ホーム > 研究者インタビュー

研究者インタビュー

|第6回|第5回第4回第3回第2回第1回

“顔細胞”はなぜ顔に反応できるのか
谷藤 学チームリーダーに聞く

脳はどのような仕組みで高度な情報処理を行っているのか。これまでの脳研究により、脳のある領域の神経細胞がどのような機能に関係しているのかが調べられてきました。例えば、視覚情報を処理する場所はいくつかの領域に分かれ、線のような単純なものから複雑な図形に反応するものまで、さまざまな神経細胞が見つかっています。複雑な図形に反応する神経細胞が集まった領域には、顔に反応する“顔細胞”も発見されています。では、単純なものに反応する神経細胞の情報がどのように統合され、情報が変換されて、顔のような複雑な図形に反応することができるのか。谷藤 学チームリーダー(TL)たちは、神経細胞の活動をコントロールするオプトジェネティクスと、神経細胞群の活動を捉える光イメージング法を組み合わせた独自の手法をFIRSTプログラムにおいて確立し、その仕組みを解明しようとしています。

■現在の脳科学には答えられない質問

──顔細胞とは、どのような細胞ですか。

谷藤:顔に反応する神経細胞です。私たちは、知人の顔であれば、視野のどこにあってもその人だと分かりますよね。それは、脳に顔細胞があるからです。しかし、「なぜ顔細胞は顔に反応できるのですか」という質問には、私たち脳科学者はまだ答えることができません。
 それは顔細胞に限りません。これまでの脳研究により、脳のどの領域がどのような機能に関係しているのか調べる研究が行われ、複雑な運動の計画や、言葉の理解・発話、やる気、感情のコントロールなど、心を生み出す神経基盤を構成する高度な情報処理に関係する領域も分かってきました。しかし、それぞれの領域が、どのような神経回路によって高度な情報処理を実現しているのか、その仕組みは分かっていないのです。現在の脳科学は、「空は青い」ということは分かっても、「なぜ空が青いのか」という質問には答えられないような状況です。

──なぜ、そのような質問に答えることが難しいのですか。

谷藤:そもそも、脳の中でどの神経細胞同士が連結してペアをつくり情報をやりとりしているのか、よく分かっていません。ヒトの脳は大脳皮質だけでも150億個以上の神経細胞が複雑なネットワークをつくっているため、連結している神経細胞のペアを見つけることはとても難しいのです。
 顔細胞を例に説明しましょう。TE(下側頭葉皮質前部)という領域の神経細胞は複雑な図形に反応します。顔細胞はそこにあります。TEへはTEO(下側頭葉皮質後部)の神経細胞が突起を伸ばして情報を送っています。TEOは目や鼻、口など部分的な図形特徴に反応する神経細胞が集まっています。

──目や鼻、口に反応する神経細胞からの情報が顔細胞へ集まることで、顔細胞は顔に反応できるのですか。

谷藤:それほど単純ではないのです。TEOのそれぞれの神経細胞は、視野の特定位置の図形にだけ反応します。例えば、視野に右下にある鼻にだけ反応する神経細胞があります。一方、TEの顔細胞は視野のどこに顔があっても反応します。もし、視野のさまざまな位置の目や鼻、口に反応するTEOの神経細胞が、TEの顔細胞へ情報を送ることで顔に反応するという単純な仕組みならば、視野の右上の口と、右下の目と、左下の鼻に反応する神経細胞が同時に顔細胞へ情報を送ったときも、顔細胞は反応するはずです。でも、そんな図形は顔ではありません。TEOからの情報が統合され、何からの形で情報が変換されることで、顔細胞は反応するはずです。その仕組みはまったく分かっていないのです。

■オプトジェネティクス─光イメージング法で謎を解く

──その仕組みをどのように解明しようとしているのですか。

谷藤:私たちのチームでは、マカク属サルを用いてTEOの特定の神経細胞を活動あるいは抑制したときに、そこから情報を受け取るTEの神経細胞群がどのように反応するのかを調べることのできる新しい手法「オプトジェネティクス─光イメージング法」(図)をFIRSTプログラムにおいて確立し、顔細胞の仕組みを解明することを目指しています。

──オプトジェネティクスとは?

谷藤:チャネルロドプシンというタンパク質を神経細胞に発現させ、ある波長の光を当てると、その神経細胞を活動させることができます。逆にハルロドプシンというタンパク質を発現させて別の波長の光を当てると、活動を抑制することができます。
 私たちは、遺伝子の運び屋であるウィルスベクターを用いてサルのTEの神経細胞にチャネルロドプシンやハルロドプシンの遺伝子を導入する計画です。ただし、神経細胞の長い突起にもチャネルロドプシンやハルロドプシンが発現すると、光を当てたときに、どこの神経細胞をコントロールしたのかが分からなくなります。現在、細胞体でだけチャネルロドプシンやハルロドプシンを発現させる実験を行っているところです。
 一方、光イメージング法は、光を当てたときの吸収の違いなどで、活動している神経細胞群を捉える手法です。TEでは似た図形特徴に反応する神経細胞が直径0.5mmほどの円柱形のコラム構造をつくっています。光イメージング法はコラムを見分けることのできる高い分解能で活動を捉えることができます。ただし、オプトジェネティクスでTEOを操作したときのTEの反応は微弱なので、それを捉えるための工学的な改良を進めています。

──TEOのどこの神経細胞を活動させれば、TEの顔細胞が反応するのか、予測しているのですか。

谷藤:いいえ、そのような予測はありません。まず、TEOのある神経細胞を活動させたときにTEのどこが反応するのか、連結している神経細胞のペアを調べます。さらに、サルに鼻や目だけを見せたときにTEOのどこの神経細胞が活動するのか、TEOのある神経細胞を活動あるいは抑制したときに、TEの反応パターンがどのように変化するのかなど、さまざまな実験を行うことで顔細胞の仕組みを探っていく計画です。
 このような領域間の活動の対応関係を探る手法は、まったく新しいものです。この手法は顔細胞だけでなく、脳のさまざまな機能の仕組みを解明する強力な手段となるはずです。

■分からないことを、分かるようにする

──高校生のころから脳に興味があったのですか。

谷藤:あまり、なかったかもしれません。これはなぜだろう、「なぜ空は青いのだろう」と、さまざまなことに疑問を持つ子どもでした。私は、分からないことを、分かるようにすることが好きなんです。その対象は脳でなくてもいいのです。私が脳科学を続けてきたのは、脳には分からないことがたくさんあって、楽しいからです。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)