理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.13(2001年8月号)



  言語と脳の内なる邂逅

言語知能システム研究チーム
チームリーダー 菅野道夫


 最近、私は日常言語コンピューティングというパラダイムを広めようとしている。知能アーキテクチャグループに属する私のチームはこのテーマの研究をしており、現在、常勤、及び非常勤研究員15人の内、8人は言語学を専門としている。
 言語への強い関心が芽生えたのは、ファジイ理論の研究を始めて10年程経った70年代後半のことであった。ファジイとは言葉の意味の不明瞭性に代表されるようなあいまいさのことである。
 80年代中頃に米国で知的システムということが言われ始めたが、私にとって、この知は論理的な知ではなく、明晰ではあるが、しかし、日常的であいまいな言語の場における〈知〉であった。臨床の知(中村雄二郎(1))と言ってよい。デカルトやマルクス等の客観主義が嫌になり、パスカルの〈主観性の深淵〉に惹かれて、ファジイと関わるようになったのだが、〈言語の知〉を通 じてウィトゲンシュタイン(2)が好きになった。哲学における言語論的転回(R.ローティ(3))の結果 、20世紀が〈言語の世紀〉と位置づけられたのは、ウィトゲンシュタインに依っている。今、21世紀は〈脳の世紀〉と措定されているが、一方において〈言語の世紀〉に続くものは〈言語の知の世紀〉ではあるまいか。
 この頃、私は言語学については無知であったが、少なくともチョムスキー(4)とは異なる、ウィトゲンシュタインの謂いに適う言語学が必ずあるはずだと思うようになった。そして、偶然、80年代後半にハリデーの言語理論に巡り合うことができた。ハリデーは状況のコンテクストを提唱したマリノフスキーの流れを汲むロンドンスクールの徒で、選択体系機能言語学の創始者である。
 私が知とほとんど同義的に言語に執着する理由は、ヒトの脳の知的情報処理の有り様にある。ヒトは視覚、聴覚、味覚などを通 じて得た外界からの情報を言葉により理解し、融合している、いや、それ以前に言葉による世界の分節化こそが優れてヒトの知的認識の術と言える。

筆者は前列左から2番目

 97年に通産省(当時)によるコンピュータの新アーキテクチャの調査に関するWG主査として、知的情報処理分野の新技術を見極める役を担うこととなった。WGはAI、ファジイ、ニューロ、機能言語学からの委員で構成され、ニューロからは塚田 稔、合原一幸先生が参加していた。昨年3月にWGがまとめた提言は〈日常言語コンピューティング〉技術の開発というものである。これは、コンピュータに言葉を理解する能力を持たせ、コンピュータネットワーク上のすべての情報処理を〈言語化〉しようとするものである。
 言語と脳はソフトウェアとそのハードウェアの関係にある。脳が生み出し、脳の外で主に進化した言語は、逆に脳の進化にも影響を与えていると言われる。言語学によって明らかにされている言語システムの構造(チョムスキーの文法のことではない)と脳の言語野の構造は、従って、通 底し、準同型的なのではないか。論理の知から知の〈組み換え〉を果し、〈言語の知〉を追求するその地平に脳型知能アーキテクチャの姿を見据えたい。



1) フランスの構造主義を日本に紹介した現代日本の代表的哲学者。
2) ハイデガーと並び、20世紀最大の哲学者の一人。哲学の問題は言語の問題であると洞見した。
3) 現代アメリカ哲学の代表者。ウィトゲンシュタインの言語哲学の系譜を〈言語論的転回〉と言い表すことによって、20世紀の哲学を統括した。
4) 幼児がすぐ言語を習得するのは、ヒトの脳の中に〈普遍文法〉が存在するからだとするデカルト主義言語学者。


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