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成果発表

プレスリリース

「プロ棋士の直観に関わる脳活動の時間的な特性を解明
  - 全体的な意味と個々の要素の素早い並行的処理が直観的理解の鍵 -」

本プロジェクトの研究成果が、英国の科学誌Scientific Reports(2014年8月4日)に掲載されました。


2014年08月04日プレスリリース

<<論文アウトライン>>

 将棋のプロ棋士が駒の配置を認識するときの脳波活動を測定し、局面の素早い意味理解に関わっていることを示しました。これは理研・脳科学総合研究センターの山口陽子チームリーダーと中谷裕教研究員、富士通株式会社、株式会社富士通研究所、公益社団法人日本将棋連盟らによる将棋思考プロセス研究プロジェクト(将棋プロジェクト)の研究成果です。

 コンピュータと脳はともに情報を処理するシステムですが、情報処理の特性は大きく異なります。例えば将棋においては、コンピュータは圧倒的な計算能力を活かし、膨大な数の局面を分析することで指し手を決めます。一方、将棋の熟練者である棋士は局面の状況や戦術的に意味のある手を直観的に理解し、その直観的な判断の良し悪しをその後の読みによる指し手の分析により検証します。つまり、分析の前に直観により答の候補を絞り込むところにコンピュータと比べた場合の棋士の思考の特徴があり、直観的な情報理解に関わる脳活動の特性を解明することは、脳における思考の仕組みを理解する重要な鍵になると期待されます。

 研究グループは、囲いや攻撃形など将棋において意味のある駒配置とデタラメな駒配置を堤示した時の脳波活動をプロ棋士とアマチュアで比較しました。その結果、プロ棋士において特異的に現れる脳波の反応を観察しました。一つは前頭部における脳波でこれは意味のある駒配置に対してのみ反応し、もう一つは側頭部における脳波でこれは意味のある駒配置にもデタラメな駒配置にも同様に反応します。また、これらの脳波活動は局面の堤示から0.2秒という非常に短い時間で現れます。この結果は、棋士が局面を直観的に理解する際に、局面が表現する全体的な意味は前頭部で、局面を構成する個々の要素(駒)は側頭部で素早く並行的に処理されている可能性を示唆します。

本研究は、棋士の局面理解に関わる脳波活動の時間的な特性を明らかにしたもので、熟練者の直観に関わる情報処理を理解する際の重要な知見を得たことになります。




<<論文詳細解説>>

熟練者は複雑な情報を素早く認識し、適切に問題を解くことができます。心理学や認知科学の分野では熟練者の認知機能の仕組みを解明するためにチェスなどのボードゲームが重要な研究の題材として扱われてきました。

チェスを用いた初期の研究では、熟練者の特徴的な認知能力として局面の直観的な理解が報告されています。チェスの局面を熟練者に提示し、指し手を決めるまでの思考過程を声に出してもらい分析したところ、最初に指し手の候補を決めてから分析していることが分かりました。つまり、熟練者は分析の結果として指し手を決めているのではなく、指し手の候補を直観的に見つけた後に分析によってその善し悪しを検証していたのです。

その後のチェスを用いた研究では、直観的な局面理解に関わる認知的なメカニズムが調べられ、チャンクやテンプレートといった概念が提案されました。チャンクとは4、5個程度の駒から構成される典型的な駒配置のパターンであり、テンプレートはチャンクが組み合わさって構成される大きな駒配置のパターンです。熟練者はチャンクやテンプレートをチェスの局面状況や指し手と関連づけて理解しており、一つ一つの駒ではなく駒配置のパターンを認識することで直観的に判断を下していると考えられています。

将棋のプロ棋士も局面を直観的に理解することができます。機能的磁気共鳴画像を用いた将棋思考プロセス研究プロジェクトの研究では、直観的な局面理解に関する脳部位として大脳皮質頭頂葉の楔前部(けつぜんぶ)、指し手の案出に関する脳部位として大脳基底核の尾状各を同定しました。
論文リンク先:http://www.brain.riken.jp/shogi-project/press/release_110121.html

しかし、局面の直観的な理解が脳の中でいつどのように行われているのかについては解明されていませんでした。そこで研究グループは直観的な理解に関わる脳活動の時間的な特性を明らかにすることを目指しました。

研究手法と成果
プロ棋士12名、アマチュア12名(2級から5段)、将棋を指さない人12名の3グループの協力を得て脳波計測実験を行いました。実験では囲いや攻撃形など将棋において意味のある駒配置とデタラメな駒配置を堤示し、その駒配置を5秒間という短い時間で記憶してもらいました(図1)。

