理研BSIニュース No.22(2003年11月号)

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インタビュー

認知動力学研究チーム 研究員 Andrey R. Nikolaev


祖母の実験

7カ国の研究者が参加する国際色豊かな認知動力学研究チームでこの2年間「人間の認知プロセス」と「脳波(EEG)に反映される脳電位活動」の関係を研究するアンドレ・ニコライエフ氏は、1962年、モスクワ生まれ。生理学の教授であった祖父や祖母の影響もあって研究の世界に入りました。「私が12歳だった夏、我々は別荘に滞在していました。ある日、祖母が私に『池に行って大きなカエルを捕まえておいで』と言いました。もちろん私は、カエルを捕まえに池に行くのがとても嬉しかったのですが、彼女がなぜ、カエルが必要なのかはわかりませんでした。私が、見つけたカエルの中で一番大きいのを持って来ると、祖母はハサミ、編み針、塩、酢を用意し、神経、心臓、腸を使って、たくさんの面白い実験を私に見せてくれました。今から思うとそれは、医学部の生理学コースで実際に行われている実験そのものだったのです。」


モスクワから北西に50Kmほどにあるクルキノの森にて
モスクワから北西に50Kmほどにあるクルキノの森にて

医学部卒業後の義務

それから数年後、ニコライエフ氏が研究者としての第一歩を歩み始めた1980年代後半はまさにソビエト連邦が崩壊しつつある時期で、ニコライエフ氏の生活もこの大きな変革の流れに翻弄されていたといいます。「私は高校卒業後、モスクワ医大に進みました。そこで改めて脳のはたらきやしくみを学び、私は脳生理学をより深く研究してみたいという思いを強くしていきました。」


しかし、ニコライエフ氏の希望は簡単には実現しませんでした。「当時、ソビエト連邦の大学はすべて国立で授業料がかからないかわり、医大の卒業後は最低4年間、医師として病院に勤務しなければならないことが法律で定められており、私にはそれを免除される権利はなかったのです。私も自分の意志とは裏腹に、その義務に従わなければなりませんでした。」


1990年、無事に「年季」があけたニコライエフ氏はロシア科学アカデミーで、再び研究の世界に戻ることができましたが、時代はまだ、ニコライエフ氏に落着いた生活を与えてはくれませんでした。「当時はペレストロイカのまっただ中。研究予算がどんどん減らされる、ロシアの科学界にとって非常に困難な時期でした。」


認知動力学研究チームの研究室にて
認知動力学研究チームの研究室にて

4つの仕事を持つ研究者

よく知られるペレストロイカについてニコライエフ氏は、2つの時期があったと説明してくれます。第1期、人々はたくさんお金を持っていましたが店には何もありませんでした。第2期になると、店には品物が豊富に並ぶようになりましたが、今度は誰もお金を持っていませんでした。


「私は第1期に一人の日本人研究者が我々の研究所を訪れたときのことを、今でもよく覚えています。彼はモスクワで何日か過ごした後、私のところへ来てこう質問しました。『皆さんはいつもどうやって食べ物を手に入れているんですか?私は何軒もの店に行きましたが、あったのはグリンピースの缶詰めだけでした』。」


ニコライエフ氏は何も答えることができなかったといいます。彼にできたのは、研究所の管理職にかけあい、研究所で配られていた2回分の配給食料を渡すことだけでした。


ペレストロイカも第2期になると品物の供給は回復しましたが、今度は極度のインフレがニコライエフ氏を襲います。「物価がみるみる上昇しますから、給料はどんどん目減りしてしまいます。その頃私は既に結婚し、息子も二人いましたから、研究所の仕事だけで家族の生活を支えることはできませんでした。」


結局ニコライエフ氏は、科学アカデミーでの仕事の他に、
  • 別の研究所での同じような科学研究
  • 障害児の学校における応用心理生理学のリサーチ
  • イタリア人建築家の会社でコンピュータ製図を行う
と、合計4つの仕事を掛け持ちせざるを得ませんでした。

「ですから、朝の地下鉄の中での私の主な課題は、今日はどの仕事に向かうべきなのかを間違えないようにすることだったのです」


ニコライエフ氏は今でこそ、こういって笑いますが、その苦労は並大抵のものではなかったことがうかがわれます。


その後、少しずつではありますが助成金もつきはじめ、ニコライエフ氏はやっと自分の研究に集中することができるようになったといいます。


理研BSIで研究するようになって約2年。ニコライエフ氏はここでの研究者としての生活に大いに満足し、あることを思うようになったといいます。「私は、モスクワでの経験、そして理研での生活を通じて、『科学研究のためのノーマル・コンディション』という言葉が意味するものを知ることができました。それは、研究者たちが他のことに心煩わされることなく自分の研究に没頭できること……それは自明のことではありますが、実は、非常に大切なことであり、また、これまで多くの研究者たちが、そんな環境を得るために非常に苦労してきているのです。いま私は理研BSIで『科学研究のためのノーマル・コンデイション』を得ることができています。そしてそのことのすばらしさを心から実感し、かみしめています。」




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