理研BSIニュース No.26(2004年11月号)

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日本でうまくやっていくには:ガイコクジン物語

神経遺伝研究チーム
テクニカルスタッフ Baljinder Singh


誰かの言葉に、「人生とは、忙しい時にかぎって予期せぬことが起こるものだ」というのがある。この言葉は、マレーシアで育ち、ニュージーランドやカナダ、バルバドス、米国やシンガポールなどのそれぞれ離れた場所で生活、勉強、研究そして仕事を行ってきた私自身の体験を言い当てているように感じられる。私はどこにいても明確な計画を立ててはいたが、いざという時々において、家族関係や経済的さらには地政学的な問題や圧力から本来の道から逸らされてしまうことがあった。日本人の由理と結婚したことで、由理の両親の近くに留まるためここ日本に住むという決断に至ったことも、驚くには値しないことだと言える。


私は、「日本人と結婚するなら、『日本語』に堪能でなければならない」という話は、それなりにうなずけることだと思うが、私の場合は、この人々に広く言われてはいるけれども間違った考えを正すことになるはずだ……。


私の日本語能力(または不能力!)は未だ上達途上にすぎない。私はたくさんの文や単語を受動的に聞き覚えてはいるが、妻は、私が慣用的な日本語を使うことを手放しでは喜んではいないようだ。特に私はこれからお話しするように、害が無かったとはいえない結果に至ってしまった混乱を引き起こしてきたからだ。


BSIでの仕事を始めるにあたり、私たちは自転車で通勤のできる光が丘(東京都)に引っ越してきた。今年の1月のある夜、私は風邪をひいていたのでタクシーで帰宅することにした。運転手は理研キャンパスから出るには西門に行けばいいと間違えて思い込んでいたため、私は日本語で「駄目だ」と言おうとした。しかし運の悪いことに、私は「駄目だ」と「黙れ」とを混同していたため、「黙れ」と言ってしまったのだ。運転手は混乱して「すみません?」と聞き返したので、私は「黙れ」を繰り返すことにし、その説明として英語で「そっちには道がないです」という言葉を付け加えた。車内の空気は目に見えるほど凍りつき、私の家にたどり着いた時には運転手が不機嫌な顔つきになっていたのに気がついてはいたが、その時には身体の具合が悪すぎたために心配する余裕はなかった。しかし、数日後になって私のものすごい無作法に気がついた時、私は大いなる後悔を覚えることになったのである。


私たちは最近、由理の両親の家に近い橋本地区(東京都下)に引っ越したが、そのために私は毎日往復4時間の通勤に耐えなければならなくなった。これは、時には超攻撃的な『おばちゃん』たちとの小競り合い(これは必ずアドレナリン分泌を引き起こす方法だ)やその他の厄介な苦境によって、元気なんかどこかに吹き飛んでしまうほどである。


数カ月前、私が相当に混んだ電車に乗っていた時、明大前駅で大勢の通勤客が一様に疲れた様子で乗車してきて、車内は完全なすし詰め状態になった。電車が駅を発車すると、私の右にいた若い女性が突然振り向いて、明らかに迷惑!と言わんばかりに見下したような目つきで私をにらみつけた。なぜかはわからないが、私は彼女の顔色に怒りを素早く読み取って一種の生存本能のようなものに一瞬駆られ、電車の天井にしっかり固定されていた私の両手の方に眼を上げた(手が長いことは時には便利なこともある)。これを見た彼女の顔はうろたえたようになり、自分のお尻の方に眼を向けた。そこには、見るからに小柄な老女が、乗客の鞄や腕や肩の林の間にほとんど隠れていたのである。老女は、揺れる電車の中で小さな身体を支えるため、若い女性のジーンズのお尻に両手で必死にしがみついていたのだ。若い女性の表情豊かな顔は判読不能なものに変わり、私の方に向けられた。しかし私は調子に乗らないように決め、私の無実を強調するため天井にある両手に向かって再び視線を上げ、彼女にとっての緊急事態は彼女にまかせることにした。私は、あの状況を言葉で切り抜けなければならなかったらと思うとぞっとする。『黙れ』と『駄目だ』のようなへまをしていたら、おとなしく大目に見てもらえたかどうかは疑わしいからだ。


ボディーランゲージは素晴らしいものかもしれないが、私としては『日本語』ももっと勉強したほうが良さそうだと思う。


筆者(左)と由理夫人

筆者(左)と由理夫人



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