理研BSIニュース No.29(2005年8月号)

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インタビュー

吉原 良浩

発生発達研究グループ
武藤研究ユニット
武藤 悦子(むとう えつこ)


“ものが動くこと”に魅せられて

神経細胞の軸索輸送は、キネシンなどのモーター蛋白により、蛋白質や神経伝達物質を含んだ細胞顆粒が、微小管といわれる通路上を運ばれることで起こる。このメカニズムの解明が武藤悦子ユニットリーダーの研究テーマだ。


「生き物の一番の特徴は動くことですが、モーター分子が微小管の上を動いていく様子を、顕微鏡を通して自分の目でリアルタイムに観察していると、理屈を超えた面白さ、不思議さが感じられて、いつまでも見飽きることがありません。」


武藤ユニットリーダーの示すモニターには、あたかも線路の上を動く列車のように、モーター蛋白であるキネシン分子が微小管上を次々と同じ方向に一定のスピードで動いていく様子が映し出されている。モーター分子そのものが精巧な機械のようでもあり、生き物のようでもあり、それは研究者ならずとも見る者に不思議な印象を与える映像だ。


“ダイナミックな地面”の波紋

神経細胞の軸索輸送では、モーター蛋白はアデノシン三リン酸(ATP)の加水分解エネルギーを利用して動くことが明らかになっている。そして、最も一般的なモデルでは、ATPのエネルギーを使ってモーター分子は、あたかも人間が2本の足を交互に動かして地面の上を歩くように微小管上を歩く、と考えられてきた。このモデルでは当然、地面に相当する微小管は動かないはず、であった……?


ところが、武藤ユニットリーダーは9年前、科学技術振興事業団(当時)で研究員をしていた当時、どうも“地面”、つまり微小管側で何か起きているに違いない、と感じさせる現象に遭遇してしまう。床面にキネシンを置いて微小管をくっつけ、力が発生したときにその量を測定するという実験では、始めのうちは微小管が床のキネシンに接触しても相互作用は起こらない。ところが、ある時突然、相互作用を始め、いったん始まると、床面のどこでもキネシンがある場所であれば、微小管を近づけるや否や瞬時にして相互作用を始めるのだ。その様子はあたかも、「始め“OFF”だった微小管が“ON”になったような感じ」だという。この観察をきっかけに、武藤ユニットリーダーはその後約2年間、試行錯誤を重ねながら微小管のONとOFF状態を定量化する実験系を作り出し、ついに、モーターの運動に伴って微小管もまたダイナミックに変化することをデモンストレートして見せた。


ところがその成果を公にすると、当時所属していた研究室でも、学会発表の場でも、「微小管がダイナミックなんてことは有り得ない」「きっと何かのアーティファクトを見ているに違いない」という猛反発に出会ってしまった。“地面”の方もダイナミックに変化しているという結果は、長年研究されてきた運動のメカニズムの常識をひっくり返す話で、予想外の抵抗にあってしまったのだ。


「でも、私にとって微小管のダイナミクスの存在を探る作業は非常にエキサイティングで、現象を観察するたびに、不思議だなあ、きれいだなあとワクワクして、周囲の抵抗にあっても興奮が冷めることがありませんでした。」


その後も学会発表するたびに、結果を支持する人と疑う人でいつも反応は真っ二つになったという。論文を投稿しても全く内容を理解されずに門前払いされたり、Reviewerから激しい批判を浴びて却下されることが続いた。けれども実験を積み重ねるにつれ、この問題に対する周囲の関心が少しずつ高まっていき、最近では複数の学会で、“ダイナミックな地面”にフォーカスを当てたシンポジウムが開かれるようにさえなった。理研に来て4年目、ついに今春、念願の論文発表もできた。予想外の道程になってしまったこの9年間を振り返って、「この仕事をスタートした時点では、こんなに激しい反発を受けることになるとは予想もしていなくて、たまたま巻き込まれたドラマみたいな感じ」だと言う。


「しかし、もっと長いスパンで過去を振り返ってみると、大学院生時代、私は蛋白質重合体の物性と、生き物が動く仕組み、この2つに強い興味を持っていました。今やっていることは、“物性から生き物の仕組みを理解するような仕事をしてみたい”と、当時、漠然と思い描いていた通りになったのかもしれません。」


脳の微小管――分子論から状態論へ

4年前、BSIに研究の場を移したのは、微小管のダイナミクスと神経興奮の関係を探求した松本元グループディレクター(故人)の仕事に触発されて、と言う。武藤ユニットリーダーの研究は、モーター蛋白から微小管のダイナミクスへとつながってきたわけだが、それより10年以上前(1980年代)に、松本GDらは電気生理学的実験により、神経の興奮メカニズムに微小管のダイナミクスが重要であることを示唆する、一連の革新的な実験を行っていた。


「しかし、当時の実験技術では分子レベルでのメカニズム理解にまで迫ることができず、松本先生たちが観察された現象の意味は、結局分からないままになっています。モーターの運動にせよ、神経の膜興奮にせよ、その現象に関わっている微小管の状態変化の実体が何であるのか、それを探るのは実験手段そのものを模索するところから始めなければならず容易ではありませんが、これからの脳科学は“分子論”にとどまらず“状態”を扱うこと、少なくともそこに果敢に挑戦する姿勢が重要でないかと考えています。」


ふとしたきっかけから明らかになった微小管のダイナミックな変化。その分子レベルのメカニズム解明を目指して、武藤ユニットリーダーのさらなるチャレンジは続いている。



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