理研BSIニュース No.35(2007年3月号)

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インタビュー

岡ノ谷 一夫

自分の存在の不思議から言語の生物学的起源へ

知的脳機能研究グループ
生物言語研究チーム
チームリーダー
岡ノ谷 一夫


大多数の日本人科学者と比較したとき、岡ノ谷一夫チームリーダーは“一般的な”日本人科学者とは呼べないだろう。彼は米国メリーランド大学で博士号を取得し、科学における文化の相違を強く感じてきた。今回、ここ日本において研究者としての生きる現実と喜びについて語ってくれた。


Q:岡ノ谷チームリーダーから見た“典型的な日本の研究者”像とは、どのようなものでしょうか?

A:日本では、科学に対して戦略的なアプローチをとる研究者と、情緒的なアプローチをとる研究者とがいます。典型的な日本の研究者は、まず知りたいと思うものを見つけ、その夢を追い求めることに邁進します。しかし、米国では、その夢を受け入れるマーケット(=需要)を見つけることが先決になります。つまり、典型的な米国人研究者は、研究を行う前に、自らの研究を売るための戦略を練るわけです。しかし、こうしたアプローチが必ずしも創造性を育むとは限りません。


日本で教育を受けた典型的な研究者は、夢を追う傾向が強いがゆえに、研究に対して体系的にアプローチすることに弱点があります。ですから、新しい構想を練る、あるいは、研究課題の背後にある全体像を展望するという場面で、説明不足になりがちです。いっぽう米国では、研究者が自分の研究により大きな優位性を持たせるための戦略として、すでに広く理解されている展望を上手に利用して自分のプロジェクトの優位性を説得しようとします。しかしもちろん、どちらが良いということではありません。情緒性と戦略性をうまく融合させることが大切だと思います。


Q:日米間の教育におけるそのような差異のために、帰国後に日本の科学界へ復帰するのに苦労されませんでしたか?

A:そのように感じました。千葉大学での職に就くまでに、3つのポスドクを務めなければなりませんでした。これは、私が米国で生存戦略としてアグレッシブになることを学んだこと、そして、そのアグレッシブさを上手に発揮するような社会関係を築くことに鈍感であったことが理由ではないかと考えています。


Q:アグレッシブですか?

A:そうです。研究者は挑戦的であること、つまり、いかなるアイデアや発見に対してもアグレッシブに挑戦し、コンセプトについても徹底的に議論しなければならないことを米国で学びました。そして、それを、単に生意気に振る舞うことと同一だと誤解し、日本にも持ち込んでしまったのです。帰国後しばらくの私は、相手の立場にこだわることなく、必要とあらば議論の不備を指摘する態度を貫きました。その結果として、同僚・先輩に、「そのようなやり方は良くない」と注意されることもありました。こうした態度は、私の存在を知らしめるためには効果的でしたが、安定したポジションを得る上ではマイナスだったかもしれません。


Q:メリーランド大学で3年間教育助手を務め、その後、千葉大学で助教授を務めていますね。日本と米国の学生の間に何らかの違いを感じますか?

A:関心を寄せる対象に違いを感じます。日本では大学入試が終了した時点で競争はほぼ終わりですが、米国では入学後も多くの選別過程があります。結果として、米国の多くの学生は、題材よりも彼らが受ける点数により多くの注意を払いがちです。日本の学生はその点おおらかで、点数よりも興味に応じて態度を変えるように思います。そこは良いところですが、もともと自己主張が少なくなるような教育を受けているようで、彼らの発言を引き出すには苦労します。


これからの日本では、研究を成功させるためには、展望を持ち、独自の構想を練ることが今まで以上に重要になるでしょう。日本の学生やポスドクは、特に研究のための新たな手法や方法の開発において創造的ですが、それが評価されるための文脈を築くことが苦手だと思います。構想を練り、その構想を検証するための研究計画を策定するには、より大局的な展望を持つことが必要です。


Q:意思疎通能力の不足は文化的なもので、克服することは難しいとお考えですか。

A:意思疎通全般ではなく、科学の場で必要とする意思疎通の方法についての訓練の問題だと思います。工夫のひとつとして、我々の研究チームでは、デスクの割り当ては行っていません。コンピュータ付きのデスクの利用は早い者勝ちですが、需要と供給の問題が発生することはめったにありません。面白いことに、このオープンなオフィス・システムには大きな利点があります。ラボのメンバー間のコミュニケーションが増えるということです。ラボのリソースを使うに当たって正当な自己主張をすること、他人の立場を尊重しながら自分の権利をうまく受け入れてもらうことなどを学ぶ機会が増えます。博士号のあるなしにかかわらず、研究する態度それ自体が評価されるような正しい環境設定さえ行えば、効果的なコミュニケーションが生まれるのだと思います。


Q:それでは、研究者としての夢をどのように見つけ、それをどう実現していったかをお話しいただけますか。

A:始まりは私が4、5才の頃、自分にとって死というものが現実の不安となった時のことです。母に、「いずれ私も母も死ぬのか」と尋ねたのです。母は「子どもはそんなこと考えるものじゃない」と怒りました。ほとんどの大人が、「自分の死」という最大の問題と上手く折り合って生きているのが不思議でした。そのころから、自分の本質、唯一無二の自分と自然とがいかに融合しうるのかを理解したい、自分の心の独自性はどうつくられるのかを理解したいと考え始めました。


しかしそのような問題は、私が学部生であった時代には科学の対象とはなりませんでした。そこで、自分にとってもっとも「心」に近いと思われる音声コミュニケーションについて研究することにしました。この選択は、ある程度着実なデータを得て業績を増やすという点で、情緒的な夢を現実的な研究に合理化させるのに役立ったと思っています。こうした研究の中から、約10年前に小鳥の歌の生成文法の発見に至りました。


これをきっかけとして、言語学・神経科学・計算機科学など多分野の研究者との交流が始まり、さらにその交流の中から面白い仮説が生まれてくるようになりました。最初は小鳥の聴覚の研究者だったわけですが、2000年あたりから思い切って「言語起源の生物学」を標榜するようになりました。 21世紀に入ってからの神経科学は、よりいっそう「心」の解明に力を入れるようになりました。そのおかげで、私の情緒的なテーマは、現在では戦略的なテーマとして受け入れられるようになってきたわけです。このように、私自身の研究の発展には、偶然とはいえ、情緒と戦略のさじかげんがうまくいってきたと言えると思います。



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