理研BSIニュース No.29(2005年8月号)

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Brain Network

アメリカの大学における女性研究者事情

馬塚 れい子

言語発達研究チーム
チームリーダー
馬塚 れい子(まづか れいこ)


最近、理研でも男女共同参画についての取り組みがなされています。女性研究者の一人として、どんな取り組みがなされるのか興味深く思っています。私は昨年の7月に理研に来たのですが、それまでアメリカのノースキャロライナ州にあるデューク大学で心理学を教えていました。大学院を含めて20年近くアメリカの大学にいたので、今回はアメリカの大学の事情を少しご紹介しようと思います。


私の専門である言語学や発達心理学は、もともと女性の研究者の多い分野ですが、心理学全体でも新しい教官の面接をする際、「たまには男性の候補も面接に呼ばないと男女差別していると言われるよ」という冗談が出るくらい女性の進出が進んでいます。学部生も院生も女性の方が多いので、女性が活躍しにくいという状況はかなり少なくなっているように思います。出産や子育てに対するサポートも充実していて有給の産休や育児休暇もあり、育休はカップルのどちらがとってもよいことになっています。教授会や委員会のスケジュールを決めるのに、子供を保育園に迎えに行く教官がいればそれを考慮して時間を決めるのは当然ですし、学部のイベントなどにも子供がいる教官の都合が配慮されます。こういう配慮をすると子供のいる人の負担を回りがかぶることもあるのですが、それで不満が出ることもないようです。家事は女性がして当然という意識はかなり希薄になっていて、料理が得意な男性も多いですし、ベビーシッターや掃除をしてくれる人を雇うのも簡単ですから、それを利用して家事の負担を減らすこともできます。最近では金銭的にゆとりがあれば、外国から住み込みの子守(Nanny)を雇うことも珍しくなくなりました。


でも、どこの学部でもこんな恵まれた状況にあるわけではなく、物理学や数学などの女性の少ない学部ではまだまだ女性が仕事をしにくい状況にあると聞きます。そういう分野では年長の女性研究者が少ないので、40人いる教官のなかで若い女性が一人、二人というようなところもあります。女性がいることに慣れないところではトラブルも多く、大学の制度として産休や育休があるのにとりにくくなっていたり、女子学生の進路指導がうまくできないという話を時々聞きます。


アメリカの大学で、テニュア(終身在職権)審査を受ける資格のある助教授や、すでにテニュアを取った準教授や教授をテニュアトラックと呼ぶのですが、テニュアトラックの教官はある程度身分が保障されていて、前述したような女性をサポートする制度も充実しています。でも、テニュアトラックでない職に就いた人はそういう制度の対象から外れてしまいます。デュークでも、自分の給料までグラント(助成金)で賄わなければいけない医学部の研究者や、そういう研究室に雇われた研究員は身分の保証がありません。妊娠や出産に限らず、研究者が何かの理由で体調を崩して研究の成果を上げられなければ、グラントの更新が認められずにそれで終わってしまうこともあります。さらに、グラントで雇われた研究員には産休や育休も認められていませんから、出産しようと思ったら無給の病気休暇を取らなければなりませんし、身分の保障もないので、出産後に戻ろうと思ってもポジションがなくなってしまう場合もあります。医学や生物などの理科系の研究者は、テニュアトラックの仕事に応募する前に、2、3年が期限のポスドクを何カ所も渡り歩くことも珍しくありません。結婚したり子供がいたりすれば、そのたびにパートナーや子供も一緒に動くのか、別居になるのかという選択を迫られることになります。また、大学で授業を教えるスタッフには、テニュアトラックでない期限付きの専任講師や非常勤のスタッフも多くいます。人件費を削減するために、テニュアトラックのポストを減らして期限付きの専任講師を増やしている大学も多いと聞きますし、非常勤講師は安い給料で多くの授業を教えなければならないことが多く、身分的にも金銭的にも厳しい状況にあります。このような状況は男女を問わず大変です。でも、妊娠や出産をしようという女性には厳しさはより深刻で、無理をして仕事を続けたり退職に追い込まれてしまうことも珍しくないのです。アメリカの大学では、一方でテニュアトラックの教官の環境が向上しているのに、身分の保証のないそれ以外の研究者の厳しい状況が改善されないという二極化が進んでいるといえると思います。


アメリカの大学で、女性の教授が活躍することができるようになったのはそんなに昔のことではありません。私はニューヨーク州にあるコーネル大学で博士号を取ったのですが、当事のコーネルの心理学部に乳児の知覚発達の研究で有名なEleanor Gibsonという教授がいました。視覚心理学の大家のJames J. Gibsonの奥さんだった人なのですが、彼女がエール大学の心理学部の大学院に進学した時、ある教授の研究室に入れてもらおうとして面接に行ったら、「私の研究室には女性はいらない」と言って門前払いだったそうです。James Gibsonと一緒にコーネルに来た後も、夫婦を同じ学部で採用しないという大学の方針で何十年もの間研究室も与えられず、農学部の農場で動物を使って研究を続けていたそうです。後にコーネルの教授になってからは、画期的な論文や本を次々に発表して乳児の知覚発達という新しい研究分野を開拓した人ですから、彼女にその話を聞いた時には、そんな話が目の前にいる先生自身の若いころにあったのかと本当に驚きました。


コーネルにいたころアメリカ人の日本研究者が、講演で「東大の女性教授は今も昔も中根千恵ひとりだけだ」というのを聞いてびっくりしたことがあります。最近は、日本の大学でも女性の教官が増えてきて、私くらいの世代では主要大学で活躍している女性研究者も珍しくありませんし、BSIでも女性のチームリーダーやユニットリーダーが複数いて、女性の研究者の裾野も広がってきていると思います。もっと多くの女性研究者が育って欲しいし、そのための環境を整えるにはまだまだ課題もたくさんあります。でも、今の環境はほんの数十年前まで先輩の女性研究者たちが、今では考えられないような苦労をして築いてきたことを忘れずに、さらに少しでも良くして後輩たちに引き継げるように努力しなければいけないと思っています。



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