理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.16(2002年5月号)




脳型情報システム 研究グループ
グループディレクター 甘利俊一

脳と数学
 脳と数学といえば、奇妙な取り合わせと思う方も多いかもしれない。しかし、数学は脳の所産である。考えてみれば、サルからヒトへと進化した時代、さらに原始人の時代には、誰も数学などはしなかった。また、数学が生存競争上有利になったのは、受験戦争の時代ぐらいのもので、こんなものは無用だった。しかるに、人間は数学を創ったし、脳は抽象化した数学を苦もなくこなせるほどに進化していたのである。
 数学は科学の女王といわれる。それならば、脳の最高の産物である数学を使えば脳を解明する新しい道が開けるはずである。こうした想いが、脳型情報システム研究グループの脳数理研究チームを生み出したのである。
 少し大上段に構えて、20世紀の科学を展望してみよう。20世紀科学は物理学の驚異の発展が主導した。相対性理論と量子力学は時空の概念をくつがえし、諸科学の規範として君臨し、かくして物理学大帝国が生まれた。その成果はエレクトロニクスを始めとする先端技術となり、現代技術社会を支えている。一方、数学も高度に抽象化現代化して、他を寄せつけない孤高の帝国を築いたかに見える。しかし、これらの大帝国にもかげりが見える。
 生物学はと見れば、20世紀前半は種の多様性を観察し分類する博物学的段階にあったものが、20世紀半ばから、分子の言葉で生命に共通の原理を語り始めた。これが急速に発展し、いまや遺伝情報を解読し、蛋白の機能に取り組み、さらには脳のシステムに迫ろうというのである。まさにバイオの時代の到来である。
 一方、20世紀後半のコンピュータと通信の技術に支えられて台頭した情報科学・技術を忘れるわけにはいかない。いまやインターネットが個人と社会を世界のすみずみまで結び、新しい情報化社会の文明を生み出そうとしている。物理と数学の帝国に代わって、バイオと情報の時代が訪れようとしている。
 さて21世紀、新千年紀に入った。これからの科学は、今までの専門分化したものから、総合化へと進むであろう。特に、人間や社会自体の本質を見極めることが重視される。人間といえば脳である。脳こそが、生物が創り出し発展させた最も複雑なシステムである。それは生体分子の機能を高度に利用したニューロン、そして驚くべき複雑なネットワーク・システムから成る。その機能は個体の情報管理・情報処理であり、さらに人間では心がここに宿る。
 脳はまさに生物と情報の結節点にある。脳を解明するには、生物と情報とを融合した視点が必要になる。ポストゲノムとして、蛋白の機能解析に両者を統合したバイオインフォマティクスの重要性が論じられている。まさにそうであるが、その次は脳なのである。脳研究において理論の主導する計算モデル、情報処理モデルが実験的な研究から得られ、また逆にこれを検証すべく実験パラダイムを創り出していかなければならない。
 脳の理論モデルの構築とその解明には、情報、数理、物理、工学などの多くの手法を統合することが必要である。その中で、私は数理を強調したい。コンピュータの基礎には高度の数理的体系が存在し、その計算の原理を明らかにしている。しかし、これは脳の計算原理とは全く異なる、どちらかといえば単純なものである。
 脳はなぜこのようにすばらしい情報能力を獲得できたのであろうか。そこには、ニューロンから成る回路網を用いた非線形多自由度高度並列の持つ、原理的な可能性があるに違いない。この可能性を数学的理論としてぜひ構築してみたい。これは、現在の象牙の塔にこもった数学でできることではない。多くの学問と協力した新しい数理科学が必要である。理研BSIが新しい学問を主導し、世界のセンターとなること、これこそが私の夢である。

 

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