理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI) Brain Science Institute



新ビタミン、ピロロキノリンキノン(PQQ)物語

 精神疾患動態研究チーム

 「例の遺伝子の機能がわかりました!PQQ結合配列があります」
 落ち着いた口調ながらもどこか高揚した様子で、深夜、笠原さんが私の部屋に駆け込んで来た時まで、この物質の名を全く聞いたことがなかった。2001年6月のことである。
 私は、躁うつ病がミトコンドリアのCa2+制御機構異常によって発症すると考えていたが、ミトコンドリアCa2+輸送体(mCU)分子の実態は全く不明であった。とても自分ひとりで取り組めるテーマではないが、BSIに職を得た時、是非このテーマに取り組んでみたいと思い、Nature誌に募集広告を出した。すぐに名乗り出てくれたのが、笠原和起さんであった。彼が語ってくれた仮説は、独創的かつ魅力的であった。
 細菌は、他の細菌を殺すため、細胞膜にCa2+などを通す穴を開けるペプチドを作る。太古に真核細胞に寄生した原始的な細菌と考えられているミトコンドリアが、これを持っていてもおかしくない。それが現在、Ca2+を運ぶ働きをしていたとしたら…?この種のペプチドには特殊な合成酵素があり、アミノ酸を引き寄せる構造(A-Tドメイン)が多数連なっているという。この特徴を持つ遺伝子をクローニングすれば、それがmCU合成酵素の遺伝子かも知れないというのだ。私はまだ精神科医として東大病院に勤務し、笠原さんは同じキャンパスで大学院生として生物リズムの研究をしながら、何通ものメールが取り交わされ、この仮説とその研究方法は、少しずつ具体化されていった。
 2001年1月に私が、4月に笠原さんがBSIに着任し、いよいよプロジェクトがスタートした。笠原さんは凄いスピードで仕事を進め、6月初めにはもう、A-Tドメインを持つ遺伝子の全長cDNAをクローニングしていた。ところが予想に反し、A-Tドメインはたった1つだけだった。ペプチドを作れるはずがない。私ががっかりして、「あきらめて適当にどこかの雑誌に出そう」と言うと、ただクローニングしただけの無意味な論文など書いても仕方がないとデータを捨てようとしていた笠原さんも、何とか区切りをつけようと、データーベースサーチを始めた。そんな時、「PQQ結合配列」が見つかったのである(図1)。彼は、PQQと逆の働きをもつ補酵素、NADPHの結合配列をかわりに持つ相同遺伝子の存在に気づき、これが酵母のリジン合成にかかわる酵素であったことから、このcDNAの産物が、リジンの分解にかかわる、「アミノアジピン酸セミアルデヒド脱水素酵素(AASDH)」であろう、と突き止めたのだった。
 それまで、PQQが補酵素として働く酵素は、細菌でしか知られていなかった。マウスにおいて、PQQ欠乏が、毛並みが悪い、繁殖能力が悪いなどの症状を起こすことから、必須栄養素の可能性が指摘されていたが、その機能が不明であった。PQQを補酵素とする酵素の発見は、PQQをビタミンに格上げする仕事になる。チームのテーマとは関係ないが、精神科医である前に医師でもある。点滴に入れるべきビタミンが見逃されてきたなら、多くの患者が欠乏症になっているかも知れない。この研究は必ず完了させなければ、と思った。
 ところが、ここからの道のりは平坦ではなかった。笠原さんは、酵素の活性を証明しようと、この後1年半にも及ぶ格闘を続けたのである。大腸菌での発現ではうまく精製できず、ありとあらゆる方法を試した挙げ句、昆虫細胞での発現で、何とか蛋白を精製した。ところが、活性測定がうまくいかない。PQQの反応性の高さに難渋し、酵素の基質を自分で合成し、別の方法で基質特異性を調べ、質量分析で翻訳後修飾を調べ、修飾酵素もクローニングして発現させ、と気の遠くなるような努力が続けられた。そんな中彼は、PQQ欠乏マウスで代謝物の変化を検出するという案を出した。この方法で酵素の機能を証明したと認められるかどうかは、正直なところわからなかったが、彼はマウスの成長に必要な栄養素全て−PQQ以外の−を、多数の試薬を買って混ぜ合わせてマウスに与え、アミノ酸分析でAASDHの代謝物の減少を捉えたのである。
 完成した論文の第一稿を見て驚いた。蛋白精製も基質特異性も翻訳後修飾も、何一つ載っていない。「良いの、これで…?」驚いて尋ねると、「本筋に関係ありませんから」。半信半疑で論文をNatureに投稿してみると、おそらく長年PQQ研究に携わってきた査読者たちの評価は驚くほど高く、彼の見通しが正しかったことがわかった。
 この研究では、質量分析、アミノ酸分析、マウス飼育など、リサーチリソースセンターと専属の技術者の方々に大変お世話になった。BSIでなければ、到底やり遂げることは出来なかっただろう。最高の環境でやりたい研究ができる幸せをかみしめた次第である。
 2003年4月、わずか1頁の論文が掲載されると、世界中から、予想を遙かに超える多くの反響が寄せられ、悩まされる程であったが、とにかく笠原さんの長い努力が報われ、PQQが哺乳類のビタミンであることを世界で初めて確定できたのは、何よりの喜びであった。

 

図1 アミノアジピン酸セミアルデヒド脱水素酵素(AASDH)の構造
マウスの場合は1100アミノ酸残基からなるタンパク質。N末端に一対のAドメイン(ピンク色で表示)、Tドメイン(緑色)があり、Tドメインが翻訳後修飾を受ける。C末端にPQQ結合配列(水色)の7回繰り返し構造がある。この部分でPQQと結合すると考えられる。Takaoki kasahara and Tadafumi Kato Nature 422, 832(2003)


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