理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



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海馬における記憶形成と想起の過程に関する研究

RIKEN-MIT脳科学研究センター
強化情動機能研究チーム

Dr. Matthew Wilson


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図1 2本の異なる直線状迷路における海馬場所細胞活動野(place fields)。着色点は海馬CA1領域中の個々のニューロンスパイクを示す。異なる細胞(色)はトラック上の異なる位置で発火している。
序 論
 ウイルソン研究室では、自由に行動している動物において神経回路に分散的に蓄えられる記憶の形成と維持の根底をなすメカニズムに焦点をあてた研究を行っており、記憶は神経の集合レベルにおいてどの様に見えるのか、経験によってどの様な影響を受けるのかといった根本的な問題に取り組んでいる。

行動電気生理学と分子遺伝学の協力
利根川進博士の研究室との共同研究を通して、行動中の神経活動の測定を遺伝子導入技術と組み合わせることにより、特異的な細胞メカニズムが、どの様にして行動レベルの 学習や記憶を生産する神経機能を制御するようになるのかを研究することができるようになった。最近の実験では利根川研究室の中沢一俊博士により開発されたマウスを利用しており、NMDA受容体の欠損は海馬のCA3領域に限定されている。CA3は再帰的な結合を多く持つので、自己想起型の連想記憶回路として、一部の手がかりから完全な記憶を想起す る機能(パタンコンプリション)を海馬のこの領域が果たしている可能性が示唆される。パタンコンプリションにおいては、記憶が形成されたときの本来の目印の一部分しか存在しなくても、ネットワークは完全な記憶を想起することができる。
 このことをテストするためには進路を決定するために迷路の外に4種の目印を空間的に配列し、水槽の中に隠された踏み台を見つけるようマウスを訓練した。一部の目印しか与えられないとき、マウスが水槽の中でいかにうまく空間的記憶を想起できるかを試験するため、タンクの外の目印をいくつか取り除いた。このような方法で試験した場合、正常なマウスであれば簡単に踏み台の位置を思い出すことができた。しかし、海馬CA3領域内のNMDA受容体に異常のあるマウスでは正常に機能しなかった。Michael Quirkと中沢一俊はこれらのマウスの海馬内部に電極を挿入することにより、空間的記憶の形成及び想起に関連する神経活動性パターンをこれらの動物で観察した。空間的な配置がわかることにより海馬内に経験の記憶に相当すると考えられる独特の活動パターンが作り出された。個々のニューロンは空間内の特定部位の記憶に呼応して、場所細胞の活動を示した。4種の目印が全て存在する環境を実験動物が探索するときには、遺伝子改変マウスの場所細胞の活動のパターンは正常であるように見えた。しかし目印を取り除くと、細胞の反応は正常動物中の細胞よりも遙かに弱くなった。一部の目印しか情報がないときに反応が減衰した原因は、CA3領域において、その環境での完全な記憶を想起する能力が失われたことによる。

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図2 2種の異なる線形迷路上の深部嗅内皮質中の3細胞(列)のplacefield。呈色は迷路上の位置による平均発火率を示している。個々の細胞がW及びU型のトラックで類似した方法で発火することは、発火は環境を越えて一般化することを示唆している。
海馬の記憶処理過程における空間的−時間的連続性
海馬シナプス結合の単純な連想記憶特性に基づくモデルにより、これらの動物にみられる空間的文脈記憶形成、及び想起の基本特性を説明することができる。一方で、シナプス活動前後のタイミングにより、シナプス可塑性は時間的に非対称な方法で制御されることが知られている。数十ミリ秒単位のごく一瞬の間に、シナプス後出力に先だってシナプス前活動が到達することによりシナプス増強作用がもたらされ、反対にこの順序が逆転することによりシナプスは抑制される。Mayank Mehtaは、海馬中のシナプス可塑性にみられる特性により、ある環境下では行動履歴を反映するかもしれない空間受容野に空間的非対称性変化が導かれ、こうしたことによって動物では時間的に連続した空間的経験の記憶が形成されるのではないかということを提唱している。この予測は、CA1領域の場所細胞の活動野(place fields)により、行動履歴と一致した空間的非対称形、及びこの領域のNMDA依存的シナプス可塑性の時間的非対称特質が急速に獲得されることが発見されたことで確かめられた(図1)。
 この結果は、海馬及び隣接領域は時間的に連続した経験の処理に関与しているかもしれないこと、特に空間的経験としては空間的軌道に関与していることを示唆している。正確にはこのような反応は空間的課題が複数の経路に関与している間に観察される。Loren Frankは、海馬への入力を提供し、かつ海馬の出力を受け取る嗅内皮質の表層及び深層細胞から同時に記録を行った。それぞれの領域内の細胞は空間的軌道又は経路に依存することが発見された。海馬の出力を処理する嗅内皮質深層のニューロンは環境を越えて一般化するようにも見える(図2)すなわち特異的で希な経験から一般的モデルの構築を可能にするような空間的行動の規則性を獲得するようにも見え、またこのことは新たな環境に対しより当てはまる。このような性質は新皮質と海馬記憶系との違いを示す特性かもしれない。


