理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.18(2002年11月号)




神経構築技術開発チーム
尾崎美和子研究員


0歳児を連れ、研究者として渡米
 女性の就業率や共働き世帯の割合、あるいは男女雇用機会均等法や男女共同参画社会実現に向けての政府・自治体の取り組みなど、例を挙げるまでもなく、女性が社会に出て働くことに関する社会システムや人々の意識は大きく変革を遂げている。
 しかしその一方で、いまだ女性に不利な条件が強いられるケースは多く、内閣府は平成13年男女共同参画会議を設置することにより男女共同参画社会実現に向けての体制強化を打ち出した。労働環境という意味でとらえても一般社会と大きく異なる研究者の世界では、なおのこと多くの問題点が残されている。去る7月、日本女性科学者の会が中心となり、「研究者の男女共同参画」をテーマに、(株)富士通・宇宙開発推進室長の遠山嘉一氏からの講演(現状報告)とそのデーターをもとに討論が行われた。明らかに、男女差がでるのは、子供の数と昇進であり、女性は研究者として実質的に独立することが極めて難しいのが現状である。よって、研究者であり、かつ8歳の息子を持つ母親でもある神経構築技術開発チームの尾崎美和子研究員にたずねてみた。
 「確かに結婚し、子育てをしながら研究者としての生活をするのは大変なことです。どうしてもベビーシッターを頼まなければならないことも多くありますから、収入のかなりの部分がベビーシッター代で消えてしまうことさえあります。ご存知のように研究者のミーティングは夜の8時や9時からが当たり前のことも多いですし、残った仕事を片付けるために、夕方にいったん家に戻り、子供の世話をして寝かしつけた後、研究室に戻るといった生活です。
 でも、それだけ大変でも、研究者としての生活を続け、また、子供を持つことは、私にとって非常に魅力的なことなのです」
 尾崎研究員の研究テーマは「脳の神経ネットワークの構築と可塑性」。今年6月には日本女性科学者の会の奨励賞を受賞。その業績は国際的にも高く評価されている。1994年、正に生まれたばかりの子供を連れて夫と共に渡米。NIH(National Institutes of Health:米国立保健研究所)に研究員として勤務。女性が家庭を維持しながら仕事を続けるのは、国や国籍を問わず大変なものであることを実感したという。

経済的な自立が女性就業の前提
 尾崎研究員は、経済学を学んだのち、改めて薬学部に入学し研究生活をスタートさせたという、ユニークな経歴の持ち主。それも、経済を学んでいる途中で次第に理学にも興味を持ち、転進を決心したのではなく、最初からある程度予定していた行動なのだという。「研究者として生きていきたいということと、子供を持ちたいということは、高校生の頃から思っていました。ではその両方を実現するためにはどうすればいいかを考えたとき、経済的な自立が大前提であると思ったのです。生活に追われた状況では、自分の夢ばかり追うことはできません。制約も多くなります。生活の基盤を確保するためにも実学としての経済を学び、実際に独立し、誰に対しても自由度を確保しておく必要があると考えたのです」
 利発な高校生のような笑顔を見せながら、尾崎研究員はさらに続ける。
「だからといって、お金のために研究しているわけではありません。私の研究に対するモチベーションの源泉は人間に対する興味、さらにいえば自分自身に対する興味です。収入や評価といったものは、副次的なものといってもいいでしょう。ただし、研究さえできれば報酬が少なくてもいいというわけではありませんよ。研究に対する評価が研究員としての報酬にも反映される以上、やはり、より多くの報酬はいただきたいと思っていますし、それを目指してもいます。研究のプロフェッショナルでありたいと常々思っています。正当な評価システムが働くのであれば、本来そこに男女差はないはずです。」
 陳腐なたとえだが、まるでニューヨークのトップ・ビジネスマンと同じ発想のように思える。これでは子育ても大切にする家庭的な生活との両立は難しいのではないか。「そんなことはありません。米国と日本の両方で子育てをしながらの研究者生活を経験しましたが、仕事を持った母親を支援するための社会制度の整備は、日本も米国とほぼ同じレベルにまで進んできていると思います。ただ、明らかに米国のほうが、子育てをしながらの研究がしやすいという面が確かにあります。たとえば米国では、自分の研究が順調に進み、他に迷惑をかけることもないのであれば、早めに帰宅したり、途中で外出したりすることに寛容であり、少なくとも仕事もないのに、そこに居ることだけが重要といった実質の伴わない形式主義的発想はあまりないように感じました。一方の日本では、なかなかそこまでは割り切れないというのが実状ではないでしょうか。周囲に気兼ねして、子供のことが気になりつつもなかなか家に帰れなかったり、やむを得ず育児のために休んだり途中で外出するときに後ろめたさを感じる方も多いと思います。日本政府が、少子化防止や女性労働力の利用に向け様々な改革を行い制度的にはかなりの問題は解消される方向に進んでいますが、制度やシステムの背後にある人々の基本的な考え方や慣習や文化までを考え合わせると、残念ながら日本で母親と研究者という二足の草鞋を履くことは、まだまだ大変なことだと思います」


子育ても研究者生活も、共にかけがえのないもの

今年7月に開催された「研究者の男女共同参画のことが話し合われた公開講座」にて(前列右が同会会長で日本学術会議委員会幹事の鈴木益子氏、左は(株)富士通・宇宙開発推進室長の遠山嘉一氏。遠山氏は遠山敦子文部科学大臣の夫君)
 しかし、だからといって研究者としての生活を続けながら子供を持つことを、簡単にあきらめないでほしいと、尾崎研究員は言います。
 
「こんなことを言ったら息子が怒るかもしれませんが、脳科学を研究するものにとって、子供の成長や考え方の変化を見るのは非常に興味深いことです。子供の教育とはいってみれば脳に刺激を与えて何らかの変化や発達をつくり出すことですから、子育てそのものが非常に面白いです。育児は自分自身を知るためのよい方法です。ある意味で私の研究の一貫かもしれません。母親と研究者の両立は、大変ではあるけれど、それほど苦痛だとか苦労であると思ったことはありません。
 私自身、これまで、研究と家庭を両立する上で、特に恵まれた特殊な環境にあった訳でもありませんし、今も子育ての真只中にあり、時間的、社会的困難さを感じることは多々ありますが、それでも、今の人生を歩んでいることにまったく悔いはありません。『人生、仮に失敗することがあったとしても、色々なことを味わい尽くして生きてみるのも悪くないかもしれない。』と思っています。これが、私のポリシーですし、これに賛同してくれる仲間が増えたらいいなあと思っています。」



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