理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.17(2002年8月号)




右から3番目がナイル マーフィー上級研究員

神経回路メカニズム研究グループ
上級研究員 ナイル マーフィー


たどり着くべきところ
 「高校を出てから、本当はロンドンの病院で仕事を探すつもりでした。ところが、どういうわけか予定していたロンドン行きの列車には乗りませんでした。乗り遅れたのか気が変わったのか、はっきり覚えていませんが、代わりに乗ったのはオックスフォード行きでした。」
 ナイル・マーフィー氏は、穏やかな口調で我々にこう話したのです。イギリス出身で、現在神経回路メカニズム研究グループの上級研究員を務めるマーフィー氏は、脳内神経の機能と行動の関係に基づいた薬物中毒の原理を研究しています。
 今後の人生に関わることをこのように簡単に変更してしまうことに驚きを隠せなかったのですが、マーフィー氏は、さらに続けました。
 「人は時々、“運命がこの決断を下した”と思うことがあります。しかし、どちらの道をたどったとしても、結局最後にはたどり着くべきところにたどり着くということはよくあることです。例えば、このようなこともありました。オックスフォードで1年間働いてから、ロンドン大学で引き続き勉強し、エジンバラ大学へ行く予定だったのですが、様々な理由から土壇場になって行けなくなってしまいました。幸運にも、当時の教授がケンブリッジ大学へ行くことを薦めてくれ、大学院生として勉強できる研究室を探すのを手伝ってくれたのです。2年後、私の大学院の教官がエジンバラ大学に移り、不思議にも、私が最初行こうと考えていたところすぐ近くにたどり着いたのです。
 道は予定とは異なりましたが、結局同じ場所にたどりついたわけです。たとえロンドン行きに乗っていたとしても、結局は理研で研究をしていたと思います。」

小さな子供に自分の研究を説明できるか
 マーフィー上級研究員は、イギリス北部のマンチェスターに近い町で生まれました。7〜8歳の頃から顕微鏡や実験用キットが大好きな科学少年でした。コンピューターを買ってくれるよう両親におねだりしたこともありましたが、その頃は、コンピューターは、まだ高価なものでした。
 科学に対する関心がどのようにして現在の生物学につながるのかを尋ねたところ、苦笑いをしながら次のように答えました。「正直言って、そのときは生物には関心がなかったと言わざるをえません。高校生の私は、植物や昆虫、ヘビにはほとんど興味がありませんでした。」後に、オックスフォードの病院でテクニカル・スタッフとして働いたことが医学に携わるきっかけになりました。研究者としての生活も10年を数えるようになりましたが、いまでも時々、子供のころ遊んだ実験用キットを懐かしく思い出すことがあると言っています。
 「あの頃は、“この薬品とこの薬品を混ぜたらどうなるのだろう”などと、好奇心のおもむくまま、いろいろなことを楽しんでいました。もちろん、現在の私の研究テーマに対しても意欲・興味をもって取り組んでいます。でも、純粋に自分の気の向くままシンプルに実験を楽しめた頃の自分が実はちょっと羨ましいのです。もっともあの頃の僕の“研究”といえば、何の役にも立たないことばかりでしたけどね。」といたずらっ子のように笑うマーフィー上級研究員でしたが、「でも...」と真顔に戻ります。
 「当然、高校、大学、そして研究者の道へと進むにつれ、物事をより深く知ることができるようになりました。特定分野の知識が深くなった反面、他の分野が狭くなってしまっているのではないかという不安がふとよぎることがあるのです。自分の研究テーマをどんどん深く掘り下げていくことは大切なことです。でもその内容を、たとえば小学生にも分かるように説明することができるでしょうか。もちろん、多くの研究分野においてそれは難しい事でしょう。しかし、もし、専門外の人にも分かり易く自分の仕事を説明できないならば、人や社会との関連性を見失いかけてはいないか問うべきだと思うのです。」


研究とは何台のテレビモニターを同時に見ること
 マーフィー上級研究員は、「研究とは、何台も並んだテレビモニターを見るようなものだと時々思うのです。」と言っています。「周りにはいろいろなモニターがあるのに自分のモニターしか見ていなかったということに最近になって気づきました。いま私は周囲のモニターも同時に見られるような立場にいますが、これは研究者としてとてもうれしいことです。」
 最後に、「ご自分のお子さんには、研究テーマをどのように説明しているのですか」と聞いてみると「まだ独身なのですが・・・」と、ちょっと困った顔をしながら、「もしいたらこう言うでしょうね。“お父さんの研究は、人がある事をしたいと思う一方で、他の事はしたくないのは何故かということ。つまり、おまえがどうして宿題をやりたくないのかということを調べているのだ。早く宿題をやりなさい”ってね。」



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