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研究生活には、人生同様、転機となる出会いがあると信じている。私にとってのそれは、イギリス・Imperial Cancer Research Fund(以下ICRF、現・Cancer Research UK)における2人の所長といっていいだろう。
留学先を探していた頃、若者特有の怖いもの知らずのためか、本来の厚顔無恥な性格のためか、ICRFをはじめとする様々な研究機関に「お宅で研究したいと考えている日本人研究者だが雇ってくれないか・・・」という、今思えば、顔から火が出るような大胆な手紙を送りつけた。もちろん、当然のとごく無視する研究機関も多かったが、いくつかの研究機関は丁寧な応対をしてくれ、特にICRFは、「国際学会出席のため日本に行くから、その会場で面接しよう」と、当時のICRF所長であるSir Walter Bodmer博士が返事をくれたのである。
結局、貴重な時間をさいてもらい、学会会場の片隅で私のプレゼンテーションを聞いてもらうことになった。彼は、時には私にアドバイスを与えながら、終始興味深げに聞いてくれ、最後に「おもしろい話だったよ。ありがとう」と言うと、満面の笑顔とともに、その大きな手を私にさしのべた(ちなみに、彼は、手のみならず体全体、さらに奥様まで、私の2倍の体積をもっている)。こうして、大胆不敵にもICRF所長に直々に面接を申し込んだ私は、無事、ポスドク生活を送ることとなった。
ICRFでの研究生活も軌道に乗り始めた頃、SirWalter Bodmer博士が退官することとなり、新たにPaul Nurse博士が所長に就任することになった。彼は、後にノーベル医学生理学賞を受賞することになるので、多くの方がその名をご存じであろう。彼の研究室には、常に日本人研究者が滞在しており、私もちょくちょく遊びに行っていた。忙しいPaulと話すチャンスはなかなかなかったが、それでも時おり彼の研究室で顔を合わせると、気軽に「コンニチハ」と笑いながら、日本語で挨拶してくれたものである。余談ではあるが、これは、彼のところに留学している日本人が教えた片言の日本語である。それ以外にも「仕事しろよ」や「起きろ」などの意味深長な日本語が飛び交うこともあったというが、残念ながら、私はそれを聞くことはできなかった。
そんな彼が、あるプロジェクトについて、担当の学生と議論を交わしていたところに出くわすことがあった。議論の最中、彼は、常に「ふんふん」と興味深げに学生の言うことを聞き、少しばかりのアドバイスをすると、最後に「ありがとう、大変勉強になったよ」と言って、その場を立ち去った。
さて、この新旧両ICRF所長との出会い、そして私および学生への対応、これが私にとって転機となり、留学を通じての最大の収穫となったと言っても過言ではない。すなわち、私や学生が必死に説明していることを、一生懸命聞いてくれ、かつ最後に「おもしろかった」、「勉強になった」という言葉を付け加えて励ましてくれるというのが、目から鱗が落ちるほどに、実に新鮮な驚きだったのである。誤解を恐れずに言えば、日本は「叱る文化」、イギリスは「褒める文化」なのである。
どちらの対応が生産性を上げるかは時と場合によるかも知れないが、童話「北風と太陽」を子供に読み聞かせながら、または研究室で紅茶を飲みながら、こういったことを考えてみることも、これからのBSIにおける研究にとって決して無駄にはならないのではないかと思う次第である。
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