躁うつ病との出会い
100人に1人が発症すると言われる躁うつ病。比較的身近な病気であるのにもかかわらず、原因については分かっていないことがまだまだ多いという。
加藤忠史チームリーダーは、細胞質中のミトコンドリア遺伝子の異常や個人差が躁うつ病を引き起こすのではないかと考え研究を続けているが、元々は精神科医で臨床の現場にいた。
精神科医になって2年目、加藤チームリーダーは東大から滋賀医大へ移るが、ここでの出来事がその後の道を決めることになる。
「病棟で躁うつ病の患者さんを担当することになったのですが、うつ状態が続いていた患者さんがある晩、突然、気持ちが高ぶってきてじっとしていられなくなったので何とか止めてくださいと訴えられるんです。でも、予防薬も睡眠薬も飲んでいるし、できることはしているはずなんです。けれど、何かが体の中で動き始めているというのが、患者さんは自分で分かっているんですね。そして、翌朝になると躁状態になって大声でしゃべったりと、一晩で両極端に状態が変わってしまうというのを目の当たりにしました。」
一目で見て分かるような、うつから躁への激しい変化という現象が、現代の科学をもって分からないわけがないのではないか――。何とかしてくれという患者に何もできなかったという思いが、彼をこの病気の原因を解明する研究へと向かわせるきっかけとなった。
誰も見たことのない脳内の化学状態を見る
加藤チームリーダーが研修医1年目に学会で知ったのは、核磁気共鳴法(NMR)を用いて脳の化学分析をする研究方法だ。現在では、NMR技術を応用した MRI装置は当たり前のように使われているが、加藤チームリーダーが東大から滋賀医大に移った1989年当時は、やっとMRI装置が各病院に設置され始めたころで、MRIによる画像検診でさえ始まったばかりだった。
「そんな時期に、僕は躁うつ病患者さんの脳の形だけを見ても原因は分からないだろうと思い、脳の化学分析を始めました。NMRで精神疾患患者さんの脳代謝を調べている人は世界にほとんどいませんでしたので、まだ誰も見たことのない患者さんの脳内の化学状態を見ていることで、毎日が驚きの連続でした。」
NMRを使った研究を進めるうち、躁うつ病で見られた所見がミトコンドリア病で報告されたものと類似していることが分かり、ミトコンドリア遺伝子解析の研究に入った。
「理研に来る前、『躁うつ病とミトコンドリア遺伝子の関係を証明するにはこうすればいい!』と、たくさんのプロジェクトを学会で提案していました。いま思うと、とても大学で臨床の傍らにできるようなプロジェクトではなかったと思います。」
そんな頃、BSIで精神疾患の研究者を募集している記事を見たものの、加藤チームリーダーは自分が応募することにはためらいがあったという。
「BSIでの研究は時限プロジェクトで大きな研究費がつく代わりに、身分は保障されないという、ハイリスク・ハイリターンです。それに、自分にとっては、研究だけでなく、臨床や教育も同じように大事だとも思っていました。けれども、応募してみないか、と声をかけていただいたときに、このまま『こうすれば解明できるはずだ』と言いながら終わってしまうのか、あるいは思い切って大学を飛び出して理研に行ってみるか、と自問自答してみて、本当に病気を解明するにはこれしかない、と応募することに決めました。」
BSIでのカルチャーショック
そのBSIの選考では、早々とカルチャーショックを受けることになる。
「学会で語っていた大きな研究プロジェクト計画をプレゼンしたのですが、『いや、君の計画はいいんだけれど小さ過ぎるんだ』と言われて、少々ショックを受けました。理研で大きなプロジェクトを抱えてやっていくためには、もっともっと大きな視点で見て行かなければ、と思いました。」
そのとき提案した実験は、今、すべてが行われており、順調に進んでいるという。その甲斐あってか、昨年になって、10年前には世界でほとんど注目されていなかった躁うつ病とミトコンドリアの関係についての論文が海外から出たり、製薬会社がミトコンドリア病の薬が躁うつ病に効いたと発表したりと、急速に注目が集まりつつある。
「これもチームに集まってくれたみんなが、本当に頑張ってくれているおかげです」と加藤チームリーダー。
「躁うつ病の原因が分かれば、感情がどのような分子メカニズムで動かされているのかも解明できるはずです。」
中学時代から心理学や精神医学の研究を志し、そのために医学部に入ったという加藤チームリーダーの、心と脳の不思議を解明したいという夢は、少しずつ現実のものとなろうとしている。