脳は、神経細胞同士が結びつき、巨大なネットワークを形成することにより、学習や記憶、運動の制御といった、さまざまな機能を発揮します。ネットワークの構築に重要な働きを果たす神経細胞は、樹状突起、細胞体(細胞本体)、軸索の3つの部分から成り立っており、軸索の先端にあるシナプスを介して、神経伝達物質のグルタミン酸などを受け渡しながら別の神経細胞とつながり合っています。一方、カルシウムは、細胞内の情報伝達物質として非常に重要な働きをしています。しかしながら、その機能を発揮するためには、適切な濃度とその時間的変化が大切であり、多大なカルシウム上昇は細胞を死に至らすことが知られています。イノシトール3リン酸(IP3)受容体は、細胞内のカルシウム貯蔵庫にあるイオンチャネルで、細胞外の刺激に応じて貯蔵庫からカルシウムを放出し、細胞内カルシウムの濃度を変化させる大切な分子の一つです。これまでこのIP3受容体には、3種類のタイプがあることが明らかになっており、このうちタイプ1のIP3受容体(IP3R1)は、脳の神経細胞で非常に多く発現しています。
研究チームは、まず初めに、野生型のマウスとIP3R1を欠損した組み換えマウス、それぞれの小脳にある細胞を培養しました。培養したプルキンエ細胞の樹状突起の伸展の異常の有無を調べた結果、IP3R1を欠損した組み換えマウス由来のプルキンエ細胞は、野生型のものに比べ、樹状突起の枝分かれが少なく、また長く伸びていることが分かりました(図1)。
次に、プルキンエ細胞に情報伝達する主な神経細胞の一つである顆粒細胞が、プルキンエ細胞樹状突起伸展制御に関わる可能性を調べました。まず、顆粒細胞に3種類のIP3受容体のうち、今まではあまり存在していないと考えられていたIP3R1が一番多く発現していることを明らかにしました。顆粒細胞は、細胞外刺激に応じて、樹状突起伸展に重要な働きをする神経栄養因子の一つ「BDNF」を産生することが知られています。また一方、この細胞外刺激がIP3R1を介してカルシウムを放出する可能性があることから、カルシウム放出とBDNFの発現の関係に着目しました。その結果、IP3R1を欠損した組み換えマウスの顆粒細胞では、細胞外刺激に応じたカルシウム貯蔵庫からのカルシウムの放出がほとんどないことが分かり、また、刺激に応じたBDNFの発現上昇も少ないことを明らかにしました。さらにこの結果をもとに、BDNFをIP3R1欠損型の小脳の培養細胞に添加すると、IP3R1欠損型のプルキンエ細胞の樹状突起伸展は正常に戻ることも分かりました(図2)。
さらに研究チームでは、プルキンエ細胞に蛍光物質を入れて特殊な顕微鏡で樹状突起を可視化して観察した結果、野生型のプルキンエ細胞が非常に整然とした美しい樹状突起伸展を示すのに対し、IP3R1欠損型のプルキンエ細胞の樹状突起伸展は大きく乱れていることを発見しました(図3)。これは、樹状突起の枝分かれが減少していることが原因の一つと考えられ、前述の培養細胞を用いた知見と一致しました。また、電子顕微鏡による観察の結果、IP3R1欠損型の小脳顆粒細胞の軸索の末端には、神経伝達物質を含むと思われる顆粒が異常に蓄積していることが分かり、顆粒細胞とプルキンエ細胞間のコミュニケーションに異常があることを示唆しています(図4)。
また、神経栄養因子のBDNFが軸索末端からの神経伝達物質の放出を調節するという以前の研究の知見と合わせると、顆粒細胞でIP3受容体を介してつくられたBDNFが、顆粒細胞自身の軸索に作用して神経伝達物質の放出を制御していると考えられます。
今後は、たくさんある神経細胞のうち、ある一部の神経のIP3受容体を無くしたマウスや、IP3受容体の3種類をすべて欠損したマウスを作成し、それぞれの神経のIP3受容体が脳における神経ネットワークの形成、記憶や学習などの複雑な脳機能にどのような働きをしているのか総合的に明らかにされることが期待されます。