電子線を使った技術とのコラボレーションなどを試みるべき」とした上で、脳の何に注目して計測をするのか、またどのような状況や状態の脳を計測するのか、といった研究デザインも見据えた開発が必要である、と述べた。


*4  ゲノム編集技術: ゲノム(ある生物が持つひとそろいの遺伝情報)上の任意の遺伝情報の一部を直接書き換えたり、切り取ったりする技術
*5  非侵襲性: 医学用語で「生体を傷つけない」を意味する

 

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                   神庭重信 九州大学教授

うつ病など精神疾患の治療研究に長年携わってきた神庭教授は、精神疾患そのものは古くから認識されていたものの、それが脳の疾患であり医学で扱うものである、と広く受け入れられるようになったのは、ごく最近のことだと言う。

一方で、その発症メカニズムの研究はまだまだ途上にある。「現在治療に用いられている薬の多くは、1950年前後に偶然発見されたもの。作用機構は依然不明であり、また精神疾患の診断も、客観的な指標がないのが現状」と神庭教授は明かした。そして「脳研究によって精神疾患の病態が明らかになれば、診断に必要なバイオマーカー*6 のような指標が開発でき、より有効な治療薬の開発に取り組めるはずだ」と脳研究に期待を示した。

双極性障害*7  を研究している加藤チームリーダーは、これまでの精神疾患研究は、原因遺伝子を探索するゲノム研究とMRI画像による研究が主であった、と述べた。間をつなぐ細胞レベルの生理学的現象の研究は、近年の疾患モデル動物*8  の開発のおかげで、動物レベルでは少しずつ知見が蓄積しはじめている。「疾患モデル研究で得られた成果をヒトの研究に活かし、逆にヒト研究の成果から構築した理論をモデル動物で検証する。そうしたヒトと動物モデルの行き来を繰り返すことで、病態メカニズムの解明に近づける」との展望を示した。

病態解明がより進んでいる神経疾患研究の展望はどうであろうか。

「認知症はアルツハイマー病をはじめ、脳の病理と疾患との因果関係は分かってきたが、メカニズムは依然不明な点が多い。メカニズムが分からないと、根本的治療法の開発が難しい」と、アルツハイマー病解明を目指す西道チームリーダーは述べた。神経疾患においても、メカニズム研究はやはりモデル動物を用いた研究が中心となる。そこから得られた知見をもとに検証を重ね、開発した治療薬の治験の段階ではじめてヒトでの実証となる、というのが現状だと説明した。

「これまで精神・神経疾患の創薬が成功しなかったのは、疾患にバリエーションがあること、疾患の治療効果を評価する指標がないことが大きい」と山中教授が続けた。この現状の打開にiPSを用いた治療薬開発研究が大きく貢献できるとした上で、山中教授は、さまざまなアプローチによる精神・神経疾患研究の知見を集積し、協調的に研究を進めていく必要があることを示した。


*6  バイオマーカー: 疾患の有無や病状などを示す測定可能な指標
*7  双極性障害: 一般に躁うつ病とよばれる、躁の状態とうつの状態を繰り返す精神疾患 
*8  疾患モデル動物: ヒトの特定の病気の病理や症状(またはその一部)に類似した組織学的変化や行動変化を示す実験動物のこと。病気の発症に関与する遺伝子変異が同定されている場合は、遺伝子工学を用いて関連する遺伝子変異を組み込んだ実験動物を研究対象とすることが多い

 

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すでに私たちの暮らしの中に少しずつ入りこんでいる人工知能(AI)。そのさらなる発展は、私たちの未来にどのような影響を与えるのだろうか。

「脳科学とAIは、これからも互いに影響し合う」と合原教授は言う。「脳の学習則や同期などの複雑なダイナミクスを取り入れれば、AIの改良につながる。逆にAIで確立されたアルゴリズム*9 から共通の数式を同定できれば、脳科学に示唆を与えられる」

一方で、AIの改良が進んでその能力がヒトをはるかに超えれば、ヒトはAIに取って代わられるのではないか、という懸念がある。これに対し合原教授は、AIが役に立つ領域に関しては使いこなせばいい、と述べた。「脳が持っていてAIが実現できない能力はあると思う。創造性など、ヒトに特有な能力の大部分は、少なくとも短期的にはAIには実現できないだろう」

しかし、どうしても疑問が残る。

「現行のAIがどんどん複雑化し、自然に意識を持つようになるということはないのか」竹内氏の問いかけに、合原教授は「あると思う」と応じた。意識のカラクリはわかっていないので、十分複雑なものを作っていったら意識を持ってしまった、ということが起こる可能性は否定できない、という。

「そういったAIが暴走する、というようなことはないのか」という竹内氏のさらなる問いかけに対して、合原教授は、それを防ぐ仕組みも必要、と述べた上で、「シンギュラリティ*10 ということも言われているが、脳はとても手に負えない、という感覚が研究者にはある。ヒトを超えるAIは今言われているほどのスピードでは実現しないのでは」という考えを示した。

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最後に、AIに関連した社会規制の必要性について利根川センター長から質問を受け、合原教授は「自動運転に関する法の整備など、実際に必要な規制を考える時期にもう来ている」と結んだ。


*9  アルゴリズム: ここではコンピューターに与える計算処理プログラムを指す
*10  シンギュラリティ: 進化したAIが人間の能力を超える現象。技術的特異点ともよばれる

 

テーマ6

シンポジウムに参加した学生からは、「脳科学に進みたいが、日本の現状は?」「日本の脳科学が世界で抜きん出るには?」といった質問が寄せられた。

前日まで米国サンフランシスコにいたという山中教授。「アメリカは研究者の社会的地位が高い。加えて、富裕層の寄付によって政府だけでは支えられない研究が支えられている」と述べ、まず科学研究に対する社会の期待の違いを指摘した。

「日本の脳科学はいい線いっている。でも層が薄い」と利根川センター長も付け加える。「これは生命科学全般で起きている現象」と山中教授は視点を広げ、すぐに成果の出ない基礎研究も、政府の資金や民間からの寄付で支えて、国の力にすることの重要性を説いた。最後に利根川センター長が「今、日本はイノベーションへの投資に偏りすぎて、基礎研究が先細っている。研究者になろうという若い人たちの意欲がくじかれることを心配している」と、危機感を示した。

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最後のディスカッションを受けて、竹内氏は「我々のようなサイエンス作家も、研究者と一体となって“科学は楽しい”ということを発信し、子供たちが科学に興味を持てるよう裾野を広げていくことが大切だと感じた」とまとめた。

伊佐教授も「脳科学はワクワクする発見に満ちた素晴らしい研究分野であることを改めて感じた。懸念はもちろんあるが、研究者としてサイエンスの未来は明るいと信じている。我々研究者は、皆さんの期待に応えるべく、脳研究を力強く牽引していかなければならないと感じている。ぜひこれからも、脳科学研究を支えていただければ」と締めくくった。

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Text by 青木 田鶴 BSI サイエンスコミュニケーター
Edited by BSI + BSPO
Image credits: BSPO
© RIKEN BSI 2017

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