理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



局所刺激による細胞内シグナルの伝播メカニズムを解明

 細胞機能探索技術開発チーム

1.背 景
 細胞を局所刺激して生じたシグナルが、どのように伝播していくか?という問いに対して明解な解答が得られていなかった折、「局所刺激で生じたシグナルは、速やかに細胞全体に伝播する」という説が提唱されました(Verveer, P. J、(2000)Science 290 1567)。刺激非依存的なシグナルの伝播が実験的に示されたのです。この論文に対して、懐疑的な反応がありました。正常の細胞においては、局所刺激によって細胞増殖や分化などが空間的に緻密に制御されています。従って、刺激の空間的特性にかかわらずシグナルがall or none的に伝播するという説を素直に受け入れることに抵抗を感じました。先の論文の著者らは、リン酸化シグナルを可視化する為に細胞にEGFR-GFP(上皮増殖因子受容体にGFPを繋いだもの)を過剰発現させた結果、あたかもガン細胞のような状態を作り出していました。また局所刺激を可能にする為に、刺激するEGF(上皮増殖因子)を0.8μmのビーズに結合させたものを使用しましたが、ビーズによって、EGFとEGFRの複合体がエンドサイトーシスされ代謝されていく本来の負の調節機構は抑制されると危惧されました。そこで我々は、以下のような新しい手法を用いて、局所刺激で生じたシグナルが“刺激部位に留まるか”、“細胞全体に伝播するか”という基本的な問題に取り組みました。

2.いかにEGF シグナリングを可視化するか?
 細胞膜上の受容体によって受け止められる外界からの刺激は、種々のタンパク質の相互作用を経て、特定のシグナルを発生し、時間的・空間的に特徴的なパターンを形成しながら、細胞の増殖や分化の発現に関与します。我々は、(1)細胞内シグナル伝達を感知する2種類の蛍光指示薬(プローブ)、(2)細胞に局所的に刺激を与える装置、を駆使してイメージングを行い、シグナルが細胞内で時空間的にどのように拡がるのかを解析しました。阪大微研、松田道行博士との共同研究で、EGF結合直後に起こるEGFRの自己リン酸化を可視化する蛍光プローブ(Picchu-X)と、その下流で起こるRasタンパク質の活性化を可視化する蛍光プローブ(Raichu-Ras)を利用して、局所的な細胞内シグナルの可視化を実現しました。これらのプローブは、イメージングに必要な量を導入しても細胞本来のシグナル伝達システムに影響を与えない事が証明されています。一方、ミシガン大学の高山秀一博士との共同研究で、細胞にEGF局所刺激を行うための流体力学的技術(PARTCELL)を適用しました(図A.B.C)。流路を狭く、また流れのスピードを遅くする事によって層流を実現させ、1個の細胞がEGFを含む流れと、含まない流れに同時にさらされるような状況を作り出しました。RhodamineでラベルしたEGF(Rhodamine-EGF)は、水溶性のまま細胞に作用するので、ビーズを用いた場合と異なり、受容体との複合体形成後、エンドサイトーシスの経路を辿って受容体の不活性化を導く事が可能です。

3.EGF シグナリングの時空間的パターンを解く
 通常のCOS細胞(EGFR=40.000/cell)をPARTCELLのカバーグラス上にプレートし、Picchu, またはRaichu-Rasを発現させ(図D.左上)1個の細胞の一方をRhodamine-EGFで刺激したところ(図D.右上、白色部分)、局所的EGF刺激に対して、形質膜直下で起こるチロシンリン酸化シグナルも、Rasの活性化もその刺激部位に留まる様子が観察されました(図D.下段、青色から赤色への変化が、活性化部位に対応)。一方、COS細胞にEGF受容体をover-expressionして形質膜上のEGFR密度を上げる(EGFR=500.000/cell)と、どちらの現象とも刺激後速やかに細胞全体に渡って伝播する事が分かりました(図E)。これらの結果から、EGF刺激によって起こる細胞内シグナリングパターンは、細胞膜上のEGFR密度に依存することが示唆されました。また、通常のCOS細胞をエンドサイトーシスの阻害薬物で処理しておくと、活性化EGFRが形質膜に蓄積する結果、局所刺激後にゆるやかに細胞全体にシグナルが伝播するのが観察されました。以上の結果から、形質膜上の受容体の密度、および活性化された受容体を取り込む能力(エンドサイトーシス)が、“シグナルが刺激部位に留まるか”、“細胞全体に広がるか”を決める重要な要素となっていることが明らかになりました。この2点に関する情報が得られれば、その細胞が局所的EGF刺激を受けた時、チロシンリン酸化シグナルが時空間的にいかに拡がるかを予測できることになります。従来の研究は、このようなパラメータに関して研究者がほとんど考慮、またコントロールしなかったため、実験データから包括的な理解が得られませんでした。本研究結果は、その問題に対する明確な解答であり、従来の研究データを見直すきっかけとなるものです。例えば、多くの研究者が行っているように、GFPを融合したEGFRを細胞に大量に導入した時点で、細胞によっては、チロシンリン酸化シグナルの局在化は観察されないことを意味しています。

4.今後への期待
 今回の実験系は、実際の生体での状況を考慮したものであり、発生過程における生理的な器官形成動態を解析する上で重要な知見を提供するものと期待されます。殊に個々の細胞が非常に多様な形態を示す脳神経系の研究においては、局所刺激によるシグナル伝播を解析することが重要であり、今後の脳科学研究の発展に大きく貢献するものと考えられます。また、本研究で得られた成果は、ガン細胞の侵潤、転移のような病理的な細胞増殖現象のメカニズムや、抑制機構についての理解を導くと思われます。つまり、oncogenicな受容体をエンドサイトーシスする能力を亢進することなどによって、形質膜上の受容対密度を調節し、ガン細胞の異常増殖を抑えるという新たなアプローチが可能となり、臨床医学的にも大きなインパクトを与えるものと期待されます。


Sawano A, Takayama S, Matsuda M, Miyawaki A.(2002). Lateral propagation of EGF signaling after local stimulation is dependent on receptor density. Dev. Cell. 3. 245-257.

 

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