記憶の特性を調べたところ、プロ棋士は将棋において価値の高い王や大駒(飛車、角)を優先的に記憶する傾向があったのに対し、将棋を指さない人は駒の枚数が最も多い歩を優先して記憶していました(図2)。チェスの研究ではチャンクやテンプレートといった駒配置のパターンの認識が直観的理解の手掛かりとして提案されていますが、今回の結果からはパターンの認識だけではなく、一つ一つの駒の価値にも着目して駒の配置を認識していることが示唆されました。

次に意味のある駒配置に対するプロ棋士の脳波の反応を調べたところ、時間的に異なる二つの特徴的な反応が観察されました。一つは堤示からわずか0.2秒程度で反応する前頭部の脳波活動で、もう一つは0.7秒程度で反応する頭頂部の脳波活動です(図3)。一方、デタラメな駒配置に対する反応を調べたところ、プロ棋士の左側頭部は0.2秒程度で意味のある駒配置と同様に反応しました(図3)。また、前頭部と側頭部の0.2秒程度の素早い反応はプロ棋士に特異的であり、アマチュアや将棋を指さない人の反応はそれよりも遅く観察されました(図4)。

意味のある駒配置とデタラメな駒配置の違いは駒配置全体として囲いや攻撃形などの一つの意味を表現しているか否かであり、共通部分は金や銀といった個々の駒の存在です。それゆえ、意味のある駒配置に対してのみ反応する前頭部と頭頂部は全体的な意味の理解に、両方の駒配置に対して反応する側頭部は全体を構成する要素情報の認識に関わっていると考えられます。

つまり将棋の局面の直観的な理解においては、前頭部と側頭部のそれぞれにおいて全体的な意味と個々の要素が素早く並行的に処理され、その後に頭頂部において情報が統合されていると考えられます。

プロ棋士は局面の状況や指し手が「一目で分かる」と言いますが、わずか1秒以内にプロ棋士に特異的に生じるこれらの脳波活動がその言葉を裏付けていると思われます。

今後の期待
全体的な意味と個々の要素が素早く並行的に処理されるということは、個々の要素に関する詳細な分析無しに全体的な意味の把握がなされていることを示唆します。どのような情報を利用して全体的な意味を把握しているのかを理解することが、直観の仕組みを理解する上で今後の重要な鍵になると考えています。



図1

図1 実験課題
(a) 実験の流れ。将棋において意味のある駒配置またはデタラメな駒配置を5秒間提示し、実験参加者はその駒配置を記憶します。3秒間記憶を保持した後、コンピュータのマウスを使って駒配置をモニタ上に再現します。
(b) 実験で用いた駒配置の例。左側の意味のある駒配置は王を守るための矢倉囲いを表現しています。右側のデタラメな駒配置は、左側に示した駒配置をデタラメに並び替えたものです。



図2

図2 記憶の特性。プロ棋士は将棋において価値の高い駒を優先的に記憶し、将棋を指さない人は駒の価値は一番低いが駒数がたくさんあって目立つ歩を優先的に記憶しました。赤:プロ棋士の結果、緑:アマチュアの結果、青:将棋を指さない人の結果。*印は統計的な有意差を示す。
(a) 将棋において最も価値の高い「王と大駒(飛車、角)」についての記憶の成績と、最も価値が低いが数が多い「歩」についての記憶の成績の差。
(b) 「小駒(金、銀、桂、香)」についての記憶の成績と、「歩」についての記憶の成績の差。



図3

図3 将棋の局面提示に対するプロ棋士の脳波の反応。
(a) 将棋の局面を提示した時間を0.0秒とした時の脳波の反応。横軸は時間経過(秒)、縦軸は脳波の周波数(Hz)を示す。各測定部位ごとに二段にして結果を表示しており、上段は「意味のある駒配置」に対する反応、下段は「デタラメな駒配置」に対する反応。グラフ中の色は脳波の振幅の変動を示し、赤は振幅の増加、黒は減少に対応している。
(b) 「意味のある駒配置」に対する特異的な脳波反応を赤で示している。



図4

図4 局面の提示に対する脳波の反応時間。統計的に有意差があったもののみを表示。赤:プロ棋士の結果、緑:アマチュアの結果、青:将棋を指さない人の結果。
(a) 意味のある駒配置を提示した時。
(b) デタラメな駒配置を提示した時。

 
独立行政法人 理化学研究所 脳科学総合研究センター 将棋思考プロセス研究プロジェクト(将棋プロジェクト)