理研BSIニュース No.32(2006年6月号)

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インタビュー

Tomasz Rutkowski

ドリーム・オブ・ザ・リターン

脳型計算論研究グループ
脳信号処理研究チーム
研究員
Tomasz Rutkowski


Tomasz Rutkowski研究員は三年前に一度、BSIから京都大学へ移籍した。 Rutkowski研究員は、日本で最も美しい街に移れること、そしてBSIを出て新しい経験ができることにも大きな幸せを感じていた。 Rutkowski研究員が出発する様子を見た誰もが、彼はもう戻って来ないだろうと思ったという。ところが、昨年4月、Rutkowski研究員はBSIへ、それも同じ研究チームに戻って来たのだ。彼が京都に飛んで行く様子を見た人は、彼が喜んで帰って来たことに驚かされ、それについて尋ねられたRutkowski研究員は、微笑みながら「BSIは天国ですよ!」と答えたという。天国?今回、インタビュアーは不可思議な思いを抱いてこの“帰還者”をコーヒーに誘い、BSIが研究者にとってなぜ天国なのか話を聞いてみることにした。
(写真:EEG測定用の電極をつけているRutkowski研究員)


Rutkowski研究員によれば、「BSIは文字通りの天国というわけではありませんが、開放的で、国際的で、世界の大きな研究所などと結びついています。設備も私が神経科学において行いたい研究にとって理想的なものでした。京大は研究発表の記録は見事なものですが、分野を越えた研究にとっては、BSIほど安息の地ではありませんでした。つまり、神経科学とコンピュータ科学と応用工学との間に橋を掛けるのは困難なことだったのです」。


Rutkowski研究員はそう言いながらも、京都の週末、そしてかつての学生たちとの仕事についてはひとしお懐かしんでいる。幸いなことに後者の場合については、インターネットでの対話が心を和らげてくれたようだが、それでもRutkowski研究員はこう言う。


「どの研究者も、一、二年は理研の外で働いてみるべきです。そうすれば、理研には何があるかを理解することができるはずです」。


Rutkowski研究員は祖国ポーランドで生体工学を研究していた。「この学位は、私の母の職業である医師と、父の職業である工学を融合したようなものです。しかし、国の経済が弱かったため、日本との交換プログラムの枠で博士号を得られる話者認識の研究を完了するように勧められました」。


1998年、Rutkowski研究員は、Andrzej Cichockiチームリーダー率いる脳信号処理研究チームで働く技術者兼大学院生として理研に来た。ここでRutkowski研究員は、聴覚通路のいわゆる「カクテルパーティ」効果の音分離とモデリングのためのブラインドソース分離技術の応用に取り組んでいた。


博士号の取得後、Rutkowski研究員はさらなる研究を求め、新しい前途のある生活に胸を膨らませて京都に移る。 Rutkowski研究員は幸せな気分で、熱望さえしてBSIを離れたのだ。


しかし、Rutkowski研究員はその考えを方向転換することになる。第一に研究対象が変わったのだ。多くの人々の生活の質を改善する真の可能性がある基礎研究に代わり、商業目的のマルチメディア研究をすることになり、 BSIで行っていた生体医学指向の信号処理や実験的研究は、AV情報処理と社会心理学とコンピュータ仮想現実を融合した作業に切り替わることになったのだ。


さらに大学は、一流の論文誌で発表することを望んだ。突然研究が、早い応用が可能なもの本位になったのだ。 Rutkowski研究員は微笑みながらこのことを振り返る。


「私は、『好きなことをして良いが論文が必要だ』と言われたのです。しかし、あの環境では、私の論文が廃棄されるか発表されるかの再検討の過程で行えた本当の意見交換は、外部とだけでした」。


BSIと京大との文化的相違により日々の体験は困難でも、京都での日々はやりがいのあるものだったという。 Rutkowski研究員の日本語はまだ十分でなかったが、学生たちの概念を理解したいという要求は容赦なく、素晴らしかったのだ。「おかげで私の仕事のためのアイデアに対する、私自身の理解も明瞭にして深めることができました」。


しかし、同僚とは真の対話することはできなかった。大学での使用言語は日本語だったからだ。 Rutkowski研究員は英会話には高い能力があるが、「英語で始まった会議も重要な話題になるとほとんど必ず日本語に切り替わってしまい、会話について行けなくなるんです」と肩をすくめひとり笑いしながら話す。その結果は、孤立だった。


成果発表へのプレッシャーは、BSIの方が京大よりもはるかに大きなものだったが、BSIには広い科学の世界への強いつながりがある。会合やセミナーはすべて英語で行われ、環境は国際的で、そして世界中からの研究者の訪問が頻繁にある。このようなつながりが、和光での生活がもたらすことのある“文化的孤立感”を抑えてくれるという。「とはいっても、池袋から電車で10分なのですけどね」と、Rutkowski研究員。


確かに、Rutkowski研究員にとっては以前より自身のアイデアを探求する自由は減り、学生との仕事も懐かしく思っているようだが、理研和光キャンパスにも美しさは独自のあり方で存在するのだ。


Rutkowski研究員は現在、障害者の外界との対話をより容易に援助する可能性のある非侵襲的脳コンピュータインタフェース(BCI)技術の開発を行っている。この技術は、人々が筋肉を使用しないで各種装置やコンピュータゲームの操作を行うことを可能にするかもしれない。


「朝のラッシュアワーの混んだ電車で、手を使わず、また反応時間からあなたが鈍いことを車内で他の人に知られてしまうこともなしに、コンピュータゲームをプレイするところを想像してみてください」。


Rutkowski研究員は、突然周囲に気づいたように、一年前BSI内にできて以来、研究者やスタッフの溜まり場になっているタリーズ・コーヒーの中を見渡した。


「カフェは毎日、笑ったりおしゃべりしたりの人で混んでますね。京大ではこんなことはないんですよ。簡単に外に出て街のカフェに行けますから」。そして地元、和光のパブ、A-Oneでは、毎週水曜日には今でも脳研究者の集まりで満員になっているという。


そして、帰ってきた“放蕩息子”たるRutkowski研究員にとっても、おそらくこのカフェがBSIの最良の部分であるだろう。京都では友人になれるような若手研究者が少なく、理研で得られるはずの社会体験と比べると見劣りがしたのだ。


「京都では私と同年齢の人はいなくて、比較的近い少数の人も長くは留まらないのです」。この例に漏れず、Rutkowski研究員は京都に二年いただけで戻って来たのだ。



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