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和風論理と欧米風論理
私はどちらかというと、状況証拠をいろいろと挙げ、したがってこういうことになるという帰納的な論理のほうを好む。まず、仮説や結論を明示し、それからその理由を述べるという、仮説演繹型の論理にはなじめなかった。しかし、研究成果の発表に当たっては、好みにこだわってはいられない。とくに、ページ数に制限のある投稿論文や発表時間に制限のある学会発表などでは、この仮説演繹型論理を採用するように心がけている。
私の場合、中学生の頃、幾何学の証明問題で、はじめて帰納的な論理に出会い、抵抗なく、この論理が身に付いてしまったせいなのであろうか。そういえば、私が通った中学では1年生の時、幾何学の宿題を毎回何題も課せられたものだった。一方、仮説演繹型の論理に出会ったのは、ずっと後の高等学校の化学の授業で、試験管の中の有機化合物の名前を実験によって決定する実験実習を行った時であった。
私が仮説演繹型の論理が苦手なのは、状況証拠をいろいろと挙げてからでないと結論めいたことを言うのは、おこがましいと思う性格的なものもあるかもしれない。帰納的な論理は、日本人的な論理(和風論理)であり、一方、仮説演繹型の論理は、欧米風論理のように思われる。
四権分立論
月日のたつのは早いもので、日本の脳研究の発展に全力を傾注され、多大な貢献をなされた、恩師、時実
利彦先生(東京大学名誉教授、元東京大学医学部脳研究施設長、元京都大学霊長類研究所教授)が亡くなられてから、足かけ30年になる。どのような折りに伺ったのか、記憶が定かではないが、「司法、行政、立法、の三権とはべつに、教育・研究の権力を独立させ、四権分立にすべきでしょう」というようなお考えを述べられたことがあった。時の政治や経済状況、時の権力者の思いつきで文部行政の基本方針がくるくる変わっては困るというご主旨かと思う。かつて、私が大学に勤務していた折、参議院の文教委員が大学の入試制度や入試問題に口を挟んだことがあった。最近の大学や研究所の独立行政法人化問題などの現状を見るにつけ、時実先生が30年以上前に雑談風に話された、四権分立論が懐かしく思い出される今日この頃である。
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