ホーム > 研究者インタビュー

研究者インタビュー

第6回第5回第4回|第3回|第2回第1回

前頭連合野の領域間の相互作用を調べる
田中啓治チームリーダーに聞く

大脳皮質の前頭連合野は、ヒトの心を生み出す最も重要な神経基盤だと考えられています。理化学研究所 脳科学総合研究センターの田中啓治チームリーダー(TL)たちは、マカク属サルを使った実験により、前頭連合野の各領域の機能を調べる研究を進めてきました。さらに田中TLたちはFIRSTプログラムにおいて、特定の脳領域からほかの領域への情報伝達を遮断する実験手法をサルに適用して、前頭連合野の領域間の相互作用を調べ、情報処理の仕組みに迫ろうとしています。

■前頭連合野の各領域の機能を解明

──前頭連合野はどのような働きをしている場所ですか。

田中:前頭連合野は、哺乳類でもマウスなどでは極めて小さいのですが、特に霊長類で大きく発達し、ヒトでは大脳皮質の3割を占めます。その前頭連合野は、思考、注意、意欲、喜怒哀楽の制御など、高いレベルで脳全体を制御している場所だといわれています。しかし、その機能や情報処理の仕組みの解明は遅れています。

──田中TLたちは、どのようにして前頭連合野の研究を進めてきたのですか。

田中:解剖学などにより、前頭連合野はいくつかの領域に分かれていることが知られています。しかし、各領域の機能はよく分かっていません。私たちは、各領域の機能を調べることを手掛かりに、前頭連合野の情報処理の仕組みを探る研究を進めてきました。
 前頭連合野に障害を持つ患者さんに使われている「ウィスコンシンカード分類テスト」という臨床検査があります。健常な大人には簡単なテストですが、前頭連合野のどこかに障害があるとテストの成績が大きく下がります。それをサル用に改変して、テストが行えるように訓練しました。そして、前頭連合野の各領域をそれぞれ物理的に破壊してテストを行いました。すると、いくつかの領域を破壊したときにテストの成績が大きく下がりました。そのときの回答の仕方を詳しく分析することで、それぞれの領域を破壊したことによりどのような機能に障害が起きたのかを調べ、このテストにおける各領域の機能を明らかにしました(図1)。

図1 ウィスコンシンカード分類テストにおける前頭連合野の各領域の機能

2009年7月3日理研プレスリリース
「前頭連合野の中の領域ごとに異なる機能を発見」より


■情報伝達を遮断して、領域間の相互作用を調べる

──FIRSTプログラムでは、どのような研究を進めているのですか。

田中:前頭連合野の各領域は単独で機能しているのではなく、ほかの領域と相互作用しながら情報処理を行っていると考えられます。各領域の神経細胞は、ほかのたくさんの領域へ軸索と呼ばれる長い突起を伸ばして情報を出力するとともに、たくさんの領域の神経細胞から情報を入力しています。私たちは、前頭連合野の領域間の相互作用を調べることで、情報処理の仕組みに迫ることを目指しています。そこで、領域間の情報伝達を遮断する、マウスで開発された遺伝子工学の手法をサルに適用しようとしています。

──それはどのような手法ですか。

田中:領域間は、双方向で情報がやり取りされていますが、領域AからBへの情報伝達だけを遮断する手法です(図2)。
 まず、ある種類の遺伝子を運ぶウィルスベクター1を領域Bに感染させます。すると領域Bへ伸びている軸索末端から、軸索を逆行して神経細胞の細胞体にその遺伝子が運ばれます。次に、もう1種類の遺伝子を持つウィルスベクター2を領域Aに感染させて、神経細胞の細胞体に遺伝子を導入します。このようにすることで、領域AからBへ軸索を伸ばして情報を出力している神経細胞だけに、2種類の遺伝子が導入されます。そして動物にある薬剤を摂取させると、導入した2種類の遺伝子によって情報伝達を妨げるタンパク質がつくられます。
 こうして領域AからBへの情報伝達だけを遮断することができます。薬剤を与えなければ、情報伝達を妨げるタンパク質はつくられなくなり、やがて正常に戻ります。ある課題を行わせたとき、同じ個体で正常な状態と情報伝達を遮断したときを比較して、領域AとBの相互作用、情報処理の因果関係を調べることができます。ただしこの手法はマウスで開発されたもので、サルでの成功例はまだありません。このFIRSTプログラムにおいて、サルでこの手法でぜひ確立したいと思います。

図2 領域AからBへの情報伝達だけを遮断する手法

──その手法により、どのような実験を進める予定ですか。

田中:まずは、前頭連合野の特定領域から側頭連合野への情報伝達を遮断する実験を考えています。側頭連合野は見た物体が何であるかを認識している場所です。そこへ前頭連合野から、特定の情報に注意するように指令が送られているといわれています。その指令の伝達を遮断することで、物体認識にどのような影響が出るのか調べるつもりです。さらに、前頭連合野の領域間の情報伝達を遮断する実験も行いたいと思います。そのような実験により、前頭連合野の各領域がどのように相互作用して脳全体を高いレベルで制御しているのか、情報処理の仕組みに迫ることができるはずです。

──前頭連合野に脳全体の司令塔、心の実体のような領域があるのでしょうか。

田中:唯一の司令塔はないと思います。ある場面では前頭連合野の特定の領域が情報処理を主導し、別の場面では違う領域が主導しているのではないか、と予想しています。

■脳科学ほど面白い分野はない

──高校生のころから脳科学に興味があったのですか。

田中:東京大学の理学部を志望していたのですが、大学紛争が激しく、入試が中止になりました。東京大学は入学してから専攻学科を決めればいいのですが、ほかの多くの大学では受験のときに学科を選ぶ必要があります。私は、18歳にもなって進路を選択する準備ができていなかったことに、がくぜんとしました。そして、自分は何をやりたいのか、真剣に考え始めました。
 そのころある本を読んで、生物や複雑な機械システムに働く原理は共通である、と唱えたサイバネティックスという分野に興味を持ちました。その中でも最も複雑なシステムである脳を研究してみたいと思うようになりました。

──大阪大学基礎工学部生物工学科のご出身ですね。

田中:私は3期生です。脳の理解を意識して、神経生理学から生化学、情報理論、機械工学、量子論まで学ぶことのできる先進的な学科でした。そこで幅広い分野を学んだことは、その後、脳科学を進める上でとても役立ちました。

──脳科学の魅力は。

田中:複雑な脳をどのように研究すれば理解できるのか、自明ではありません。それぞれの研究者が、幅広い分野の知見を駆使して研究の切り口、実験手法から検討する必要があります。そのような創意工夫の余地の大きい脳科学は、自然科学の中でも最も面白い分野だと思います。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)