理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)Brain Science Institute



神経難病の特効薬を探す

病因遺伝子研究グループ
グループディレクター 貫名信行


異常な不随意運動や小脳失調症状、筋萎縮など様々な症状を呈する CAG リピート病の研究が最近ホットな話題を提供しています。この疾患の発症メカニズムの解明や、治療法の開発の研究最前線について、病因遺伝子研究グループの貫名信行グループディレクターに聞いてみました。

Q CAG リピート病とはどんな病気で、どんな原因で起こるのですか?

図1
ハンチントン病モデルマウス核内にユビキチン染色で染まる封入体が見られます。この病変はヒトの病変としても認められました。
A.  現在知られている CAG リピート病には、舞踏病といわれる不随意運動の強いハンチントン病や、小脳失調を示す遺伝性脊髄小脳失調症、そして運動神経が侵され筋肉が萎縮する球脊髄性筋萎縮症などがあります。CAG リピート病は遺伝性の病気です。球脊髄性筋萎縮症は伴性劣性遺伝ですが、他の病気はみな常染色体優性遺伝です。
 人の遺伝子の中には CAG や CCG、CTG といった3つのヌクレオチド(トリプレット)の繰り返し(リピート)が存在します。その繰り返し数は人によって異なります。健常な人の場合はその数にある程度の制限があります。しかし、CAG リピート病などの疾患にかかっている人の場合は、その繰り返しが異常に伸びているのです。こうした疾患をトリプレットリピート病ともいいます。
 CAGリピート病は、CAGリピートが遺伝子の蛋白をコードしている領域にあり、CAGリピートが翻訳されたグルタミンの繰り返しの伸長が発症機序に大きく関わっていると考えられます。

Q 先生がこの病気の研究を始めたきっかけは?
A.  私はもともと神経内科医でしたので、多くの神経変性疾患の患者さんを診察してきました。その中には遺伝性の疾患が多く、原因となる遺伝子も不明でした。治療も困難で、症状を抑えることや励ますことが唯一できることでした。
 ところがこの10年ぐらいで、これらの疾患の遺伝子異常を見つけることができるようになりました。しかし、遺伝子異常がわかっても、その疾患の発症機序がわからず、結局診断がついても治療法がない、あるいは未発症者の遺伝子診断はできるのに発症予防ができないというジレンマに直面しました。
 そこで、こうした遺伝性の疾患の発症機序の解明や、それに基づく発症予防の研究をしたいと思ったわけです。CAG リピート病は共通の機序に基づく疾患群です。そのため、その病態の解明は、比較的多くの患者さんの治療やその家族の発症予防を可能にすると考えました。また、このような研究を推進することにより、一つの遺伝子の異常による病気(単一遺伝子病)の病態解明にも波及効果があるのではないかと考えたわけです。

Q これまでにどのような研究が行われてきたのですか?
A.  CAGリピート病のように、細胞が何も残さず死んでいく病気の研究は困難です。しかし、その壁を破ったのがポジショナルクローニングという研究方法です。遺伝性脊髄小脳変性症の研究では、DRPLAや MJD、SCA2という病気の原因遺伝子が日本で同定されました。こうした成果の基礎には、臨床病理像を分類してきた神経内科、神経病理学者の貢献があると思います。
 最近では他の基礎研究にならい、私たちの研究分野でも、遺伝子産物の同定とその機能を調べるための細胞内での発現の研究、遺伝子のノックアウトマウスの作成、異常遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの作成などが行われています。

Q ポジショナルクローニングとは?
A.  現在では、染色体の様々な位置に数多くの遺伝子マーカーがあり、これを基に遺伝性疾患の解析を行います。これらの遺伝子マーカーには、遺伝する多型というものが存在します。ある病気では、発症者がみんなある遺伝子マーカーのパターン A を持っていて、未発症者が他のパターンだったとすると、遺伝子マーカーのパターン Aの近くに原因遺伝子があると考え、さらに原因遺伝子の決定をめざして細かい解析を行っていきます。
 このような方法で、従来生化学的に原因物質を同定できなかった疾患に関しても、原因遺伝子の同定が可能になってきました。しかし、この方法をもってしても、病気の発症機序は不明のものが少なくないんです。


