背景
大脳皮質の神経回路は、主にグルタミン酸を伝達物質とする興奮性神経細胞と、ガンマアミノ酪酸(GABA)を伝達物質とする抑制性神経細胞から構成されています。大脳皮質視覚野では、与えられた視覚刺激の中で特定の方位(傾き)の刺激にのみ反応するという、方位選択性を持つ神経細胞が存在することが知られており、脳は特徴選択的に情報処理を行うという概念が成立しました。しかし、どのようなメカニズムによって特徴選択性ができるのか、という疑問は大きな謎の一つとして残っていました。
私たちは、機能的二光子励起イメージング法を用いて、大脳皮質視覚野における興奮性神経細胞と、抑制性神経細胞の光刺激に対する反応を同時に観察することを目指しました。二光子励起イメージング法とは、分子が光子を2個同時に吸収して励起される現象で、その励起波長は一光子励起に用いられる波長の2倍となります。波長の長い光ほど生体組織の深部に到達するので、この方法は生物試料における蛍光を深い部分まで観察できる方法として1990年代に開発され、神経細胞の形態観察などに利用されてきました。
一方、神経細胞の活動によって蛍光強度が変化するCa2+蛍光指示薬を利用し、多数の神経細胞の活動を観察する機能的二光子励起イメージング法が最近開発されました。この方法は、多くても数十個の細胞しか同時に観察できないという従来の微小電極法の限界を超え、一挙に数百個〜数千個の細胞の活動をほぼ同時に観察できるという画期的なものです。しかし、興奮性神経細胞と抑制性神経細胞を分けて観察することはできませんでした。
研究成果
私たちは、機能的二光子励起イメージング法を、抑制性神経細胞だけが緑色蛍光蛋白質を発現する遺伝子改変マウスに適用して、興奮性神経細胞と抑制性神経細胞を染め分けることを試みました。従来のCa2+蛍光指示薬は緑色蛍光と干渉するという問題がありますが、別のCa2+蛍光指示薬とグリア細胞を染色する色素を脳内に注入することにより、干渉を避けることができました。この新しい方法の開発により、生きたマウスの大脳皮質神経回路網を構成する興奮性神経細胞、抑制性神経細胞、グリア細胞を区別して染色し、それぞれの活動を同時に観察することに成功しました(図1)。
この手法を用いて、麻酔したマウスに種々の方位の光による視覚刺激を与えたところ、興奮性神経細胞は強い方位選択性を示したのに対し、抑制性神経細胞はどの方位の刺激に対してもほぼ一様に反応することが分かりました(図2)。この発見は、抑制性神経細胞が、興奮性神経細胞の反応性を全体的に抑えることによって、興奮性神経細胞の方位選択性を発現させていることを示唆しています。
研究の意義
大脳皮質は多数の神経細胞が三次元の神経回路網をつくっています。この回路網がどのように働いているかは、従来、微小電極を使って一個あるいはごく少数の細胞活動を観測し、その記録データから推測することしかできませんでした。本研究はこの限界を打ち破り、神経回路網を構成する多数の細胞をタイプによって色分けし、活動の動態を時間軸に沿って可視化することに成功しました。この方法の適用によって、非常に複雑と思われている大脳皮質神経回路網の情報処理メカニズムを解明できる可能性が出てきました。また、将来、大脳皮質の神経回路と同等の能力を有する回路チップの開発等への応用が期待されます。