理研BSIニュース No.23(2004年2月号)

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BSIでの研究成果

睡眠とシナプス可塑性:発達期の視覚系における双方向の作用

神経回路発達研究チーム


ヒトはなぜ眠るのか?ヒトは生涯のおよそ3分の1を眠って過ごすといわれるが、その目的は今もなお謎に包まれている。はっきりしている事といえば“休息する”ことであろうか。ただこのことは私たちの身体の筋肉については的を射ているが、脳の場合となると真実からは未だ遠い。脳波(EEG)が初めて測定されたとき、非常にダイナミックな睡眠中の活動パターンが認められた。この睡眠時の脳波は明瞭に区別される2つの形を伴って現れる。ひとつは大振幅の緩やかな波を生じる睡眠であり(徐波睡眠)、もうひとつは覚醒時に似た低振幅速波をともなう睡眠である。後者は急速眼球運動を示すことがちょうど50年前に発見され、今日ではREM睡眠とよばれ(Aserinsky & Kleitman, 1953)、現代睡眠生理学の嚆矢となるものであった。


夜間を通じてきまって徐波睡眠が先に現れREM睡眠がこれに続く。ヒトではこの単位が90分周期で繰り返されている。興味深いことにいずれかの睡眠に費やす時間のバランスは一晩の間に変化してくる。入眠時では徐波睡眠が大半を占め、朝が近づくにつれ大部分はREM睡眠へと移行する。REM睡眠は夢見と関連していると一般的には信じられているが、別の種類の夢が徐波睡眠中にも出ていることも知られている。外界から隔絶された状態でなぜ脳はわざわざ斯くも活動していなければならないのかと、心理学者、哲学者そして神経科学者にとって長い間の疑問であった。そのなかから“睡眠とはオフラインモードの状態であり脳は明日に備えてその日の出来事・経験の再構成に余念がないのだ”という魅力的な仮説が生まれてきた。


シナプス可塑性は睡眠と不可分の関係にあるのではないかという提起がなされている(Miyamoto & Hensch, 2003)。同時に“眠りは記憶を強化する”から“眠りは不必要な情報を整理・消去している”まで極端から極端まで諸々の仮説が存在している。いずれにせよ脳が為しうる最善の機能のひとつである学習・記憶を脳に獲得させようとする過程と睡眠はとらえられている。歌をさえずる小鳥たちや迷路を駆け回るネズミたちそしてテトリスゲームに興じるヒトに至るまで、かれらが眠っている間に経験・学習していた時と同じ脳活動パターンが脳自身により再生される例が最近数多くの報告により確認されている。そのうえ睡眠が得られると(わずかな居眠り程度でも)、学習成績とともに作業能力もしばしば改善されることがある。被験者から睡眠を奪うと学習のスピードは低下する。疑いようもなく“われわれは眠っている間に学んでいる”といえよう。そして“ひらめき”さえも(Wagner,et al.2004)。


図1


図2


図3

われわれ研究チームが目指しているものは発達期にある視覚系をモデルとして利用し、睡眠と可塑性という二つの脳機能間に存在する関係を細胞・回路網レベルから解明することである。視床皮質回路は覚醒時の感覚入力を処理し、睡眠時には特徴的な徐波振動を自発的に発生させる(図1)。したがって両機能を有する視覚系神経回路は両者の直接的な相互作用を、とりわけよく知られている臨界期の視覚系可塑性をもとにして、詳しく調べるのに理想的な場所と我々は考えている。例えば視覚機能が適切に成熟し維持されるには正常な感覚経験を必要とする。発達初期の臨界期に片方の目の入力が失われると、入力を受けている目の影響が強くなるように視覚皮質の反応性が急速に変化し、睡眠はそれを促進する。また私たちが得た結果は睡眠と可塑性が双方向性の関係にあることを明確に示している。すなわち脳の学習を睡眠が助ける一方で、睡眠自体が経験を通して変わるのである。


不思議に思われるかもしれないが、睡眠中に生成される脳波のリズムそのものは固定しているわけではない。感覚入力を通常より多く受け入れた場合あるいはまったく得られなかった場合、対応する脳領域の徐波の強度が高まったりあるいは低下したりすることを視覚系と視覚経験を中心に私たちは見出してきた(Miyamoto et al., 2003)。生まれてすぐのネコやマウスを完全な暗闇の中で育てる(暗闇飼育:DR)と、一次視覚野では脳波の徐波成分であるδ波(1-4Hz)が可逆性をもって減少するが、同一個体の他の脳領域ではこの減少は認められない(図2)。なお睡眠量は影響を受けていないことを付言したい。さらにこの徐波の変化はNMDA受容体依存性を示すことがミュータントマウスを用いた実験より示唆された。おもしろいことに感覚遮断に対する睡眠可塑性は視覚野可塑性臨界期の後期に限られていた(図3)。


これらの知見を敷衍して脳波リズムが経験を色濃く反映するものならば、増強・減弱した徐波が睡眠の質的変化として現れてくるかもしれない。将来的には脳波分析に基づく睡眠障害の臨床診断には、広範囲の洞察に満ちた脳科学の発展に加え、個々人の感覚体験(殊に発達期の臨界期中の)を検討することも要件となるのではないだろうか。



References
Aserinsky, E., Kleitman, N. (1953) Regularly occurring periods of eye motility, and concomitant phenomena, during sleep. Science 118: 273-274.
Miyamoto, H., Katagiri, H. & Hensch, T.K. (2003) Experience-dependent slow-wave sleep development. Nature Neurosci. 6: 553-554.
Miyamoto, H. & Hensch, T.K. (2003) Reciprocal interaction of sleep and synaptic plasticity. Mol. Interven. 3: 404-417. Nature Neurosci. 6: 553-554.


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