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RIKEN BRAIN SCIENCE INSTITUTE (理研BSI)

あるがままを観察し生命を理解する ~女性科学者の60年にわたる研究生活~

2015年11月18日

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石川依久子研究員は、がんのため2015年5月29日に82歳でご逝去されました。10年間にわたる脳科学総合研究センターでの研究活動に敬意を表し、またその貢献に感謝するとともに、ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

理研との出会い

共同研究者たちと(一番左が石川研究員)

共同研究者たちと(一番左が石川研究員)

2004年11月基礎生物学研究所で行われた「光生物学の課題と光技術の展望」の研究会で珪藻に関する研究発表を行った。講演を終えると、同じ研究会に出席していた宮脇敦史チームリーダー(TL)がおもむろに歩み寄り「うちに来て研究しない?」と声をかけた。超高速ビデオカメラで撮影する材料を探しているという。最初はためらいがあったが、誰も見たことのない藻類の姿を観察できるという誘惑に負け、05年5月から宮脇TLの研究室に所属することになった。

 

科学への興味の芽生え、カサノリとの出会い

裕福な家庭に生まれたが、小学生の時に第二次世界大戦が開戦し、戦時中に母を亡くした。戦中戦後、誰もが生きるのに必死な時代だった。そんな中、闇市で手にした「子供の科学」に夢中になった。女学校時代は理科の先生と一緒によく植物採集に出かけ、科学への興味を増幅させていった。

1952年、石川は東京教育大学(現 筑波大学)理学部生物学科に進学する。当時、大学に進学する女性は一割しかいなかった。石川茂雄助教授の紹介で東京大学農学部水産学科 新崎盛敏助教授の下で研究することになった。

新崎先生のデスクに置かれたカサノリを初めて見たとき、生命の美しさに魅了された。卒論研究では、日照時間とカサノリの開花との関係について調べることになった。カサノリに対する憧憬は何十年経っても変わらない。

 

アメリカでの充実した留学生活
1959年、東京大学応用微生物研究所(以降、応微研)田宮博教授の紹介でアメリカへ渡り、メリーランド大学 Department of Botany(植物学)のRobert W. Krauss教授の下で修士課程を行うことになった。当時、女性の留学はまだ珍しく、出発当日、海藻研究の大家である北海道大学 山田幸男先生が港まで駆けつけてくれた。

留学中はNASAの研究を主に行った。宇宙空間で太陽エネルギーと水のみでクロレラを育成し、人の排泄物を堆肥に使い、循環が可能かどうかを調べる研究だった。アメリカの学生は皆、常に勉強していた。石川は、言葉の壁もあり、現地の学生以上に勉強する必要があった。ジョンズ・ホプキンス大学のポスドクだった、後に夫となる石川晋次氏に勉強をよく教えてもらった。62年メリーランド大学院で修士号を取得する。Krauss教授に「研究室に残らないか」と誘われたが、帰国して晋次氏と結婚する道を選んだ。

 

結婚、育児、大学紛争、夫との死別
帰国後、東京大学化学研究科の博士課程に進んだ。応微研 長谷栄治先生の下、クロレラを用いて葉緑体の形成と退化を生理学的に研究した。進学と同時に晋次氏と結婚し、1964年、長女が生まれた。学問と家事を両立させながら博士課程を修了したが長男の出産と重なり、この時は学位を取れなかった。

保育園に娘を預け、息子をおぶって応微研で実験をし続けた。68年に始まった東大紛争の最中、東大医学部講師だった夫が肺がんで倒れ、40歳でこの世を去った。この時、石川は37歳。子供はまだ可愛い盛りだった。一家を支えるため藻類研究から離れ、71年から国立がんセンターで補助員として働いた。子連れで仕事をするのには厳しい環境であった。子育ては大変だったが、子供たちは石川の財産であり誇りだった。

 

好奇心の赴くままに藻類研究に没頭

博士論文と石川研究員

博士論文と石川研究員

1973年、東京医科大学に助手として迎えられた。この頃から電子顕微鏡が使われるようになり、形態観察もよく行った。77年、クロレラとユーグレナにおける葉緑体の退化と再形成という論文で東京教育大学から理学博士を取得する。

翌年、大阪大学教養部助手の職に就き、11年間で講師、助教授を歴任した。80年にはドイツMax Planck研究所に長期滞在し、沖縄で採取したカサノリの配偶子放出を観察した。82年にはナポリ臨海研究所で、同研究所の引き出しに13年間眠っていたカサノリのシストを光制御で休眠解除に成功した。

89年に東京学芸大学の教授に招聘され、97年に退官するまでカサノリを中心とした多くの藻類研究を行った。多くの学生と共に沖縄や富山湾に採集に行ったことも数知れない。学生の指導は大変ではあったが、それにも勝る充実感があった。

退官後は、東京農工大 安部浩先生や基礎生物学研究所の渡辺正勝先生の研究室に出入りして、藍藻が植物の発育に与える影響などを調べ、興味深い研究結果が得られた。

05年から理研宮脇TLの研究室に研究員として迎えられ、超高速カメラで藻類の挙動を追い続けた。彼らの優雅な海中ダンスを見て、改めて藻類の魅力にはまった。近い将来、この優美な自然の営みを披露できることを願っている。

 

あるがままの自然を感じて「生命」を理解してほしい
自然の美しさに魅せられ、大好きな藻類のことをもっと知りたくて突き進んできた。フィールドでサンプルを採集し、藻類の生態を観続けてきた。現在の手法からすると、とても原始的なやり方である。しかし、あるがままの自然を見ずして、生命を理解することなどできるのであろうか。泥臭い基礎研究の上にこそ応用研究も成り立つのだと思う。生命そのものを慈しみながら観るという作業も、本当の意味で生命を解き明かす過程には必要なのではないか。若い人たちにも、「生物」を謙虚で豊かな感性で見続けてほしいと願っている。

※本文は闘病中の石川研究員から聞き取った内容等を元に作成したものです。