理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.14(2001年11月号




躁うつ病の原因を探る

老化・精神疾患研究グループ
精神疾患動態研究チーム
チームリーダー  加藤忠史

なぜ精神疾患を研究するのか
 この世の中で、どの位 多くの人が精神疾患のために苦しんでいるか、ご存じでしょうか?高血圧、糖尿病、といった病気に比べて、何となく縁の薄い感じがする精神疾患ですが、例えばうつ病は、女性4,5人に1人はかかるという「ありふれた病気」です。精神分裂病や躁うつ病(双極性障害)にしても、100人に1人がかかる病気ですから、友人、知人の中で、必ず1人や2人は発病する、身近な病気なのです。精神疾患は、患者さん本人だけでなく、家族や社会にも、さまざまな負担を与えている上、神経内科の病気と同じ脳の病気であるにもかかわらず、その原因がよくわからないために、患者さんやご家族は世間の偏見にいつもさらされています。その精神疾患を研究するために、これまで主に神経内科の病気が研究されてきたBSIの「脳を守る」セクションに、2つめの精神疾患を研究するチームとして、本チームができました。
 私たちの目標は、二大精神疾患の一つである「躁うつ病(双極性障害)」の原因を解明し、その治療法・診断法を開発することです。脳が精神の変調を来す原因を明らかにすることは、偏見をなくすことにもつながるはずです。


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図1
躁うつ病とは?
 躁うつ病は、精神分裂病と並ぶ2大精神疾患の1つで、躁状態、うつ状態という病相を繰り返す病気ですが(図1)、これらの病相が治ってしまえば、健康な人と何らかわりはありません。しかし、躁状態の時に尊大な態度で社会的信用を失ったり、莫大な借金を抱えたりすることで、元来は人に信頼され、才能がある人が、社会的生命を失ってしまうことがあるという点では、恐ろしい病気でもあります。躁うつ病には、リチウムなどの予防薬が存在するものの、効果 が不十分だったり、強い副作用により服薬を中断してしまうことが多く、多くの患者さんは再発を繰り返し、ついには失職、離婚などの社会的損失を被り、また患者さんの4人に1人が自殺により命を落とすと言われています。

躁うつ病の原因
 躁うつ病の原因としては、遺伝要因が大きく関与することはわかっていますが、長い研究の歴史にもかかわらず、原因となる遺伝子は一つも見つかっていません。むしろ、単一遺伝子の異常による遺伝病とは違って、遺伝子の「異常」ではなく、一つ一つは有利に働くような遺伝子の個人差(多型)の組み合わせで、罹りやすくなったり罹りにくくなったりする、「多因子遺伝」と考えられ、これが原因解明を難しくしています。
 治療薬の作用などから、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどが関与することは確かのようですが、これらに関する遺伝子多型と躁うつ病の関係もはっきりしていません。躁うつ病患者さんの血小板で、伝達物質に対する細胞内カルシウム反応が亢進していること、リチウムが細胞内情報伝達系に働くことから、この経路の機能変化が躁うつ病と関係すると考えられます。


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図2
躁うつ病(双極性障害)の病因に関するミトコンドリアカルシウム仮説 mt
DNA: mitochondrial DNA
[Ca2+]i: Intracellular calcium concentration. [Ca2+]m: Mitochondrial calcium concentration.
躁うつ病の原因解明へのアプローチ
 私は元々精神科医で、これまで躁うつ病の原因を探る臨床研究を続けてきました。磁気共鳴スペクトロスコピー、臨床遺伝学、ミトコンドリア遺伝子の研究などを通 して、これらのデータを総合的に説明しうる仮説として、ミトコンドリアによるカルシウム制御機構の破綻が躁うつ病を引き起こすのではないか、という作業仮説に至りました(図2)。
 昨年9月に発足したこのチームでは、躁うつ病の原因を明らかにするため、「ミトコンドリアカルシウム制御仮説」を検証するという仮説検証型アプローチと共に、DNAチップなどの網羅的探索法を用いて、躁うつ病関連遺伝子を明らかにすることを目指しています。
 すでに原因物質の見当がついている病気と違って、躁うつ病という原因がはっきりしない病気の原因探求には、分子・細胞レベルから個体レベル(脳画像、神経生理)まで、学際的なアプローチが必要となります。そのため本チームには、分子生物学、電気生理学、組織病理学など、さまざまなバックグラウンドを持った研究者が集まり、一つの目標に向かって、違った方向からの検討を行っています。


研究内容
 実際の研究内容は以下の通りです。 まず、ミトコンドリアカルシウム仮説の検証として、
(1) 躁うつ病患者さんより培養したリンパ芽球における、細胞内カルシウム代謝の検討
(2) 躁うつ病患者さんの血小板のミトコンドリアDNAを導入したハイブリッド培養細胞における、新規蛍光蛋白Pericamを用いたミトコンドリア内カルシウム画像およびミトコンドリア機能の検討
(3) ミトコンドリアのカルシウム制御に関わる分子の同定
(4) 躁うつ病患者さんにおけるミトコンドリア・カルシウム関連候補遺伝子の変異検索
(5) 躁うつ病患者さんの死後脳におけるミトコンドリア遺伝子欠失とその局在の検討
(6) ミトコンドリア遺伝子変異蓄積モデル動物を用いた、カルシウムシグナリング、神経可塑性、および行動感作についての研究
(7) 近赤外スペクトロスコピーを用いた脳血管反応性の検討
など、多方面からの検討を行います。 一方、この仮説にこだわらず、躁うつ病関連遺伝子を直接同定することを目的として、以下のような方法で網羅的探索を行います。
(1) 躁うつ病患者の死後脳におけるDNAチップを用いた遺伝子発現変化の検討
(2) 一卵性双生児躁うつ病不一致例の培養リンパ芽球を用いたDNAチップによる遺伝子発現変化の検討

おわりに
 これまで、精神疾患の解明は、精神科医個人の細々とした努力により行われ、遅々として進まなかった感がありましたので、BSIという本格的な脳研究センターで、PhD研究者の方々が、真剣に精神疾患解明に取り組んでくれるということは、本当に素晴らしいことです。与えられた5年間のうちに、躁うつ病の原因の一端を解明できるよう、頑張っていきたいと思っています。


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