20年以上前の高校時代のことです。「将来研究者を目指すにあたって、このまま普通に日本の高校を出て、普通に受験して大学に行っていいのだろうか、創造的な仕事をするためには、オーソドックスではない道を進むべきだろう」と考え、高校を休学して交換留学生として渡米しました。幸い、留学先の生活は充実していた上に、とび級させてくれ、卒業資格を取って帰国しましたので、結果的に学年を遅れることなく、大学に進学することが出来ました。
しかし、高校時代に渡米したことは、今思い返すと冷や汗ものの冒険でした。当時の日本の教育システムにおいてレールの途中から外れることは、とてもリスクの大きなことでした。一方で、自然科学と同様に、冒険によってしか得られないものは確かにあったようで、これは、研究者としての私の原点の1つだと思っています。まだまだ目標の1%くらいしか達成していませんので、残りの99%に向けて冒険を続けて行きたいと考えています。
この「冒険」の場を求めて、私が理研BSIに移り、はや1年が経ちました。前任地の(財)東京都臨床医学総合研究所(通称「臨床研」)にもまして素晴らしい研究環境ですから、ここで成果が上がらなければ、よほどテーマの選択が悪いか、やり方に問題があるかということで、無能の烙印を押されても仕方がないだろうと思います。
このようなプレッシャーは、私だけでなく多くのBSI関係者が感じていることだと思いますが、適度なストレスは脳を活性化しますから、これは決して悪いことではないと思います。しかも、我々の研究は国民の税金によって賄われているわけですから、これを有効に使わないことは、犯罪的な行為です。ただ、長期にわたる過度のストレスは、病的なまでに個体の活性を低下させてしまいます。ましてや、冒険してやろう、という意欲など何処かにいってしまいます。人間集団によって作られる組織も同様で、適当なバランスが大切です。この意味で、多分、BSIは非常にクリティカルな時期にあると思います。うまい表現が見つかりませんが、個人、チーム、所のレベルで互いを盛り立てるような空気を作り、そして、維持していく必要があります。
もう1つ研究者にプレッシャーを与えているものが、任期制という人事制度です。私が初めて理研に来た時に、「少し明るさに欠けるのは、この任期制のためかな」とさえ考えたくらいです。しかし、いわゆる終身雇用的なポストに就いたとしても60才前後までのことですし、今20代30代の人がその歳になった頃は、終身雇用という概念さえ存在しないだろうと思います。ましてや、研究者というものは、自分をプロサッカーチームの選手や監督と同様なものと考えるべきでしょう。研究を生業とすることは、かなり特権的なことでありますし、目指すは日本水準ではなく世界水準だからです。ただし、将来に対する不安は誰もが持っているはずですので、これを解消するための努力をしていることを、積極的に表現する義務が私たちにはあると思います。これは結果的に優秀な研究者をリクルートすることにもつながります。