合田裕紀子 BSIシニアチームリーダー 塚原仲晃記念賞を受賞
2013年11月12日
去る6月に京都で開催された日本神経科学学会Neuro2013において、理研脳科学総合研究センター(BSI)のチームリーダー、合田裕紀子博士が、京都のATR脳情報通信総合研究所 計算神経科学講座の神谷之康博士とともに、塚原仲晃記念賞を授与されました。
ブレインサイエンス振興財団によるこの名誉ある賞は、生命科学分野における年々の独自性のある先進的な基礎研究に対して贈られるものです。この賞は1985年の日航機墜落事故で亡くなられた高名な科学者、故塚原仲晃 大阪大学教授の科学的業績を讃えて設立されました。
合田博士の輝かしい経歴は、1997年から2002年までの米カリフォルニア大学サンディエゴ校での准教授を皮切りに、大西洋を越え、2002年から2011年まではロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのMedical Research Council Laboratory for Molecular and Cell Biologyのシニアチームリーダーを歴任するなど、十数年におよぶ海外での研究実績に彩られています。2011年春の帰国後は、理研BSIにおいて、現在も率いておられるラボを立ち上げられました。今回のインタビューでは、受賞について、また、博士のラボの将来展望についてお話いただきました。
京都で開催されたNeuro2013にて
受賞記念講演を行う合田博士
現在の研究上の関心についてお聞かせ下さい。
シナプス可塑性、特に、異なるタイプの可塑性の間の相関にとても関心があります。具体的に言いますと、一定のシナプスの集合においてどのように活動が行われるのか、あるいはどのように隣接するシナプス間で影響を及ぼしあうか、といったことを調べています。さらに、星状膠細胞の役割やシナプス群を制御している細胞外のマトリックスにも関心があります。
先生は大学時代、化学をご専攻でした。どのようにして神経科学の研究に関心をもたれるようになったのでしょうか。
最初は有機化学を研究していたのですが、少し無味乾燥に感じていました。それで、生命システムについてもっと経験を積もうと決心しまして、バクテリオファージ・トランスクリプション抗終結のプロジェクトに関わるトランスクリプションのラボの夏季奨学プログラムに参加しました。これをきっかけに、細胞核の世界から、その後博士課程を通じて研究することになるタンパク質輸送の方へ関心を転じました。スタンフォード大学院時代、細胞の原形質膜のタンパク質輸送の仕組みやその効果を解明することに力を注ぎました。しかしながら、その研究が終わりに差し掛かった頃には、個々の細胞内で生起している事象を超えて、細胞間の相関に関心が移っていました。これが脳とその機能に惹かれたきっかけです。はじめは、発生神経生物学の方へ進もうと思ったのですが、当時、その分野はまだ産声を上げたばかりの時期だったため、神経の可塑性メカニズム、とりわけ長期増強(LTP)の研究を始めました。その頃、サンディエゴのソーク研究所、チャック・スティーブンス・ラボで行われている興味深い試験管内実験のことを耳にし、我がポスドク時代をその研究室に捧げることに決めました。
科学者としての経歴のなかで、先生の研究はどのように進化してきたのでしょうか。
私の取り組んだテーマという観点からいうと、進化といっていいと思います。つまり有機化学のラボで極小の細胞を相手に電子を当ててその動的反応をみることから始まり、次いでトランスクリプション抗終結プロセスやタンパク質輸送を調べることになり、その後ついに神経生物学に出会い、現在ではシナプスの伝達や可塑性のメカニズムを解明しようとしているからです。技術は絶え間なく進歩しており、10年前には不可能だったことも今では可能です。しかしながら、問題の解明がそれだけ進んだかと言われれば、そうでもないと思います。
近年、技術的な進歩が神経科学の研究の発展に大きな影響を与えてきたとお考えですか。
はい。より創造的にやれると思います。誰でも同じことをできるようになってきています。でも、他人がやっていることを違うやり方でやってみようとすることも大切です。
先生は、米、英、現在は日本と、各国でラボを率いてこられました。米、英に比べて日本での研究はどのように違いますか。
率直に言って、まだ日本での研究方法をしっかり把握できていなくて、自分なりの方法を手探りしているという感じです。理研BSIは、MITにもラボを持たれている利根川博士がトップを務める日本で最も欧米的な神経科学の研究機関だと聞いています。ですから、BSIは日本的な研究機関と言えないかもしれませんが。
海外での研究活動に興味をもっている若い研究者にアドバイスをいただけますか。
誰しも行ってみたい、住んでみたい所があると思いますが、後回しでもいいので、やりたいことが何か必ず考える必要があります。学術の世界で生きていきたいのなら、ポスドク時代を過ごすための適切なラボを選ぶことはとても大切です。自分の研究対象、ラボのクオリティ、参画するプロジェクトに沿って選んでください。それから、自分がそのラボに合うかどうかも重要です。小さなラボに向いている人もいれば、大きなラボで伸びる人もいますから。それから周りの人の意見も参考にして、自分がラボのPIとどのような協力関係を築けるのか、考えてみてください。
先生は数多くの影響力ある論文を発表されました。若手研究者に向けて一流ジャーナルに掲載されるためのアドバイスなどございますか。
まず何よりもいい研究をして下さい。野心的なプロジェクトで明確な結果を出せば、際立った話題が地味な話題よりも記事になりやすいように、あなたの論文は一流ジャーナルを飾るでしょう。でも、いい研究をして忍耐強く頑張れば、遅かれ早かれ認知されるものです。
若手科学者にアドバイスをお願いします。
いまやっている研究を楽しんでください。そして最も大切なことは、自分の研究したいことを知ることなのです。案外、これが一番難しいことなのです。
本年の塚原仲晃記念賞の受賞、あらためておめでとうございます。受賞のご感想をお聞かせ下さい。
とても名誉なことと思っています。
ご自身の受賞をどのように知りましたか。
まずEメールで連絡があり、その後すぐに郵送で正式な通知を受け取りました。
塚原仲晃記念賞トロフィーをもつ合田博士
京都で開催されたNeuro2013での授賞式はいかがでしたか。
晩餐会はとても和やかな雰囲気で、塚原仲晃記念賞を運営するブレインサイエンス振興財団の理事長、廣川信隆先生や、私と共に受賞なさった神谷之康博士、それからその他の受賞者の方々とお会いし、お話ができました。晩餐会が行われているその場で、公式に賞を授与していただきました。
この賞は故塚原仲晃先生を追悼して設立されたものです。塚原先生について一言お願いできますでしょうか。
塚原先生は、神経可塑性や学習と記憶のメカニズムの分野、とりわけ赤核における古典的条件づけとシナプス可塑性における世界的リーダーでした。先生のラボから理研脳科学総合研究センター(BSI)副センター長である田中啓治博士をはじめ多くの優れた科学者を輩出していることが示すように、先生は優れた指導者でいらっしゃいました。先生の突然の死は世界の科学コミュニティにとって大きな損失となりました。
1986年に設立されたこの賞の受賞者中、合田先生は二人目の女性科学者でいらっしゃいます。その点についてどう思われますか。
あらためて、とても名誉なことと思っていますし、日本の科学にとって意義あるステップだと思います。今後、より多くの女性科学者がこの賞の受賞者に名を連ねるよう願っています。