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研究者インタビュー

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情報の整理・統合に重要なタンパク質から「注意」の機構に迫る 糸原重美チームリーダーに聞く

理化学研究所 脳科学総合研究センターの糸原重美チームリーダー(TL)たちは2000年、脳の神経細胞で働くタンパク質、ネトリンG1とG2を発見しました。これらのタンパク質は、情報の整理・統合に重要だと考えられます。糸原TLたちは、ネトリンG1やG2の遺伝子を欠損させたマウスの行動を解析することで、心の重要な要素である「注意」の機構を探っています。

情報の種類によって樹状突起を区画化するネトリンG1とG2

ほかの神経細胞から情報を受け取る樹状突起の模式図。海馬の神経細胞では、樹状突起の先端部は知覚情報を伝える神経細胞からの軸索がネトリンG1を発現してNGL-1を引き寄せて結合。樹状突起の根元では、同じ海馬内部の神経細胞からの軸索がネトリンG2を発現してNGL-2を引き寄せて結合している。

2007年9月4日理研プレスリリース
「2組のタンパク質のペアが脳の神経回路を“区画化”していることを発見」より


■情報の整理・統合に重要なネトリンG1とG2を発見

──マウスを使って、心を生み出す神経回路の研究をされているそうですね。

糸原:「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがありますが、自然科学の観点からも洞察に富んだ言葉だと思います。脳の神経回路の働きによって心が生み出されていると考えると、ヒトや霊長類だけでなく、脳を持つさまざまな動物に心の一端が備わっているはずです。その心の一端を生み出す神経回路の仕組みを探るために、遺伝子を操作する実験が比較的容易な哺乳類であるマウスを用いて研究を進めています。

──どのような方法で、神経回路の仕組みを研究しているのですか。

糸原:「神経回路の働きには、神経細胞の膜タンパク質が重要だと考えました。膜タンパク質は細胞膜に埋め込まれていて、細胞外から物質や情報を受け取ったり、ほかの細胞と結合する役目をします。私たちは、神経細胞で働く膜タンパク質を網羅的に探る研究を行い、ネトリンG1とG2を2000年に発見しました。それらは生物進化の中で、脊椎動物になって初めて現れたタンパク質です。そして、それぞれが脳の異なった領域の神経細胞で働いていることが大きな特徴です。例えば、視床という場所の神経細胞はネトリンG1だけが発現し、G2は発現していません。逆に大脳皮質の神経細胞ではネトリンG2だけが発現し、G1は発現していません。このような発現の仕方をする膜タンパク質が、脊椎動物の神経回路の仕組みに重要な役割を果たしているはずだと考え、ネトリンG1とG2の働きを調べる研究を進めました。

──ネトリンG1とG2は、神経細胞の中のどこで働いているのですか。

糸原:「神経細胞は軸索という長い突起をほかの神経細胞へ伸ばして情報を伝えます。ネトリンG1とG2はいずれも、軸索の細胞膜に存在しています。一方、神経細胞は樹状突起という短い突起を四方八方に伸ばして、数百〜数万個ものほかの神経細胞から伸びる軸索と結合して情報を受け取ります。その樹状突起の細胞膜には、ネトリンG1と結合するNGL-1、ネトリンG2と結合するNGL-2という受容体があります。
 例えば、記憶に重要な海馬の神経細胞では、樹状突起の先端部で、嗅覚や視覚など記憶の手掛かりとなる知覚情報を伝える神経細胞からの軸索がネトリンG1を発現してNGL-1を引き寄せて結合。樹状突起の根元では、同じ海馬内部にある神経細胞からの軸索がネトリンG2を発現してNGL-2を引き寄せて結合しています(図)。
 ネトリンG1とG2の働きにより、情報の種類によって樹状突起が区画化されているのです。それにより、多数の神経細胞から受け取る膨大な情報の整理・統合が行われていると考えられます。そして、このような仕組みが高度な脳機能に重要だと予想されます。

■「注意」の機構を探る

──ネトリンG1とG2は、どのような脳機能と関係しているのですか。

糸原:「私たちは、ネトリンG1やG2の遺伝子を欠損させたマウスの行動を解析することで、脳機能との関係を調べています。ネトリンG1の遺伝子を欠損させたマウスは、不安を感じにくくなったり衝動的な行動が増えます。一方、ネトリンG2を欠損させたマウスは、攻撃性が高まったり記憶や学習がうまくできなくなります。

──ネトリンG1やG2は、何らかの精神疾患とも関係しているのでしょうか。

糸原:特定の精神疾患というより、統合失調症や双極性障害(そううつ病)、自閉症など複数の精神疾患に関与している可能性があります。精神疾患は神経回路の不全が原因だと考えられます。ネトリンG1やG2のようなタンパク質を手掛かりに個々の神経回路の機能を解明することで、心を生み出す神経回路を探るとともに、精神疾患の解明や克服にも貢献できるはずです。
 ネトリンG1やG2は、特に「注意」の機構で重要な役割を果たしている、と私は予測しています。注意には二つの側面があります。一つは、情報を取捨選択して特定の物事に注目すること。もう一つは、速やかに行動したり適切な時期まで待つといった時間軸のコントロールです。ネトリンG1やG2が働かなくなると、情報を適切に取捨選択できず警戒すべき情報に注意を払うことができなくなり不安を感じにくくなるのかもしれません。また、適切な時期まで待つという時間軸のコントロールができなくなることで、衝動的な行動が増えると考えられます。
 私たちは、そのような注意に関わる神経回路を探るために、脳の特定の部位だけでネトリンG1やG2の遺伝子を欠損させたマウスをつくり、その行動を解析しています。そのような実験により、特定部位の神経回路や神経細胞群と、注意との関係を調べています。

──ネトリンG1やG2の働きに異常があると、外部からの知覚情報と脳内からの情報の整理・統合がうまくいかなくなり、幻聴が聞こえたりするのでしょうか。

糸原:その可能性はあると思います。幻聴など実験的に分析が難しい現象も、ネトリンG1やG2を手掛かりにしたマウスの実験により、何らかの知見が得られると期待しています。

■研究ほど素晴らしい仕事はない

──高校生のころから研究者を志望していたのですか。

糸原:もともと物理に興味がありました。しかし私の高校時代はちょうど70年安保のころで、自然科学よりも社会科学に興味が移り、大学進学の意義についても疑問を持つようになりました。そんな私のところに、担任の先生がわざわざ自宅まで訪れ、進学を勧めてくださいました。それがきっかけで受験勉強を始め、獣医学部へ進学しました。獣医師として社会に貢献しようと思ったのです。やがて研究室に入り実験に携わるようになると、研究にやり甲斐を感じ、研究者を志望するようになりました。

──研究の魅力とは?

糸原:世界で最初に何かを発見したり、新しい考え方を提唱できるところですね。ネトリンG1とG2を発見したときも、これは重要なタンパク質に違いないと直観し、とてもわくわくしました。研究ほど素晴らしい仕事はないと思います。

──最後に、脳科学に興味に持つ高校生にアドバイスをください。

糸原:理科だけでなく、国語と数学をよく勉強しておくべきですね。研究者として人を説得したり新しい考え方を発信するには、言語力が欠かせません。また脳の解明には、実験とともに数学に基づく理論的な研究が必要です。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)