理研BSIニュース No.39(2008年4月号)

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Brain Network

田中 元雅

酵母に託すプリオン現象の解明

病因遺伝子研究グループ
田中研究ユニット
ユニットリーダー    田中 元雅


生体内における遺伝情報は、核酸が担うことは疑うことのない事実である。しかし、プリオン病においては“蛋白質”が遺伝物質となる。プリオン病とは、プリオン蛋白質が原因で引き起こされる一群の進行性神経変性疾患であり、広範囲にわたる動物にとって致命的となる。プリオン病はウシの海綿状脳症(狂牛病・BSE)やヒトのクロイツフェルト・ヤコブ(CJD)病などを含み、近年では、狂牛病を患ったウシの肉をヒトが食したことによってプリオン感染した、新型CJDの発生が大きな社会問題となっている。


プリオン病には自然発生型、遺伝型、感染型など、さまざまな種類がある。プリオン蛋白質がプリオン病の原因物質であるとする“プリオン仮説”は、プルシナー博士が1997年にノーベル賞をとった後も引き続き議論の的となっていたが、最近の研究では、プリオン蛋白質の異常に折り畳まれた凝集体が感染源であることがほぼ証明されてきた。プリオン蛋白質の凝集体が鋳型となり、正常な可溶型のプリオン蛋白質が凝集体へと立て続けに変換して凝集していき、細胞障害を引き起こすことが推定されている。


しかし、プリオン現象にはまだ解決すべき問題が数多くある。依然として私たちは、どのような特別な「形」をしたプリオン凝集体が感染力をもち、どのような分子機構によってそれが伝播していくのかをほとんど知らない。また、プリオン凝集体の「形」は何によって決まるのだろうか? 本来、種の壁が異種間プリオン感染を阻むにもかかわらず、なぜ時として、種を越えてプリオン感染が起こるのだろうか? 私たちはプリオンの現象に関するこれらの基本的な問題に取り組むにあたって、酵母のモデルシステムを用いている。言うまでもなく、プリオン病が観察されているのは哺乳類のみであり、酵母には存在しない。それにもかかわらず、なぜ酵母を使うのだろうか?


酵母——長径5µmほどの単細胞生物——は、真核細胞のモデル生物として長年、研究に用いられている。外見上、酵母とヒトの共通性はまったくないように思えるが、生命現象の基本的な分子機構は驚くほど保存されている。酵母は、実はプリオンの挙動の研究においても、非常に優れた研究材料である。というのも、プリオン蛋白質のアミノ酸配列は異なってはいるが、酵母のプリオン蛋白質は哺乳類のプリオン蛋白質と非常に似た振る舞いを示すからである。また、酵母の速い増殖速度のために、プリオン現象を迅速に調べることが可能になる。このような点から、酵母を用いたプリオン研究は、現在、哺乳類におけるプリオン研究の大きな推進力にもなっている。


これまでの歴史が示しているように、プリオン蛋白質の凝集機構や伝搬機構に関する研究は、蛋白質のミスフォールディングが関わる他の神経変性疾患研究の発展にも多大な貢献をしてきている。今後、未解決のプリオン現象を分子レベルで解明することによって、神経変性疾患研究がさらに発展し、また、いまなお存在しないプリオン病を含むこれら疾患の治療薬開発への道が拓けることを願っている。さらに、プリオン現象は、生物がもつ、核酸を媒介としない“細胞質遺伝”現象の一端を提示してくれているようにも思える。そうだとしたら、プリオンのような細胞質遺伝因子が他にも存在し、それが病気ではなく、生命活動の維持にも関わっている可能性が想像される。“プリオン生物学”はいわゆるプリオン研究だけにとどまらず、生物のもつ未知の現象に挑戦するきっかけを与えてくれているのかも知れない。




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  • インタビュー(No. 36, 2007年6月号)
    田中研究ユニット ユニットリーダー 田中元雅
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