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研究者インタビュー

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情報の整理・統合に重要なタンパク質から「注意」の機構に迫る 糸原重美チームリーダーに聞く

ヒトへの進化の過程で、大脳皮質に新しい機能を持つ新領域ができました。例えば、ヒトが複雑な言語を操ることができるのは、大脳皮質に言語野という新領域ができたからです。では大脳皮質の新領域はどのようにしてできたのか。下郡智美チームリーダー(TL)は、脳深部の「視床」から新しい情報が大脳皮質へ入力されることにより新領域ができたのではないか、と考えています。その仮説を検証するため、マウスと霊長類であるマーモセットの脳で視床や大脳皮質がつくられる過程を比較する研究を進めています。

(『理研ニュース』2009年7月号「大脳皮質の進化を視床から探る」より)

大脳皮質へ情報を送る視床(イメージ)
視覚・聴覚・味覚など外界からの情報は、視床内の各領域を経て、大脳皮質のそれぞれの領域へ伝えられる。


■情報の中継点「視床」に注目する

──大脳皮質の進化について研究しているそうですね。

下郡:大脳皮質は場所ごとに異なる機能を持っています。例えば、視覚情報は大脳皮質の視覚野という領域で、聴覚情報は聴覚野という領域で処理されます。ヒトへの進化の過程で、大脳皮質が大きくなるだけでなく、さまざまな機能を持つ新領域ができました。ヒトが言葉をしゃべることができるのは、ほかの動物と口や声帯の構造が違うだけでなく、複雑な言語を操るための言語野という新領域が大脳皮質にできたからです。

──どのようにして大脳皮質の新領域はできたと考えられますか。

下郡:私は、脳の深部にある「視床」という場所に注目しています(図)。視床は、視覚・聴覚・味覚などの外界からの情報が集まり、そこから大脳皮質へ送る中継点です。その視床も領域に分かれています。例えば、目の網膜で捉えた視覚情報は視床の視覚領域へ伝えられ、その領域の神経細胞が大脳皮質の視覚野へ突起を伸ばして情報を伝えています。そもそも脳ができる過程では、視床と大脳皮質は別々に形成され、それぞれの領域が接続されて機能します。このとき、すでに形成されている大脳皮質でも視床からの入力によって回路形成は変化することが知られています。私は、進化の過程で生息環境の変化などにより、視床に新しい情報を扱う領域ができ、そこから新しい情報が大脳皮質に伝えられることにより、大脳皮質の新領域ができたのではないか、と考えています。

──どのような生息環境の変化が考えられますか。

下郡:霊長類は木の上で暮らすようになります。木と木の間を飛び移りながら果実を探すには、物の奥行きを捉える立体視の能力が必要です。霊長類への進化の過程で、奥行きを持つ視覚情報が視床に到達し、そこから奥行きの情報が大脳皮質に送られることによって、立体視を行う大脳皮質の新領域ができた。そのような立体視の機能を獲得したものが、木々の間を飛び回って素早く果実を見つけ、生存競争を勝ち抜いたのかもしれません。

■マウスとマーモセットで視床と大脳皮質のでき方を比べる

──視床や大脳皮質の進化をどのように調べているのですか。

下郡:私たちはこれまで、マウスの脳において視床や大脳皮質ができる過程で、どのような遺伝子がどこで働いているのか、発現の仕方を調べる研究を進めてきました。進化の過程を探るには、マウスとは異なる生物種と比較する必要があります。私たちは、卵の中で発生が進み脳の形成過程を観察しやすいニワトリで実験を進めました。しかし、鳥類のニワトリと哺乳類のマウスでは脳の構造などが違い過ぎて比較することが難しいのです。そこで、同じ哺乳類で小型霊長類であるマーモセットで調べることにしました。

──マウスとマーモセットをどのように比較するのですか。

下郡:マウスの脳がつくられる過程で重要だと考えられ、発現の仕方がよく調べられている26個の遺伝子について、マーモセットでの発現の仕方を調べました(>2012年4月11日理研プレスリリース「脳内遺伝子の発現様式解明に小型のサル『コモンマーモセット』が活躍」)。  そして、その26個の中に、マウスとマーモセットで発現の仕方が特に異なる遺伝子が見つかりました。そのような遺伝子に注目しながら、マウスとマーモセットで視床や大脳皮質のでき方がどのように違うのか調べているところです。  マーモセットには、マウスにはない視床の領域や大脳皮質の新領域があります。視床の新領域の形成に重要な遺伝子を見つけて、それを過剰に発現させたり発現を抑えたりすることで、そこと連絡する大脳皮質の新領域のでき方にどのような影響が出るのか、調べてみたいと考えています。そのような遺伝子操作はとても難しいのですが、実験手法の確立を進めているところです。そして、そのような実験により、視床からの新しい情報の入力により大脳皮質に新領域がつくられた、という仮説を検証していく計画です。

■FIRSTプログラムに参加している意義

──このFIRSTプログラムでは、脳の進化とともに、ヒトの精神疾患を解明していくことも目標ですね。

下郡:霊長類やヒトになってできた大脳皮質の新領域が、私たちの心を生み出す重要な神経基盤になっていると考えられます。そして大脳皮質の新領域の形成に重要な遺伝子の変異が、精神疾患の原因になっている可能性があります。ただし、そのような遺伝子と精神疾患との関連を解明するには、私たちのチームだけでなく、マーモセットの遺伝子改変技術を開発している佐々木えりかTLや、マーセットの能力を評価する行動解析を行っている入來篤史TLたちとの連携が必要です。そのような連携ができるからこそ、このFIRSTプログラムに参加している意義があります。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)