理研BSIニュース No.33(2006年9月号)

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インタビュー

Sonja Gruen(ソニア・グリュエン) Markus Diesmann(マーカス・ディースマン)

カップル・ユニットの挑戦

左:Diesmann研究ユニット
ユニットリーダー
Markus Diesmann(マーカス・ディースマン)


右:Gruen研究ユニット
ユニットリーダー
Sonja Gruen(ソニア・グリュエン)


2006年9月、BSIに新しい2つの研究ユニットが参加する。両ユニットはその存在自体が、理研にとって新しい実験になると期待されている。なぜなら、2人の新ユニットリーダーは、私生活でカップルであるのと同様に、研究においてもパートナー関係にあるカップルなのだ。


Markus DiesmannとSonja Gruenの二人のドイツ人ユニットリーダーは、理論脳科学を研究する夫婦だ。ドイツでは二人は別々の研究所で仕事をしていたが、二人は研究を一緒に成し遂げたいと望むようになり、BSIがその機会を提供したのだ。


Sonjaは理研の和光キャンパスに到着した瞬間、「『ここは研究にふさわしい所だ』と確信しました。『キャンパスにきれいな並木道が整備されていて、イスラエルのワイツマン科学研究所にそっくりだ』と思いました。これだけ大規模な科学者の集合を見ると、科学のスピリットといったものを感じました」。


しかし、彼女によるキャンパスの感動的な描写も、この二人の科学者が脳に対して抱いている疑問の前では色あせてしまった。数理神経科学者であるMarkusにとっては、脳の“不器用な性質”は悩みの種だったのだ。


「コンピュータの処理速度と比較すると、脳の個々の要素である神経細胞――科学者はニューロンと呼びますが――は、あまりにゆっくりで雑然としている感じがします」。


もちろんシステムのレベルで見れば、脳は人工の機械とは比較にならないほど驚異的なことを可能にするが、このような複雑なことが、なぜ“低レベルなカオス”で可能なのだろうか――。Markusは、人間の大脳皮質の1立方ミリメートルのモデルを開発することで、この疑問の解答に貢献したいと考えている。


Markusは現在、それぞれが2個のプロセッサと4個の計算コアを内蔵したコンピュータ24台を、幅1メートル奥行き1メートル高さ2メートルという大きなスペースに並べて実験しているが、それでも問題は処理能力以外にも存在している。内部設計の真の問題点は、神経細胞を接続している数キロメートルにも及ぶ「バイオ」ケーブルの収容だ。つまり、クロゼットに服を入れようとしても、ハンガーのスペースが大きすぎてできないように、処理装置本体よりもサポート用の構成要素のほうがスペースをとってしまう、という状況だ。Markusはニューロンを“のんびりしている”と考えているが、そのわずか1立方ミリメートルのモデルを作成しようというだけで、必要なものがいかに多いことか――。


しかし、考えてみると、1立方ミリメートルの大脳皮質には6層の皮質層があり、それぞれが1万個の神経接続を備えた10万個のニューロンを保有している。これは、どれか2個のニューロンが現実的に低い確率(約0.1)で接続されていながら、各ニューロンが現実的な数の接触を確立し得る最小のネットワークサイズだ。脳の相互作用の複雑さは、心をすくませてしまうようなレベルなのだ。この見地からすると、クロゼット・サイズのスペースで、ダイナミックに変化する構造物内部に10億通りの相互作用を収容できるという、人間の創意工夫の巧妙さは驚嘆すべきものかもしれない。


「私たちは、脳は常時変化しており、ニューロンの応答は一定ではないということを知っています」と、Markusは言う。「どうすればこのようにダイナミックで高速に状態変化するニューロンの活動をモデルに化することができると思いますか?」


これは挑戦であり、現在のBSIにおける神経網研究の傾向とは逆方向を行くものに思われる。BSIのロボット工学研究者たちは、複雑なものは単純なものから誕生する、として神経網ネットワークを単純化しようとしているのだ。


Markusはこれに賛成しないわけではないが、ハードウェアは高価で柔軟性に欠けるという点を指摘する。可動ハードウェア(ロボット)のようなモデルに根本的な変更を行うよりも、不可動なコンピュータ上のソフトウェアを使用して抽象的なモデルを開発し、操作するほうが効率的で費用効果も上がるというのだ。しかし、Markusはこのような研究者たちとも協力している。なぜなら、脳型の装置は究極的には可動なものでなければならないからだ。


Sonjaもミニ・スーパーコンピュータを利用しているのだろか。この答えは、間接的にはイエスだが、彼女にとってそれは道具以上のものだ。


「私の役割は、実験者と協力して生物学的データを解析し、脳はどのように働くのかを理解し、発見したことをより現実的な方法でのモデル作成に利用することにあります」とSonjaは話す。彼女はさらに、ニューロンとニューロン集団との間のコミュニケーションを組織しているのは単一のニューロンではなく、創発的な性質を持つネットワークであると言う。彼女が理解したいと望んでいるものは、これらの創発的な機能グループ、そしてコンピュータ的な必要とネットワークの利用に伴って発生するグループ構成の変化なのだ。


二人がこれらの疑問に対する解答を得るためには、BSIのさまざまな研究チームとの共同研究が必要になる。BSIの実験的研究者と作業を行う機会は多いが、Sonjaが目標としているのは、同時記録による脳活動に関して興味深い成果をあげている谷藤学チームリーダー率いる脳統合機能研究チームだ。また、脳型計算論研究グループの甘利俊一グループディレクター、および中原裕之チームリーダーの理論統合脳科学研究チームも彼女と似た理論領域の研究を行っている。彼女は解析のために新しい統計ツールを必要としているので、二人のラボが彼女の助けになるだろう。


Sonjaはまた、さまざまな研究領域に対する共通の基盤を作成するために議論グループを組むことを強く願っているとも言う。


「Sonjaは実験データに基づいて、簡単な統計モデルを構築しようともしています。そうすれば、私が構築しているネットワークモデルを使用してその確認ができるでしょう。逆に、実験データのために開発する解析ツールを使用して、シミュレーション結果の解釈も行えるはずです」と、Markus。こうなれば、共に学び、共に進化するというすばらしいパートナー関係が生まれることだろう。


「私は、理論家たちにデータを示して彼らにある種の仮定は不可能であるということを伝えることで、彼らの仕事を調整するという役割を演じていると思います」とSonjaは付け加える。


実際、Sonjaの仕事は研究者たちに“何が実行できないか”を告げることだ。しかし、研究者たちは何よりもノーと言われることを嫌がる。好奇心と情熱に満ちた女性である彼女に対し、彼女の外交的な能力について尋ねてみたところ、彼女は黙り込んでしまった。Markusは笑っている。


「私も努力しています」彼女はくすくす笑いながら言い、数秒後には声を立てて笑い始めた。


「二人の間では私が外交官なのですよ」とMarkusは言う。「私はこの役割を楽しんでいるのです。人々を協調させて大きなことをやり遂げてもらう、というのは私の責任の一つだと思っています」。



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