理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



Interview
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分子精神科学研究チーム
チームリーダー 吉 川 武 男


物理学→分子生物学→免疫学→精神医学……
 「私が精神疾患の研究を本格的に始めたのは、1986年、医学部専攻生として東京医科歯科大学の神経精神医学教室に入学したときです。精神疾患の原因をタンパク質の異常という面から研究したいと考えていたのですが、当時の精神科医の興味は精神病理が中心だった時代(今でもそうだと思いますが)。周囲には『精神とは何か』といったことや、哲学者の思想などを勉強している人が多く、私としてはずいぶんと場違いなところに来てしまった気がしたものです。」
 分子精神科学研究チーム・チームリーダーの吉川武男氏は、穏やかな口調でそう振り返ります。「これまで、ずいぶんフラフラと寄り道しながら来ました。」と吉川氏自身がいう通り、その経歴は、物理の教師だった父君の影響もあって高校卒業後、まずは東京大学理タに入学。基礎科学科を卒業し、相関理化学専攻ということで修士課程に進んだが1年で退学し、大阪大学医学部に学士入学。卒業すると今度は、前述の東京医科歯科大学へ進む。
 「最初に東大に入った頃は、ちょうど分子生物学の大きな発見が相次いだ時期で、特に制限酵素が発見され応用され出したというニュースには、これで遺伝子操作が可能になるんだなと、生物学に無知な私にも熱い雰囲気が伝わってきました。そんなこともあって、相関理化学を専攻した大学院では生物物理系の研究室に籍を置いたのですが、生命現象により深く結びついた分野をやりたい気持ちが次第に大きくなり、大阪大学の医学部に入り直す決意をしたのです。当初は分子生物学の方法論を使い癌の研究をしたいと思っていたのですが、免疫学の権威、岸本忠三先生の研究室に出入りさせていただくようになり、在学中は免疫の研究の手伝いをさせてもらいました。
 ところが、いざ卒業となったときにふと考えてしまったのです。当時の免疫の分野はいろいろな生物現象が分かっていたのですが、正体不明の液性、細胞性因子が多くて、自分には複雑すぎて展開が読めませんでした。それならいっそまだ研究があまり進んでいない未開拓の分野に進んだほうが、やりがいもおおきいんじゃないか……と思うようになったのです」

人生は偶然と必然の積み重ね
 吉川氏は結局“未開拓の世界”として精神医学を選び、冒頭で紹介したように東京医科歯科大学へと進み、故高橋 良教授、融道男教授に生物学的精神医学研究の指導を受け、その後いくつかの病院に精神科の医師として勤務した後、生理学研究所で小幡邦彦教授の研究室で神経科学の勉強をさせてもらいました。その後、米国National Institute of Mental Health, Clinical Neurogenetics Branchに客員研究員として留学するなどし、1999年から分子精神科学研究チームのチームリーダーとして、遺伝子レベルでの精神疾患の原因の解明を主なテーマに、理研での研究生活に入りました。
 「これまでいい指導者や同僚に恵まれたことは幸運だと思います」「御存じのように精神疾患の発症は多くの因子が複雑に関係しあっているので、原因を絞り込んで特定するのが非常に難しい。これが精神疾患の患者やその家族に対する偏見にもつながってきたと思います。しかし、精神疾患も病気のひとつである以上、身体(脳)を構成するタンパク質の質的量的異常が原因になっているのではないか、それを解明しようというわけです。」
 事実、この考え方はこれまでの研究で実証されてきました。「ヒトのゲノムの大きさは約30億塩基対。どんな人間でもこのうち約300万カ所に何らかの変異を持っていると言われます。その変異のある遺伝子の組み合わせによって、精神疾患が発症しやすい状況ができるらしいということがわかってきました。一種の体質と言っていいかもしれません。」
 多因子が絡み合うという偶然の以前に、遺伝子の変異という必然があることが明らかになってきたのです。「考えてみると、世の中には偶然の産物のように思われていながら、実は必然の積み重ねであることが意外に多いように思います。例えば私がこれまで歩んできた道にしてもそういう気がします。自分自身、恣意的で無節操だと感じていたのですが、今にして考えれば、精神疾患を研究することになったのも因果があるように思います。」
 吉川氏は今年2月、母堂を亡くされました。そのときにも、自分が好き勝手に生きてきたように見えて、実は親に育てられ、親から受け継いできたものの大きさを改めて感じたと言います。
「父はまだ健在ですが、会うたびに『今どんなことをやっているのか、わかりやすく説明してみろ』と言われ、私はいつもしどろもどろになってしまいます。誰にでもわかる形で説明できないということは、自分の非力によるところも大きいし、科学としても未発展な部分も大きいと思います。そういった意味からも、これまで、複雑だ、わかりにくいと言われてきた精神疾患の世界の解明に挑みたいと思います。」


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