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図3 
(A)睡眠中の海馬場所細胞10個の活動性。Sleep1及びSleep2はそれぞれ行動性課題(run)の前後の記録。REM睡眠期間は灰色で示した。(B)数分間の行動による活動性パターンはREM期の数分間の活動性パターンと一致した。(Louie et al., Neuron, 29:145-156, 2001)
睡眠中における記憶の再活性化の検討
覚醒行動する動物の学習と記憶に関するこれらの研究に加え、睡眠の本質及び記憶処理におけるその役割についても研究した。以前の理論では、睡眠状態は記憶固定の過程に関与し、その中で記憶は短期間から長期間の保存に移行し、おそらくより効率的な形態に再編成されると考えられていた。海馬ニューロン及び隣接する大脳皮質ニューロンの応答の時系列としての性質について観察したところ、時間的に順序立ったイベントもまた、この領域中に保存されることが示唆された。
 時間的に順序づけられたイベントの記憶を観察するため、睡眠中の海馬ニューロンの活動性を調べた。睡眠の研究を行うことにより、感覚性及び行動性入力は活性化に寄与しない状況での記憶活性を確認することができる。それ故、この活動性は神経基質上に残る経験の影響を直接的に反映するものであることが主張でき、必然的に記憶の基礎をなすメカニズムに由来するものであることになる。当研究室のAlbert Leeは、経験されたばかりの時間的できごとの記憶は、その経験直後の徐波睡眠の期間に圧縮された形態で再活性化されることを発見した。この記憶再活性化は、およそ100ミリ秒継続する「ripple」として知られている短期間の協調的な神経活動のうちに発生することが多い。Thanos Siapasによる以前の知見によれば、これらの海馬活動現象は睡眠紡錘波として知られている新皮質自律活動のイベントと連動して発生する傾向があり、これらのイベントは海馬と新皮質との間の総合作用を含む記憶固定過程の初期段階としての機能を担うものと考えられている。
 また我々は、海馬回路の重要な機能であるとみられている時間尺度の長い、経時的イベントの記憶の証拠を、睡眠中のラットにおいて、海馬ニューロン集合体として場所細胞の活動パターンを調べることにより発見した。Kenway Louieは数分間継続するイベントの系列の記憶が、24時間以上の覚醒を経た後で、REMエピソードの40%以上において経験と同じ時間尺度により再生されることを発見した(図3)。経験時と再活性時の一致は十分に強固なものであり、REMエピソード全体の過程において一秒毎に空間軌道の再構築をすることが出来るほどである。


結 論
以上の結果は全体として連想記憶の貯蔵及び想起における海馬の主要な役割を示すものである。環境内における特定の行動に関する記憶の時間的構成成分はこの領域内のシナプスの時間的に非対称な修飾として記銘される。こうして行動の経路又は軌道が海馬記憶系に組み込まれる。新皮質内では嗅内皮質深層中の応答で示されたように、これらの経路又は継続的できごとを一般化することにより、経験に基づいてる、様々な条件下で実験動物を誘導することができる行動モデルを構築する手段を提供することになるだろう。睡眠中におけるこれらの記憶の想起及び再生は、海馬中のこの記憶情報が次第に新皮質回路に取り込まれるメカニズムを提供しているのかもしれない。

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