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研究者インタビュー

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環境・神経・認知の相乗効果でヒトへの進化が起きた?
入來篤史チームリーダーに聞く

理化学研究所 脳科学総合研究センターの入來篤史チームリーダー(TL)たちは2009年、道具を使う訓練をさせたニホンザルの大脳皮質を調べ、特定の部位が膨張していることを発見しました。そこはサルからヒトへの進化の過程で拡大した部位とよく対応しています。入來TLたちは、遺伝子改変などが可能なマーモセットを用いて、ヒトへの進化の過程に実験的に迫ろうとしています。

オレンジ色が膨張した部位。そこは、ヒトの角回(39野)や縁上回(40野)と呼ばれる、ヒトにしかない部位に対応する。それらのヒトの部位は、言語や概念の操作などの高次な認知機能をつかさどる。

2009年10月6日理研プレスリリース
「道具使用法を訓練後、サルの大脳皮質の膨張を示す信号を発見」より


■道具使用でニホンザルの大脳皮質が膨張

「小学1年生のころから物語を書き始め、若気の至りで小説家を志望していた時期もありました。人間とは何か、に興味があったのだと思います」と入來篤史TLは振り返る。

 人間とは何か。その大きな特徴の一つは、ほかの生物に比べて大きな大脳皮質を持つことだ。そのような脳の拡大に伴い、優れた記憶力や論理的推論力、言語能力、複雑な社会を築いて社会生活を営む能力などを獲得した。どのようにしてそのような進化が可能になったのだろうか。

 「火を使ったり言葉をしゃべったり、道具を巧み操ったりすることもヒトの特徴です。ヒトの優れた特徴だと考えられていることをサルに訓練させて、そのときの脳の変化を調べることでヒトへ至る進化の過程を探ることができるかもしれない、と考えました。ただしサルに言葉をしゃべらせるのは難しいし、火を扱わせるのは危険。そこで実験のしやすい道具使用の訓練させることにしました」

 入來TLたちは、熊手に似た道具で餌を引き寄せる訓練をニホンザルにさせて、訓練前・中・後の脳をMRI(核磁気共鳴画像装置)で測定。大脳皮質の特定部位が膨張していることを示す信号を発見した。「そこは、サルからヒトへと進化する過程で拡大した部位とよく対応しています。ただしその膨張は、神経細胞が増えたことによるものか、あるいは血管が増えたり組織が腫れたりしただけなのか、分かりません。膨張した部位の実態と変化のメカニズムが知りたい。そのためにFIRSTプログラムにおいて、遺伝子改変などの実験が可能なマーモセットを用いた研究を始めました」

 入来TLたちはマーモセットにも熊手のような道具で餌を引き寄せる訓練をさせた。「マーモセットもその道具を使うことができるようになりました。大脳皮質に膨張が見られるのかどうか、それを今調べているところです」

■サルからヒトへの進化の過程を実験的に検証する

 2012年、入來TLたちは「三つ巴(環境・神経・認知)ニッチ構築」というヒトへの進化に関する新しい考え方を提唱した。「サルからヒトへの進化の過程で大脳皮質をはじめとする脳の拡大により、新しい認知能力が獲得されたはずです。その新しい認知能力によって、より住みやすいように環境を変化させた。その環境変化が脳の拡大を促し、さらに新しい認知能力を獲得する……。このように環境・神経(脳)・認知が相乗的に発展していった。それがサルからヒトへ進化の過程だ、という考え方です」  自然環境では道具を使用しないサルに、道具使用の訓練をさせるという新しい環境を与えることで、脳が膨張したのかもしれない。では、脳の膨張に伴い、新しい認知能力が獲得されるのか。

 入來TLたちはマーモセットの行動から、さまざまな能力の程度を評価する指標を確立しようとしている。「すでにニホンザルではそのような指標がいくつか開発されています。それを応用すればいいと思うかもしれませんが、それは浅はかな誤りです。マーモセットは、ニホンザルやヒトと得意とする能力や行動パターンが異なります。そしてヒトにはなくマーモセットしか持っていない能力は、私たちには理解できません。評価できるのは、ヒトとマーモセットが共有している能力だけです。まずマーモセットの身になり、その行動を無心に観察する必要があります。そのために私は佐々木えりかTLたちとブラジルへ赴き、現地の研究者に案内してもらい野生のマーモセットを観察しました。そして、そこからさまざまな着想を得ることができました」

 道具の使用を訓練するという環境変化によりマーモセットの脳がどのように変化するのか、その実態と変化のメカニズムを調べる。さらに脳の変化により認知能力がどの程度変化するのか指標を用いて評価する。入來TLたちはそのような実験により、三つ巴ニッチ構築というヒトへの進化の仮説を検証しようとしている。「認知能力が変化したマーモセットがさらに環境まで変えるかどうかは分かりませんが、三つ巴ニッチ構築の生物学的な証拠を体系的につかむことができると期待しています」

■書を捨て自然を観察しよう

 入來TLは、生物学者だった祖父や父から“Study nature, not book(書を捨て自然を観察しよう)”と物心ついたころから教え込まれた。「まず自然を畏怖をもって無心に観察し、そこから本質的で大きな仮説を立てて、じっくりと検証する。それが学者としての私の基本姿勢です」
「特に生物の世界は因果関係が複雑に絡み合い、容易に単純化できません。そこに生物の本質があります。ところが最近の研究者たちは自然をあまり真摯に見ていません」と入來TLは危惧する。「本や論文で得た知識を限りに刹那的な仮説を立て、それを姑息に検証して満足する傾向があります。それでは最初から見えていないものがたくさんある。その見えていないものの方に、重要なことがたくさんあるはずです。それを見つけるために、まず自然を無心に観察して、その上で深く追究する必要があるのです」

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)