脳科学の特徴の一つは、その幅広い階層性にあります。シナプスの分子生物学から心理学レベルの計算論まで多くの階層があり、それぞれもそれらの相互作用も驚くべき豊かさをもっています。私の目標は、この階層で中間のレベルに位置する、比較的局所的な神経回路の特性の理解です。すなわち、局所的な回路の構造や情報表現、さらには実行されている計算を知りたいと思っています。
局所的な回路の特性を理解することの重要性は多々あります。まず当然のことですが、局所回路の理解は、さまざまな神経細胞の受容野などの動作特性が構成されるメカニズムの理解に必須です。さらに、情報表現を正確に理解するためには、入力を良くコントロールしなくてはなりませんが、これは動物個体では難しいことです。同様な理由で、複雑な処理を見出すことも局所回路を対象とするのが有利です。局所回路の複雑な動作の理解ができれば、従来からある行動実験の解釈などへの大きな寄与となるだろうと予想できます。
局所的な回路の理解はこのように重要と考えられますが、その知見は分子生物学レベルや個体レベルの研究に比べて大変限られています。私は二つの方法でこの分野にアプローチしたいと考えています。第一は入出力の観察が容易である系を用いて、神経回路一般に重要であると思われる特性の探索を行うことです。第二は複雑な回路にアプローチする足がかりを新しい技術を用いてつくることです。
前者の目的のためには、複雑な入出力の特性解析をできるだけ精密に行う必要があります。この目的で、私は脊椎動物網膜を使っています。網膜の利点の一つは情報処理が一方向であることです。このため入力から出力への写像を記述すれば、機能の大部分を理解できることになるはずです。今一つは、完全に機能を保った回路を取り出し、コンピュータを用いて任意の入力をすることができる点が挙げられます。これにより回路が複雑な処理をしている場合でも、探索できる可能性が生まれます。このようなことから、私は網膜が局所回路のモデルとして優れていると考え、情報の表現と処理の分野での研究を行っています。
情報表現の分野では、いわゆる発火頻度だけでなく、神経発火の微細な時間パターンが重要な情報を担っている可能性を見出しています。情報処理分野では、網膜が画像のパターンに応じて処理の仕方を調節していることを見出しました。これらはいずれも幅広い神経回路にとって有利と考えられる性質であり、一般的な回路がもつ性質のプロトタイプとなることを期待しています。
第二の目的のための実験はまだ始まったばかりで、さまざまな可能性を試している段階ですが、できるだけ早くご紹介できるようになりたいと思っています。
局所回路の機能の分野では、さまざまな新しい理論や技術が開発され多様なアイデアが試されており、個人や小さなグループが本質的に重要な知識に到達できるチャンスが多くあると思います(少し手前味噌ですが)。 BSIは理論でも実験でも議論する相手のいる、世界でもまれな場所だと思います。もし、私たちのやっていることに興味を持たれた方がいれば、ぜひ様子を見に来てください。
筆者近影。後ろにあるのはパッチクランプ装置。