Notchは一回膜貫通型の受容体分子で、細胞膜蛋白質である基質分子を発現する細胞の直接の接触により活性化し、細胞分化を誘導する。試験管内の神経幹細胞でNotchシグナルを活性化すると、ニューロンへの分化が抑えられ、アストロサイト分化が誘導される。
背景
脳神経回路は、突起を伸ばして連結し合うニューロン(神経細胞)の電気信号の送受信により機能しますが、脳にはニューロンより数~十数倍の数のグリア細胞が存在しています。グリア細胞は、ニューロンの周りをグリア突起で覆い、脳組織構築を支え、ニューロンへの栄養供給、ニューロン間の信号伝達の補助などを行って、ニューロンの機能と生存を補助しています。両者は脳の発生中、共通の幹細胞から誕生して互いの分化と成長を制御し合い、緻密な神経のネットワークを形成していきます。
最近の研究では、神経幹細胞からのニューロンとグリアの分化に、Notchシグナルが重要な役割を果たすことが明らかになってきました。動物の生体や試験管内の神経幹細胞でNotchシグナルを活性化すると、ニューロンの分化が抑えられ、グリア細胞の一種であるアストロサイトが過剰に分化します。逆に、Notchシグナルを抑えるとニューロンが過剰に誕生することから、Notchシグナルは幹細胞からニューロンへの分化を抑え、アストロサイトの分化を促進すると考えられています(図1)。しかし、Notchシグナルはあらゆる組織の発生に不可欠であり、Notchシグナルに関係する遺伝子を欠損させたノックアウト動物は、発生の初期に死に至るため、神経回路形成に実際にどのような機能を果たしているかは、不明な点が多く残されています。
研究手法と成果
これまでに研究チームは、分化した脳神経系ニューロンに特異的に発現するDNER遺伝子と、それにコードされる膜蛋白質を発見していました。アミノ酸配列の解析で、DNERの構造にNotchシグナルの働きを活性化する基質蛋白質と類似点が認められたため、培養細胞を用いてDNERとNotchの相互作用の有無を検証しました。遺伝子操作により、DNER・Notchそれぞれを発現させた細胞を接触させると、両分子間で結合が起こり、Notchシグナルが活性化することが示され、DNERがNotchシグナルの基質として作用しうることが明らかになりました。
実際に回路形成期の脳で、DNERとNotchは密接に相互作用する細胞で発現していました。小脳ではDNERを発現する主要なニューロンであるプルキンエ細胞は、Notchを発現するバーグマングリアと呼ばれる一種のアストロサイトの突起に覆われています(図2)。プルキンエ細胞が正常に機能するには、接触するバーグマングリアの支持が不可欠です。両細胞間でのDNER―Notchシグナルの生理的意義を検討するため、幼若マウスの小脳から未熟なバーグマングリアを採取してDNER存在下と非存在下で培養し、形態への影響を観察しました。その結果、DNER存在下でバーグマングリアの突起が有意に伸長することが明らかになりました。また、このDNERの効果は、Notchシグナルを抑制する薬剤で処理するか、Notchシグナルの活性化を阻害する突然変異分子を細胞内に強制的に発現させると消失しました。
さらに、DNERの発現を抑えたノックアウトマウスの小脳の形態を詳細に観察したところ、バーグマングリア突起に形成不全が見られ、小脳神経回路の発達が著しく遅れていることが分かりました(図2)。これらの結果から、脳に特異的なDNER―Notchシグナルが、ニューロンの機能に不可欠なグリアの分化を促す働きをもっていることが証明されました。
今後の期待
DNERは、魚類以上の脊椎動物の脳で、神経回路形成期の各種ニューロンに強く発現しており、小脳のみでなく、広く脳神経系細胞の分化を調節し、脊椎動物の複雑な脳神経回路網の発達と進化に貢献してきた可能性があります。再生医療の分野では、疾病などにより脱落したニューロンを、試験管内で神経幹細胞から分化させ移植することが計画されています。しかしながら脳の正常な機能の回復には、複数種の細胞を含む神経回路を再構成させることが必要であり、今後の課題になってくると考えられます。本研究で新たに発見した神経系細胞分化の制御因子は、今後の脳再生医療研究にひとつの方向性を与えるものと期待されます。