背景
統合失調症は総人口の約1%に発症する頻度の高い、思春期以降に顕在化する精神疾患で、発症脆弱性には複数の遺伝子多型や環境要因が関与します。2003年にMITの利根川らのグループは、カルシニューリン触媒サブユニットγをコードする遺伝子PPP3CCが、白人系アメリカ人およびアフリカ系アメリカ人の統合失調症に関連することを報告しました。カルシニューリンは神経系で最も豊富に発現されている脱リン酸化酵素で、触媒サブユニットと調節サブユニットの2量体からなり、記憶や神経細胞死などで重要な役割を担っています。今回私たちは、日本人統合失調症でもカルシニューリン系が遺伝的脆弱因子になっているのかどうか検討しました。
今回の成果
統合失調症患者家系の協力を得て、14個のカルシニューリン関連遺伝子から選択した84個の一塩基多型(SNP)を解析しました。その結果、PPP3CC遺伝子は日本人でも疾患に関係があることが判明しました。興味深いことに、その他の遺伝子で統計学的に有意であったものにEGR2、EGR3、EGR4がありました。EGR(early growth response)ファミリーを構成する遺伝子には1から4まであり、それぞれ転写因子をコードしています。
EGR3遺伝子は染色体8番短腕上でPPP3CC遺伝子のごく近傍に位置するため、両遺伝子の効果が独立したものかどうかを次に検討しました。このために、両遺伝子を含むゲノム領域564kbから49個のSNPを選択し詳細に遺伝学的解析を行ったところ、両遺伝子は親から子への伝わり方で連動していることはなく、別個に統合失調症の発症に寄与していることが分かりました(図1)。さらに別のサンプルも用意して、EGR3遺伝子領域(約10kb)を再シークエンス(ゲノムの塩基配列を調べ直すこと)して新規SNPを見出したところ、イントロン1に存在するSNP[ひとによってアデニン(A)かグアニン(G)]が発症リスクに関わっていることが分かりました。機能解析の結果、イントロン1はエンハンサー活性(EGR3遺伝子の転写を促進する)を持っており、統合失調症患者に多い塩基配列Aはエンハンサー活性が弱いことが示されました。死後脳を用いた遺伝子発現解析でも、EGR3は統合失調症群で発現が減少しており、またEGR1、EGR2も疾患群で発現が低下していました(EGR4は前頭前野で発現量が微量なため、安定した結果は得られませんでした)。
今後の課題
今回の研究から、(1)カルシニューリンシグナル伝達系を構成する因子が、人種を越えてある程度普遍的な統合失調症の発症基盤になっている可能性と、(2)EGRファミリー遺伝子群が新たな統合失調症関連遺伝子である可能性が示されました。これまでの薬理学的な研究から、神経伝達物質であるドーパミンやグルタミン酸の機能異常が統合失調症の原因の候補にあがっていましたが、カルシニューリン系が両伝達物質カスケードの合流点に位置することは示唆に富んでいると思われます(図2)。統合失調症の原因はひとによってさまざまと考えられていますが、細胞内代謝回路という大きな単位で見ると、ある程度まとまってくる可能性も示されました。今後は、EGR遺伝子群が転写を制御している標的遺伝子群の同定、それらと統合失調症との関連の検討、カルシニューリン系に作用する薬が臨床効果を持つかどうかの検討などが課題であると考えられます。