Brain Science Institute Brain Science Institute



脳発生をになう未知の遺伝子を探る

御子柴グループディレクター


 「個体の行動異常の背景には、機能を司る部位の形態と分子の異常があります。小脳の働きはユニークなので行動異常から小脳の障害を見つけやすいんです」。これまでの小脳の研究によって、脳の発生・分化に関係する様々な遺伝子が発見されてきました。その発見の秘訣とこれら遺伝子がになう働きについて、発生・分化研究グループの御子柴克彦グループディレクターに聞いてみました。

Q. 脳の発生と分化の研究意義とは?

A.  心臓や肝臓、腎臓などの様々な臓器は体の中の恒常性を調節するためのものです。ところが脳神経系はちょっと違います。体の恒常性の維持の他に脳では目や耳や鼻から得た情報を処理し統合して、行動などの様々な形でアウトプットします。そのなかで重要なのは、言葉を発し、聞き、見ることです。実は脳ができたことによって、初めて言語や視覚を介した個体間のコミュニケーションができるようになったのです。脳神経系は一つの臓器でありながら、人間個体そのものです。人間はその個体間のコミュニケーションを作ることによって、文化を生み出せた訳です。この脳の不思議さに惹かれ、私は学生のときに脳の研究をしたいと思いました。

Q. 脳の構成原理と出力依存性
A.  脳の仕組みをよりよく知るためには、脳がどうやって形成されるのか、つまり脳の発生過程を調べることが大切です。脳の形はというと、皆さんは非常に複雑なシワを持った左右の半球をイメージすることでしょう。でも、その発生の出発点はたった一層の細胞です。その一部分の細胞が増えたり、分化したりして大脳になり、脳幹になり脊髄になる。ではなぜ一層の細胞から複雑な脳ができ、シワができ、神経細胞がきれいに並ぶのか。それを解明することがこの研究の最大の魅力でありテーマといえます。また脳の発生過程の解明は、脳の機能や病気のメカニズムの解明にも大きく貢献します。

画像をクリックすると拡大します。
IP3受容体を欠損させるとてんかんと小脳失調の複合症状となる(上)
IP3受容体を抗体でブロックすると腹側が背側に変換する(下)
Q. その解明へのアプローチ方法とは?
A.  私たちの研究スタンスは「異常から正常を見る」というものです。これは私が脳の研究を始めたころに考えたアプローチ方法です。例えば、脳のある部位で異常が起こっているとします。そこで異常な脳と正常な脳を分子レベルで比べてみる。すると、正常な脳にあって、異常な脳にはない分子が発見される。つまりこの欠損している分子が異常の原因であり、逆を言えば、この欠損している分子は正常な脳で重要な働きをしているということになります。このことを形と機能のレベルで調べていけば、欠損している分子が脳のどの部位の形態形成に重要なのか、あるいはどの機能に不可欠なのかがわかってくるんです。この研究手法は今では当たり前になりましたが、皆が使う研究方法として広まったことは非常に嬉しいと思っています。

Q. 先生のチームの研究ターゲットは?
A.  私は脳の研究を始めた当初から、小脳に焦点を当ててきました。行動異常と形態異常を対比するには小脳が一番適しているからです。なぜなら、小脳は運動制御系の大切な部位で、小脳に障害が起こるとすぐに行動異常が起きます。さらに、小脳は各々のニューロンが整然と並んで、形がきれいですから、行動異常の原因となる小脳内の形態異常部分を見つけやすいんです。ですから、これまでに小脳の異常を起こしている動物がたくさん見つかっています。そういった動物を上手に使うことによって、たくさんの重要な分子が見つかってきました。
Q. それはどのような分子ですか?
A.  一つはプルキンエ細胞の蛋白質です。この細胞が欠損した動物は、ある蛋白質(P400と名付けた)が欠損しており、そのため行動異常を起こします。十数年の研究の結果、この欠損していた蛋白質が、細胞中のカルシウムの袋からカルシウムを出すIP3レセプターという分子だったことがわかりました。そしてIP3レセプターに関して、発生工学的な手法でノックアウトマウスを作ったり、様々な方法で調べたところ、IP3レセプターは受精や細胞分裂に必須だということがわかりました。さらに背中とお腹の軸決定から、神経細胞の突起伸展や脳の可塑性にまで大きな影響を与えていることがわかったのです。
Q. この他にも重要な蛋白質をいくつか発見されたそうですね?


画像をクリックすると拡大します。
Zic(zinc finger protein enriched in the cerebellum)の脳の発生における重要性
A.  はい、一つはZic(ジック)ですね。これは亜鉛を結合する蛋白質で、亜鉛(Zinc)のZiと小脳の顆粒細胞に豊富な蛋白質として発見したので、小脳(cerebellum)のCをつけて、Zicと名付けました。実はこの蛋白質が脳の発生過程に大きな影響を与える大切な遺伝子だったんです。ショージョーバエでwingless, engrailedを支配する発生に重要な遺伝子としてZicのホモログがとられたため、有名になってしまいました。Zicには5種類の遺伝子があります。タイプ1の遺伝子は小脳のパターン形成に影響を与え、タイプ2は13q症候群というヒトの重篤な病気の原因遺伝子。タイプ3は内臓の右、左を決める遺伝子で、ごく最近アフリカツメガエルの系で心臓の左右を逆転させ、その働きを実証しました。


画像をクリックすると拡大します。
ニューロンの位置決定のためのシグナルカスカード

もう一つはニューロンの位置を決める遺伝子です。私たちは、小脳のシワがなくニューロンの位置が乱れているリーラーミュータントマウスに正常の脳を免疫して、世界で最初にリーラー遺伝子産物に対する抗体を取ることに成功しました(細胞培養技術
開発チームの小川チームリーダー、仲嶋研究員、宮田研究員との共同研究)。さらにリーラーと同じ症状を示す新しいミュータントであるヨタリ(yotari)マウス(ヨタヨタしていることから命名)を発見して、これがディスエーブルド1(Disabled1)の遺伝子異常であることも見つけました。これらの発見により脳内の神経細胞の位置決定のメカニズムがかなりわかってきました。
Q. こうした発見の秘訣はなんですか?
A.  一つのことを明らかにするために、あらゆる可能性を考えて網をはる実験をしたことでしょう。また、得た全てのデータを丹念に調べて、はじめの予想をもとに立てた仮説と合うかどうか、合わない結果を得た時がチャンスで、そこに大きな発見のきっかけがあると思います。ヨタリマウスの発見やIP3レセプター、Zic の発見などはその例といえます。
Q. 最後に今後の研究への意気込みをお聞かせください。
A.  脳の発生・分化誘導システムとその機能分子を解明すれば、年をとった細胞を活性化させることや脳の病気を直す手がかりも見つかります。なぜなら、細胞老化のメカニズムや病気のメカニズムも、要は発生・分化の過程の単なる続きにすぎないからです。私は少なくとも今やっている研究に関しては、十分医療分野にフィードバッグできると思っています。小脳は脳の部位の中でも比較的古くかつ大切な部位です。ですから、そこで見つけたものが脳全体の謎を解く一つの鍵になってきた訳です。今後もその鍵を探して小脳を追求していきます。

理研BSIニューストップ

理研BSIトップ
理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)
Copyright All Rights Reserved.