Q 先生のチームではどのような研究を行っていますか?
A.  私のチームでは単一遺伝子疾患研究のモデルとして、CAGリピート病を対象として研究しています。研究ではモデル系の作成が中心になります。現在、細胞とマウスのモデル系を作成しています。
 細胞は、ポリグルタミンと GFP を結合した蛋白を誘導して発現する系を用いて、細胞死を起こせるようにしています。マウスは、イギリスのグループが作成したトランスジェニックマウスを用いて細胞と個体の違いを検討しています。
 細胞の系は凝集体を形成しながら4日ほどで死亡しますが、マウスでは凝集体をほとんどすべての神経細胞が持っていても死んではいません。おそらく個体では細胞死に抵抗する機序が働いていて、細胞は病的な状態で存在しているのではないかと考えています。このような差を引き起こす遺伝子の探索を、ディファレンシャルディスプレー法などを用いて検討しています。

Q 他の神経疾患研究との関連性は?
A.  私CAGリピート病の変性性神経疾患であるアルツハイマー病やパーキンソン病などは、双方とも蛋白の蓄積が原因となって引き起こされる疾患です。ですから「蛋白の構造変化」という点で、共通の発症予防法が見つけられる可能性もありますし、またそれによって引き起こされる細胞死に共通点があれば、共通の細胞死抑制法が見つかるかもしれません。


図2
細胞モデルマウスの神経芽細胞にハンチントン病遺伝子を蛍光蛋白(GFP)と結合して導入しました。
核内や細胞質に蛋白の凝集体が認められます。



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図3
蛋白質の構造変化の引き起こす神経変性過程
蛋白が正常な状態では安定した構造(ネイティブな状態)をとりますが、突然変異などのために、蛋白質の正常の構造が崩れ(アンフォールド)、正常と異なる分布を引き起こしたり(核移行)、凝集したりし、細胞死を引き起こすシグナルを活性化したりします。シャペロンと呼ばれる蛋白は、正常の構造を維持するように働き、また細胞死に関与するカスペースの阻害剤は、細胞死を抑制することによって、これらの病気の治療の可能性を示しています。
Q 治療的研究や治療法の開発は?
A.  残念ながら治療法の開発はまだまだという感じです。最近、細胞孔を誘発するカスペースという蛋白分解酵素のインヒビター(阻害剤)の投与で、トランスジェニックマウスでの発症を遅らせられることが報告されました。疾患の本質的な発症予防ではありませんが、今まで治療不可能と思われていた神経変性疾患に展望を与えるものといえるかもしれません。
 CAG リピート病研究では、モデル系研究がかなり進んでいます。今後、その系で効果のある物質が発見されれば、患者さんに直接試せる段階までの道は以前ほど遠くないと思われます。いつ頃までに?という質問に答えるのは難しいですが、2年前私が臨床の場にいた頃に感じていたような「神経変性疾患の発症予防は不可能に近い」という感じは大分薄らいできています。

Q 最後に今後の研究への意気込みをお聞かせ下さい。
A.  研究の進展の度合いは、結局それを行う研究者数に影響を受けるというのが私の印象です。
 15年程前アルツハイマー病の研究者はそれほど多くありませんでした。しかし、高齢者人口の増加に伴う研究予算の増加、将来を見越したベンチャー企業、製薬企業の参入で、その後急速に研究者人口が増加してきました。このことが、最近のアルツハイマー病の研究の急速な進展を支えていると思います。
 理研のような基礎研究を行う研究施設において、CAG リピート病を含む疾患研究を行えるようになったことは、神経変性疾患研究の研究者人口を増やすきっかけになるのではないかと思っています。現に私のチームにも、様々なバックグラウンドの研究員が加わってくれています。
 今では患者さんを直接診察することはなくなりましたが、研究員の力や企業との共同研究を通して、こうした難病の発症予防の糸口を見い出すことが、病気で苦しむ患者さんやその家族に対して、今 BSI で私ができることだと思っています。


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