理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) 理研BSIニュース No.19(2003年2月号)



生物の“腹”と“背”を分けるメカニズムの解明
− 体軸形成を担うカルシウムシグナルの標的遺伝子を発見 −


 発生神経生物研究チーム
発生神経生物研究チームは科学技術振興事業団(沖村憲樹理事長)「カルシウム振動プロジェクト」と、東京大学と共同で、生物の初期発生時において“腹”と“背”を決める情報伝達に使われるカルシウムシグナルのメカニズムの一端を明らかにしました。発生神経生物研究チームの御子柴克彦チームリーダー、実吉岳郎研究員らによる研究成果です。
 生物の初期発生において、腹と背を分ける体軸の形成は、背側に神経管が発達するなど一つの受精卵が細胞集団を作り上げていく上で重要な役割を果たしています。研究グループでは今回、免疫系に関与するカルシウム依存性転写調節因子「NF-AT」にカルシウムシグナルが作用することによって、腹側化シグナルとして働くことを明らかにするとともに、NF-ATが、背側化と関連するGSK-3と呼ばれる酵素に作用し、腹側化を促すことを見いだしました。このGSK-3は、脳の老化との関連が指摘されています。
 本成果は、初期発生におけるカルシウムシグナルの働きが、免疫反応や老化などを含む基本的な生命現象のメカニズムと深く関与することを初めて明らかにするだけでなく、薬剤や環境ホルモンなどの物質がカルシウムシグナルに与える影響を解明することにより、形態異常に関する新しい知見が得られることが期待されるなど、臨床医学的にも大きな貢献が期待されるもので英国の科学雑誌『nature』(5月16日号)に掲載されました。

 Ca2+シグナルは、細胞内Ca2+濃度の一過的上昇、持続的上昇、Ca2+濃度の上昇と降下を繰り返すCa2+振動など多様な濃度変化の様式を持ち、その違いを利用し細胞内情報伝達に重要な役割を果たしています。一方、躁鬱(そううつ)病の治療薬であるリチウムを、生物の初期発生時に作用させると背側活性を持つことが古くから知られています。しかし、リチウムの背側化活性の作用メカニズムは、発生生物学者の長い間の謎でした。発生・神経研究チームでは、モデル動物を用いた解析手法を用いて、リチウムの作用点の一つであるイノシトール代謝回転経路の、中でも特に脳の生理活性と強く関係すると考えられている「イノシトール1,4,5三リン酸(IP3)」およびその受容体(IP3R)とカルシウムシグナルについて研究を行ってきました。研究の結果、IP3Rに対する特異的な機能阻害抗体を用いて、将来の腹側でIP3Rの機能を阻害すると腹側の細胞運命が背側に運命変換して、二次軸(もともとある背側に加えて、腹側が背側に変換されるために作られる二つ目の背中を二次軸という)が形成されることを見いだしました(図1-1)。
 この成果は、IP3-Ca2+シグナルが腹側のシグナルとして働くことを示すもので、研究チームの粂昭苑研究員によって米国の科学雑誌『サイエンス』に発表されました(Kume et al., Science 278, 1940-1943(1997)。この結果によって、“初期胚には背腹軸に沿ったIP3-Ca2+の勾配があるかどうかの問題”、“IP3-Ca2+シグナル伝達系の上流及び下流で働く分子の実体は何かについての問題”、そして“他の腹側化、あるいは背側化因子との関係、相互作用の問題”などの解明が待たれていました。
 Ca2+シグナルの働きを解読しうる転写調節因子の一つ「nuclear factor of activated T-cell(NF-AT)」は、Ca2+/カルモデュリン(CaM)依存性脱リン酸化酵素のカルシニューリン(Cn)の制御を受ける転写調節因子です。Cn/NF-AT経路は、免疫系ではT細胞活性化を中心に解析されており、神経系ではIP3受容体の発現を調節しているほか、心肥大や骨格筋の分化に関与していることも報告されています。このように多様な機能を持つCn/NF-AT経路ですが、今回NF-ATが標的であることを発見しました。転写調整因子NF-ATを阻害した表現型は、IP3受容体を阻害した場合と同様に(二次軸)が形成されました(図1-2)。さらに、NF-ATを過剰に発現(活性化)させると、背側(神経管など)が消失します(図2)。この結果から、転写調整因子NF-ATが腹側化シグナルとして作用していることが分かりました。
 IP3-Ca2+シグナル伝達系とCn/NF-AT経路との関係を調べるため、IP3受容体の阻害によって二次軸が形成された個体に対して活性化させた転写調整因子NF-ATを共発現させたところ、二次軸が消失し、個体の形状が回復しました(図3)。一方、背側化シグナルとして、Wnt/-カテニン経路といわれる、全く独立のものと考えられていた経路があり、その経路の中にグリコーゲン・シンテーゼ・キナーゼ3(GSK3-)という酵素が働いています(図5)。このGSK3-βを阻害すると腹側が背側へと変換します(二次軸形成)。転写因子NF-ATの阻害によりおきる二次軸形成(図4左)を、GSK3-βを過剰に発現させることにより回復したのです(図4右)。以上の結果から、IP3受容体やNF-ATの腹側化シグナルがGSK3-βを含む背側化シグナルとクロストークしていることが明らかになりました(図5)。
 GSK3-βは、脳の老化などの原因による神経細胞死を引き起こす際に、神経細胞内で活性化されている酵素の一つとして見いだされており、アルツハイマー病との関連も指摘されています。この酵素の活性により体軸形成の異常が消失するという今回の私たちの成果は、GSK3-βの活性が脳の老化だけでなく初期発生と密接に関連するという極めて興味深い結果を示しています。また、初期発生時の身体の形成にカルシウムメッセンジャーの働きが深く関与することは、健全な脳や身体の発達など体作りの仕組みを解明する上で今後新しい知見をもたらすとともに、カルシウムメッセンジャーに対する薬品や物質の作用を解析することで、副作用の少ない薬品の開発や、環境ホルモンがカルシウムメッセンジャーに作用して形態異常に及ぼす影響の検討が可能になるなど臨床医学的にも大きな寄与が期待されます。
Nature 417, 295 - 299 (2002) Takeo Saneyoshi, Shoen Kume, Yoshihara Amasaki, Katsuhiko Mikoshiba
 
図1: 腹側を背側へ変換
1.IP受容体を阻害すると、二次軸が形成される(IP受容体からのCa2+放出が背腹軸を決める)。
2.転写因子 NF-ATを阻害すると、二次軸が形成される(図中B,C)

 
図2: 転写因子
NF-ATを過剰に活性化すると背側(神経管など)が消失して腹側となる(c,f)

 
図3: IP3受容体の阻害による二次軸の形成(左)が活性化NF-ATで回復する(右)

 
図4:転写因子 NF-ATの阻害によりおきる二次軸形成(左)がNF-ATを加えて回復し(中央)、更にGSK-βの過剰発現でも回復する(右)

 
図5:二胚軸形成[背側化(神経化)・腹側化]の決定に関わる模式図


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