理研BSIニュース No.28(2005年5月号)

言語切替:日本語 » English

インタビュー

田中 繁

視覚神経回路モデル研究チーム
チームリーダー
田中 繁


物性理論から脳科学の世界へ

大学院生時代、田中繁チームリーダーの研究テーマは物性の理論だった。


「神経科学とは縁もゆかりもない研究でしたが、理論というのは、腰が軽いところがあります。学位を取ってから、どんな研究をしようかと思ってあらためて物理の世界を眺めてみました。確かに物理にどっぷり浸かっていると面白い問題はいっぱいありますが、普通の人が見ても、なるほどと興味を持つような研究をやりたいと思うようになりました。」


そう考えてみると、田中チームリーダーには自分の脳はどのようにはたらいているのか、以前から漠然と興味があった。ところが、『神経細胞とは何か』すら知らない世界である。それでも、研究者としてその方向に進みたいと思ってNEC基礎研究所(現NEC基礎・環境研究所)の視覚モデルを研究するグループに入り、「帰宅してから毎朝3時、4時まで勉強して、8時半に出社する生活」が始まった。


ある時、田中チームリーダーはサルの大脳皮質一次視覚野に、類似した反応特性を持つ柱状のニューロン集団(コラム)が規則的に配列していることを知り、それが強磁性体でできた薄膜の磁区構造とよく似ていることに気づいた。磁性薄膜では、上向きと下向きに磁化した領域(磁区)がストライプ状に並び、そこに磁場を上向きにかけていくと、上向きの磁区が広がりその代わりに下向きの磁区の幅が狭くなる。このような外部磁場に対する磁区の変化の仕方は、発達期の単眼遮蔽によって誘導される眼優位コラムのバンド幅における変化の仕方にも類似している。この強磁性薄膜における磁区構造形成の理論的枠組みを援用して、視覚野のコラム形成の数理モデルが構築できるのではないか――。


「絶望的なくらい複雑な世界だと思っていた脳に、こんな秩序だった構造があることに驚き、それまでやってきた物理のものの見方も役に立つのではないかと思いました。ほとんど断崖絶壁にしか見えなかったところに、足場が見つかったかな、と。」


それが、現在へ続く研究テーマの出発点となる。


清水の舞台から飛び降りる

その後、自己組織化現象について論文も出るようになったころの出来事である。

「父が事故に遭ったことが原因で、髄液の流れが悪くなり水頭症になったのです。そうなってみると、自分が脳の理論研究をやっているといっても、実際には無力であることがよく分かりました。そこで、自分自身で脳に何らかの形で触れて、実体験しなければと痛感しました。」


ちょうど理研からのオファーを受けて、実験を立ち上げる機会にも恵まれた。光学計測という手法によりネコの視覚野コラムを調べて、それまで理論で研究をしてきた自己組織化現象を実験的に検証しつつ、さらなる理解を得ようとしたのだ。


とはいっても、田中チームリーダーは実験をしたこともなければ、脳を見たこともない。そこで、実験研究者のポスドクを入れて実験を開始した。そのポスドクは一年後に理研を去った。が、その直後に実験を担当していた学生が腕を骨折して、ついに自分で実験をすることになってしまった。


「ずっと理論で来ていたので、自分で実験をするなんて清水の舞台から飛び降りるようなものでしたが、その日は学生に後ろで指示してもらって何とか計測することができました。その日以来、自分で実験をするようになったのですが、電車の中でもどこでも、実験のイメージトレーニングを繰り返していました。それで、実験に臨むとかなり思ったようにいくんですね。イメージトレーニングに意味があるんだと初めて分かりました。」


実験の内容は、例えばネコに縦縞ばかりを見せ続けると、自己組織化の理論から予測されるように、縦に反応するコラムが拡張するのかどうかを確かめるもの。そのような現象は起こらないという論文がすでに多数発表されていたものの、理論的に考えてその結論に納得できず、実験方法に問題があるのではと考えた。「東急ハンズに入りびたっては使えそうな材料をかき集めて自作した」ゴーグルをネコに常時着用させ、一方向に引き伸ばされた外界のイメージのみを視体験させた後、光学計測を行った。その結果、理論的予測通りのデータが得られた。


理論研究者ならではの脳研究を

田中チームリーダーが物理学で学んだことは、脳を含めて自然で起こる現象は、できるだけ単純なモデルで説明すべきだということ。


「実際、複雑な現象を単純な命題に置き換えることができたときに初めて、我々はその現象を『理解』したと感じるのです。確かに生物現象というのは多様で、制御不能なパラメータがいくつもあったり個体差があったりと複雑ですが、その中からきれいな規則を取り出してこなければなりません。私は物性の理論研究で思考方法がインプリンティングされているので、計測されている現象を無視した理論研究はできないのです。」


現実に足場を置きつつ、理論的な研究を――。困難な道ではあるが、理論で納得できる成果を目指し研究を続けている。




発行元

  • 理化学研究所
    脳科学総合研究センター
    脳科学研究推進部
  • 〒351-0198
    埼玉県和光市広沢2番1号
    TEL:048-462-1111(代表)
    FAX:048-462-4914
    Email: bsi@riken.jp
  • 掲載の記事・写真及び画像等の無断転載を禁じます。
    すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。