背景
脳神経系を構成する細胞は、主に神経細胞とグリア細胞です。アストロサイト※1はグリア細胞の中では最も数が多く、神経細胞の周囲にあって、神経細胞を養っていると考えられています。最近になり、神経細胞が未熟な状態から分化・成熟して、神経細胞同士が結合するシナプス形成過程でのアストロサイトの関与が議論されるようになりました。神経細胞を、単独で培養する場合より、アストロサイトを混ぜた場合の方が、より効率の高いシナプス形成が認められるのです。アストロサイトから神経細胞に向かう因子 (アストロサイトが神経細胞に働きかけてシナプス形成を指令するもの)が何なのかが問題になってきています。
こうした因子は2種類あると考えられています(図1)。特に、アストロサイトの培養液中からシナプス形成を促す「液性因子」を見出そうとする研究がさかんに行われています。これまで、アストロサイトが分泌するコレステロールなどが候補として注目されてきました。一方、アストロサイトが神経細胞の細胞膜上に接着してシナプス形成を進める「接着因子」については、あまり踏み込んだ研究がされていない状況でした。液性因子の探索は、培養した神経細胞に因子となる物質を混ぜる、いわゆる「ふりかけ実験」で行えるのに対して、接着因子の研究は、しっかり隔離した神経細胞にアストロサイトが絡んでいく様を何時間にもわたって根気よく観察する実験が要求されるためです。研究グループでは、細胞の形態や機能をイメージする技術を開発しており、それらを駆使して神経―アストロサイトの相互作用(接着)を解析する研究プロジェクトを立ち上げました。
研究手法と成果
研究グループは、ラット海馬に由来する未分化な神経細胞を個別に培養し、アストロサイトの接着効果を解析するためのシステムを構築しました(図2)。寒天でコートしたカバーガラスの上に、ポリリジンとコラーゲンから成る、細胞の足場を島状に並べます。ディッシュ(培養皿)の一部にはアストロサイトが培養され、培養液はアストロサイトが分泌する液性因子によって飽和するようにします。
この培養皿に入れる神経細胞の数を厳密に調節すると、一個の島の上に一個の神経細胞を生育させることができます。これにより液性因子(+)と接着因子 (-)の状態が得られます。一方、こうした神経細胞にアストロサイトを慎重に載せて接着させたまま培養すると、液性因子(+)・接着因子(+)の状態ができあがります。これら2つの状態間の神経のシナプス形成を比較して、神経細胞の成熟におけるグリア細胞の液性因子と接着因子の役割を解析しました。
その結果、アストロサイトの接着を受けた神経細胞では、細胞全体でシナプス形成の著しい促進(液性因子(+)・接着因子(-)と比較して5~6倍)が起こることを発見しました(図3)。すなわち、シナプスが十分に形成されるためには、アストロサイト由来の液性因子のみでは不十分でアストロサイト由来の接着因子が必要であることが示されました。その接着には、神経細胞の側のインテグリン※2と呼ばれる蛋白質が関与することがわかりました。
また、1~2日間にわたるイメージング実験から、アストロサイトが接着する範囲は神経細胞のある部分に限定されることも解明されました。そこで、局所的な接着から神経細胞全体に拡がるシナプス形成現象の裏に潜む分子メカニズムを探ったところ、不飽和脂肪酸によって活性化されるプロテインキナーゼC※3が必要かつ十分に働いていることが証明されました(図4)。
今後の期待
神経細胞は、周りの神経細胞と特異的なシナプスを形成し、コミュニケーションを行って初めて「一人前(成熟した)」とされます。再生医療の領域では、神経幹細胞を移植して脳神経系の疾病を治療することが計画されていますが、「導入された未分化な神経細胞において、いかにシナプス形成を誘導して成熟させるか」が問題になってくると思われます。アストロサイトの接着による効果、および接着によって起こる細胞内のシグナル伝達機構に関する今回の研究成果は、今後の脳治療研究に基礎的な指針を与えるものとして期待されます。