こんなことを書くと笑われるかもしれませんが、世の多くの工学屋は子供時代に Clark、Asimov、Heinlein、Hogan、あるいは手塚治などが描く人工頭脳やヒューマノイドなどが活躍する未来図の洗礼を受け、少なからず影響を受けてきたのだと思います。そしてそれが一種の精神的外傷(?)となって現在に至っている人も随分いるのではないでしょうか。かく言う私も「自らの手で自らを越える存在を創り出したい」という不敬な夢を持っている工学屋の一人です。もっとも、現況を考えると「手ずから創り出したい」というよりは、「創り出す一助となりたい」といういささか弱気な表現になってしまいますが……。
ここ数十年、あるいは十何年と限定してよいのかもしれませんが、わずかの間にコンピュータやロボティクスと呼ばれる分野は飛躍的な発展を遂げてきました。その“進化”は生物のそれとは比べものにならない速さだと言われ、コンピュータの場合は計算能力にして年々2倍、あるいは半年毎に2倍になるという驚異的なものでした。ロボティクスにしても、自動車産業の隆盛を担った産業用ロボットの普及により着実に発展を遂げ、また1年程前に一般に公開され耳目を驚かせた HONDA の自律歩行ロボットの登場などにより、人々の注目を集める分野になりつつあります。
こうした華やかな先端技術の基盤となるのは、論理思考をつき詰めていった“固い計算”(hard computing)であると言われます。固い計算の理論はこれから先も様々な breakthrough を経て高度なものへと進化を遂げ、工学屋の傲慢な夢に近づいていくでしょう。チェスの世界チャンピオン Kasparov を破った IBM の特製コンピュータ DeepBlue のニュースは記憶に新しいと思いますが、 DeepBlue は一つの具現です。しかし、その一方で、固い計算の持つ限界も判ってきました。ナノ秒単位で計算を行うコンピュータと人間が果して同じ理屈に従ってチェスをしているでしょうか?各神経細胞の情報処理能力を考えるとそれはありそうもなく、人間は雑なのではなく良い意味でもっといい加減な“柔らかい計算”(soft computing)をしているのでしょう。柔らかい計算というのは神経回路網、ファジー、確率的アルゴリズム、帰納的推論、人工生命といった新しい情報処理のアプローチ全体を指して使われます。こうした全く異なる計算原理を一つにまとめているのは、それらの目指す方向であり、それらが問題に対して出す解の有り様です。柔らかい計算は、理想的な解を求めようとする固い計算の対極として、あるいは工学的に互いに填補してより現実的な問題に対処することを目的とし、情報の不正確さ、冗長性といったものを捨てずにその情報処理様式に取り込もうとしています。こうした新しい情報処理への期待とともに生物の情報処理の様式を知ることの重要性が再認識されています。
我々工学屋から見れば生物は驚異の固まりです。技術を発展させれば発展させるほど、生物のもつ偉大な仕組みに驚かされるのです。それは脳ばかりではありません。例えば、小さな鳥でもその体の中に持つ筋肉だけで空を飛ぶことができますが、我々は未だに大きさと軽さを両立する筋肉のように効率のよいアクチュエータを発明していません。また我々の心臓のように70年、80年と全く休むことなく働き続ける信頼性の高い器官などそう簡単に造れるものではありません。そして最も驚嘆すべき脳は、単純な計算能力しか持たない神経素子が大量に結合することにより頑強な分散表現を獲得したり、局所的な情報伝達による自己組織化によって従来の工学では実現できなかった、あるいは実現できても十分でなかった柔軟で効率的な計算をなんの苦もなく実現しているように見えます。