理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



神経細胞集団の相互作用と情報幾何

 脳数理研究チーム

 私たちの脳の機能は、非常に多くの神経細胞の活動から生まれてきます。これらの活動は互いに影響を及ぼしあいます。つまり、「多数の神経細胞活動の相互作用から、脳の機能は生まれてくる」と言えます。この「多数の神経細胞の相互作用」とは一体何でしょう?言うは易し行うは難しと言いますが、この多数の相互作用をきちんと把握するのは、言うほどには簡単ではありません。工夫が必要です。今回、私たちは、その工夫として、多数の神経細胞の相互作用を調べる数理的枠組とデータ解析手法を提唱しました(1)。
 なぜ、工夫がいるのだろうと疑問をもたれる方もいるかもしれません。答えは簡単で、人間の“生の”直観は欺かれやすく、そのままでは多数の相互作用を正しく把握できないからです。数理的に現象を把握・整理することで、正しい直観を育み、そして正しい解析手法を得ることができます。これが一度なされれば、今後多くの人がそれを利用できます。
 この数理的直観を築く基礎になったのが情報幾何です。統計的・情報理論的・数理的現象を幾何的な直観に基づいて把握するのに、情報幾何は強力な武器となります。ここで言う「直観」を、直感的に感じてもらうために二つほど簡単な例を挙げます。図1を見てください。3つの変数を1組とするデータ点が3次元にプロットしてあります。もし、これらの点を、二つの変数の組でしかデータを眺めなかったら、つまり2次元でしか眺めなかったら、どの組み合わせで見てもその3次元の構造に気づくことができません。つまり3次元できちんと眺めてやることが不可欠なのです。多数の神経細胞の相互作用を眺めるときには、それが数十あるいは数百次元になっています。また図2を見てください。ある細胞集団の相互作用の違いを二つの実験条件で観測したとしましょう。それらが、二つのデータ点(PとQ)です。(ここでは2次元の絵で書いていますが、本当は何十次元あったりします。)このデータ点の違いを、X,Yの影響に分けて測りたいとします。普通の神経細胞の相互作用の解析では、図2右のような、X軸とY軸が互いに斜交してしまっています。ところが私たちの手法を使うと、図2左のように、二つの軸を互いに直交させることができます。するとピタゴラスの定理が使えて、すっきりとX,Yの影響を分けることができます。なお、実際の神経細胞の相互作用を測るのは確率の空間です。そこでは、実はX軸とY軸は直線ではなく曲がっています。これは、確率空間に本質的に存在するものなので直しようがありません。そんな空間の中に、直交するように座標系を作りあげるというのが私たちの手法です。上手く必要なところだけ直してゆくために、数理的・幾何的直観が重要となるのです。
 近年、脳研究に役立つ様々な計測技術が急速に発達しています。例えば、多数の電極を用いて神経細胞の活動を記録する技術は、ついこの間までは数個から多くても数十個の細胞でした。それが今では、数百の記録が可能になりつつあります。我々の研究は、それらのデータを一貫した方法で解析する手法を提供します。更に、この多電極同時記録の実験のみに関わらず、他の多くの新技術がもたらす知見の先には、大抵の場合、多数の因子の相互作用の解明がもとめられることになります。実は、我々の研究は、これらの一般的な場合にも適用が可能です(もちろん、ある程度の制約はありますが)。例えば、面白いことに、我々の手法が、DNAマイクロアレイデータの遺伝子解析にも適用可能です(2)。このように、今回の研究成果は、広い意味では、計測技術の発展に伴った解析技術の発展と捉えることができます。
 我々は、現在、この手法を用いて、いくつかの研究室と共同で実験データの解析を進めています。脳の機能は、おそらく、その時々の課題に応じて柔軟に、多数の神経細胞の活動による機能的な集団を作り、その内部あるいは集団同士の相互作用から実現されると考えられます。例えば、物体認識の機能では、色、形、または、物の動き、あるいはそのうちのいくつかに反応する多数の細胞群が互いにやりとりする必要があります。今回の研究成果が、このオーケストラのような神経細胞集団の相互作用の解明に役立つことを私たちは望んでいます。最後に、理研脳総研の環境、特に実験研究者との日常の議論、またRIKEN-MIT centerのDr. E. Millerの研究室の多電極データを使用する機会を得たことが、この研究の進展に役立ったことを述べておきたいと思います。

(1)Nakahara, H., & Amari, S. (2002)Information geometric measure for neural spikes. Neural Computation. 14(10); pp. 2269-2316
(2)Nakahara et al.(2003)Gene interaction in DNA microarray data is decomposed by information geometric measure. Bioinformatics. 19(9); pp. 1124-1131.

  図1

  図2

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