1.背景
生体の細胞膜を構成する脂質と蛋白質は、細胞膜上に均一に分布するのではなく、特定の分子同士が集合あるいは離散した不均一な局在を示します。ある特定の機能を有する分子同士が集合することにより、細胞膜の局所的な機能分化が起こり、細胞内の小器官の役割分担あるいは情報処理伝達が可能となります。このような細胞膜微小領域の一部は、主としてコレステロールとスフィンゴ脂質から構成される脂質ミクロドメインとして、最近の注目を集めています。脂質ミクロドメインは数十~数百ナノメートルの大きさで、秒単位で離散・再構築を繰り返し、そこには多くの重要な情報伝達分子が会合しています。よって脂質ミクロドメインは、細胞内情報伝達のプラットホームと考えられており、免疫システムからアルツハイマー病に至るまで多彩な生物学的現象へ関与しています。
発生・再生過程の神経軸索突起の先端部(成長円錐)の細胞膜上には、その周囲環境との接着を媒介し軸索の伸長を促進する接着分子が発現しています。これら接着分子は、外界からの刺激に応じて成長円錐内へ情報を伝達し、軸索伸長を制御します。前述のように、接着分子が発現する成長円錐細胞膜には脂質ミクロドメインが存在しますが、このドメインが軸索伸長に関与するか否かを検証するのは困難でした。なぜなら、軸索突起のような細胞の一部の領域でのみ脂質ミクロドメインの機能を急速に不活性化する手法が無かったからです。そのため、脂質ミクロドメインの機能を急速かつ部位選択的に操作する技術の確立が待ち望まれていました。
脂質ミクロドメインとは、特殊な脂質分子と蛋白質(GPI蛋白など)が濃縮した細胞膜上の微小領域であり、Srcなどの情報伝達分子を豊富に含むため、細胞内情報伝達のプラットホームと考えられている。脂質ミクロドメインにのみ存在する脂質GM1をFITC-CTxBで標識し、細胞の一部の領域にレーザー光を照射する。レーザー照射されたFITCから放出されるフリーラディカルがその近傍の分子を破壊するため、細胞の一部の領域(レーザー照射野)に存在する脂質ミクロドメインを機能阻害することができる。
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研究成果と手法
神経成長機構研究チームの中井陽子研究員と上口裕之チームリーダーは、顕微鏡下でレーザー光を照射し、照射野内の特定分子の機能を阻害する技術(顕微鏡下レーザー分子機能不活性化法:Micro-scale chromophore-assisted laser inactivation: micro-CALI)を応用して、脂質ミクロドメインの部位選択的機能阻害を試みました(図1)。脂質ミクロドメインにのみ存在するスフィンゴ糖脂質GM1を特異的に認識するコレラ毒素Bサブユニット(CTxB)にFluorescein isothiocyanate(FITC)という蛍光色素を付加した化合物を作成し、この化合物(FITC付加CTxB)を神経細胞培養系に添加することにより、神経細胞の脂質ミクロドメインをFITCで標識しました。FITCは、490nm近傍の波長の光が照射されると、フリーラディカルを発生するという性質があります。よって顕微鏡下で同波長のレーザー光を神経細胞の一部の領域に照射し、FITCからのフリーラディカル発生を誘起することにより、FITC近傍の分子を破壊することができます。FITCから発生したフリーラディカルの到達距離は5ナノメートル未満と微小な範囲に限られますので、その影響はほぼ脂質ミクロドメイン内のみにとどまります。実験の結果、30秒間のレーザー照射により脂質ミクロドメインを不活性化することが可能でした。
次に、神経軸索の伸長過程における脂質ミクロドメインの関与を解析しました。まず、軸索伸長を促進する代表的な接着分子(L1、N-カドヘリン、β1インテグリン)の細胞膜上での局在を解析しました。すると、L1とN-カドヘリンは、脂質ミクロドメイン内外両方に存在しますが、β1インテグリンは、脂質ミクロドメイン外にのみ存在することが明らかになりました。Micro-CALI法を用いて軸索の先端部(成長円錐)の脂質ミクロドメインを不活性化すると、L1とN-カドヘリンを介した軸索伸長は停止しましたが、β1インテグリンを介した軸索伸長は影響を受けませんでした(図2)。また成長円錐を細分化して解析しましたところ、成長円錐の先端縁近傍に存在する脂質ミクロドメインが、L1とN-カドヘリンを介した軸索伸長に必須であり、成長円錐中心部の脂質ミクロドメインは軸索伸長には関与しないことが明らかになりました。
今後への期待
脂質ミクロドメインの機能を急速かつ部位選択的に操作できる技術を確立し、神経成長過程における脂質ミクロドメインの重要性とその機能局在を解明したことは、今後の神経細胞生物学に重要な知見を与えるものです。脂質ミクロドメインは、さまざまな生物学的現象への関与が注目されています。本研究で得られた技術が普及することによって、脂質ミクロドメインの細胞・組織内での部位特異的な機能解析が飛躍的に進歩し、細胞膜の局所機能分化あるいは細胞内情報伝達のメカニズム解明に向けて、大きく前進していくものと期待されます。