理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)Brain Science Institute



ブラインド信号処理とは

脳型情報システム研究グループ
開放型脳システム研究チーム
チームリーダー アンジェイ・チホツキ


はじめに

 人間は環境が変わってもそれに適応することができます。たとえば、住む所、働く所、付き合う人々、食べ物など外界に変化があると、頭が少し痛くなるかもしれませんが、ある程度の時間が経てば新しい環境に慣れることができます。この際、外界の変化にあわせて脳の回路をうまく変化させているはずです。外部との情報のやりとりを通じて自分自身の構造が変わるシステムを「開放型システム」といいます。私たちの脳はまさに開放型システムです。私の研究チームでは、外界の変化にしたがって内部構造をどのように変化すれば後の情報処理に都合がいいかについて研究しています。これにより高次脳機能、神経回路網の情報処理メカニズムの理解が深まると信じています。

 人における神経情報処理のメカニズムを研究するため、脳を傷つけずに研究できる脳波(EEG)、脳磁界(MEG)、fMRI など、脳内の活動を頭の表面近くに複数のセンサーを置いて計測することが技術の進歩により可能になりました。大脳皮質における神経活動は微弱な電流を発生するため、この電流が頭皮において電位の変化をもたらします。この電位の変化を検出するのが EEG です。また神経活動がもたらす電流により微弱な磁場が発生します。これを超伝導コイル(SQUID)を使って測定するのが MEG です。このような EEG、MEGデータを数学的に解析することが私のチームの核となる研究です。


ブラインド信号処理技術とその応用

 頭の表面での電位や磁場の変化が、脳内にある複数個の電源により引き起こされるものと仮定し、個々の電源の位置を推定することが一般的な研究です。これにより、ニューロン群が最も活発に活動している部位を求めることができます。電源については、脳内に複数の乾電池(双極子)があると思えばいいでしょう。しかし観測できるのは、個々の微弱な電源の信号が混ざりあったうえ、電源信号以外に、たとえば、まばたき、心臓の鼓動の影響など、ノイズが加わった信号です。そのうえ、人の活動にはリズムがあること、電源信号の統計的性質が時間とともに変動すること、信号源が空間的に広がりを持ち、時間とともにその位置が変化してしまうことが、問題をより複雑にします。

 ブラインド信号処理とは、知りたい信号が隠されている場合に、もとの信号を取り出すための情報処理です。

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図1ブラインド信号処理モデル
ただし、どのように隠されているかはまったくわからない状況を考えます。たとえば脳のような複雑なシステムでは、その内部状態を直接的に観測することはできません。ですが、外部から観測できるデータを有効に使えば、内部の状態をうまく推定できるはずです。私たちが開発しているブラインド信号処理がそのための新しい技術です(図1)。源信号(sources)が m個あると仮定します(s1, s2, ..., sm)。これらの信号が重なりあって、そのうえにノイズで汚されたもの(x1, x2, ..., xn) が観測される信号です。このシステムは多入力多出力で、内部で入力信号が混ざり非線型でダイナミックな性質を持っています。ここでの目的は、観測したデータからもとの信号の数、および信号自体をできるだけ正確に復元することです。

 私たちの目的は、さらにこのシステムに対する事前知識がほとんどない状態で、観測した信号だけを使って逆システムを推定し、もとの信号を復元することです。対象となるシステム自身の統計的性質が時間とともに変動するので、逆システムは自己適応的、自己組織的である必要があります。この問題は、独立成分分析(ICA)、ブラインド源信号分離とよばれる問題として定式化でき、私たちの研究が役に立ちます。脳内のどこに電源がありどちらに向いているかわかっていれば、頭の表面における電位や磁場の分布を求めること(順問題)は簡単です。
逆に、頭の表面における電位や磁場の分布の情報から、電源の位置と方向を推定すること(逆問題)は非常に難しいのです。
頭の表面における電位や磁場の分布のみから、解を一意に決定することは不可能な不良設定問題です。ブラインド源信号分離とこれまで使われてきた電源推定のアルゴリズムを組み合わせれば、不良設定性が低減できます。

 図2は、脳内に3つの電源が存在すると仮定した場合です。各電源からの信号は、頭皮上で混ざって観測されます。実際に、独立成分分析を適用することにより、EEGやMEG のデータから目のまばたき、心臓の鼓動の影響を除去するのに成功しました。電源の位置の推定や、脳内の情報の流れを調べることにもブラインド信号処理を適用しました(図3)。具体的には、聴覚と触覚を同時に刺激し、脳内のどの部位が活性化されるか調べました。

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図2脳活動(脳波・脳磁界)の多重電極測定
 図3の左側は観測された 122チャンネルMEG データの一部です。これを独立成分分析した結果、得られた(8番目までの)独立成分を図3の中央に示しました。図3の右側は、電源の推定位置を MRI 画像へ重ね合わせたものです。その結果、まさに聴覚野(図3右の黒丸)と体性感覚野(白丸)に推定されました。これはフィンランドのヘルシンキ工科大学との共同研究です。


結び

 このように独立成分分析は非常に有効な手法であることがわかりました。ブラインド信号処理は様々な領域で応用可能です。たとえば、生体信号処理、気象や地震などのデータ処理、無線通信、音声・画像認識などです。最近では、よりよい学習アルゴリズムの開発を行っています。理論的な側面は情報創成システム研究チーム(甘利俊一グループディレクター)と共同で研究しています。今後、これらの研究の結果をもとに、人間のように選択的注意機構を持ち、音声や匂いや顔の認識ができる知能的な電子デバイスや機械を開発するつもりです。ご期待ください。

- [References]
  1. S. Amari and A. Cichocki: Adaptive blind signal processing - neural network approaches, Proceedings IEEE (invited paper), Vol. 86, No. 10, pp.2026-2048, Oct. (1998)
  2. A.Cichocki, J. Karhunen, W. Kasprzak and R. Vigario: Neural networks for blind separation with unknown number of sources, Neurocomputing, Vol. 24, pp.55-93 (1999)
  3. O. Jahn, A. Cichocki, A. Ioannides and S. Amari: Identification and elimination of artifacts from MEG Signals using efficient Independent Components Analysis, BIOMAG-98, Sendai, JAPAN, Aug. (1998)
  4. A. Cichocki, J. Cao, S. Amari, N. Murata, T. Takeda and H. Endo: Enhancement and blind identification of magneto-encephalographic signals using independent component analysis, BIOMAG-98, Sendai, JAPAN, Aug. (1998)
図3脳磁界データの独立成分分析による解析


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