理化学研究所 脳科学総合研究センター(理研BSI)
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脳科学の人 研究者インタビュー

20年前の私自然を学んだ横手での経験

自然科学を志すにあたり、もっとも影響を受けたのは秋田県横手市に住んだ経験だと思います。父親の仕事の関係で住んでいた大阪から引っ越したのですが、それまで自分が知っていた世界はほんの一部に過ぎず、まだまだ知らないことがたくさんあるのだ、と子供ながらに実感したことをはっきり覚えています。

山と川のある町・横手
山と川のある町・横手

花も草も木も虫も、それまで見たことのないものがたくさんあって本当に楽しかった。桑やアケビの実も普通にその辺りに生えていて学校帰りによく食べましたし、オニヤンマやゲンゴロウ、カミキリムシやカタツムリもそれまで知っていたものと同じとは思えないくらい大きかった。住んでいた場所のすぐ横が小川で、夏は大量の蛍が舞っていました。その向こうにオオヨシキリが巣を作るススキの草原があったのですが、そこにカッコウがやってくるのを、「今まさに托卵しに来てるのか!」と窓から眺めたりしていました。夏は短くてジーーーと鳴くセミ(アブラゼミ)がおらず、寂しく感じたことも覚えています。

横手市記念館で、7歳
横手市記念館で、7歳

日本でも有数の豪雪地帯なので、冬は根雪で完全に大地が覆われて一面真っ白。雪印のマークが本当に降ってくる雪の形なのだと知ったのもこの時です。どう人間がもがいてもあがいても、冬は長いし雪は降り積もり世界は閉ざされる。どうにもならないことがある、ということも秋田県で幼少期に体感したことの一つです。そして、その鬱々とした冬が終わり春が来た時の、あふれるような喜びと解放感。根雪が解けていくのと同時に草木が芽生え花が咲き乱れ、世界が春を祝福しているかの如くでした。

憧れの人キュリー夫人

高校入試の時に憧れについて書けという小論文があって、そこにキュリー夫人と書いた記憶があります。数学をやり続けて疲れたら気分転換に物理をやり、それも疲れたら数学に戻る、という研究姿勢は、数学と物理のどちらも苦手な私からいうと苦行ですが、彼女にとっては至福の時だったのでしょうね。

好きだった教科一番楽しかったのは地理

中学までは、美術や音楽など副教科も含めてだいたい全部得意でした。でも高校では英語と数学・物理が苦手で困りました。今でもそれを引きずっています。国語と物理以外の理科は得意でしたが、一番楽しかったのは地理でした。そういえば、地理で扱われるデータはまだソビエト連邦のものでしたね(笑)。余談ですが、中学や高校で使われる副教材の資料集が、国語も理科も地理もとても面白かった。教科書は捨ててしまいましたが、資料集は実家にまだとってあると思います。

脳科学の面白さ感情の理由を知ることができる

自分の内側から湧き出る感情の理由を知ることができる、これに尽きると思います。例えば、くじ引きで当たりを引き何かもらえることを知っていたとする。なのに、実際の景品を見たら本当につまらないものだったのでがっかりした。この時、私は落胆しながら「ああ、私の手綱核が今まさに興奮しているんだろうなぁ…」と思っています。というのは、報酬を予測したもののその期待が外れた時に手綱核の神経細胞が激しく活動することがわかっているからです。

研究に没頭すると時間はあっという間!
研究に没頭すると時間はあっという間!

普通に生きている時に、自分の感情がなぜ起こるのか、考える機会はあまりないと思います。しかし、何気ない行動や感情も、脳の神経細胞の活動で引き起こされた結果、現われたものなのです。それを客観視できること、自分の中で何が起こっているのかを知ることができること、これが脳科学の醍醐味だと思います。

ところで、マウスの行動を観察していると、つい笑ってしまうようなことがしばしばあります。悔しそうに地団駄を踏んだり、得意気に振舞ったりしているような仕草はよく見られます。見慣れないものを怖がりつつ気になって近寄りとうとうなめてみたらまずかった、という時は、しまった!まずい!!とでも言っているかのような表情をします。高校生くらいの年齢に当たるオスマウスのケージに間違えて女子高生くらいのメスマウスを入れてしまった時は、オスがメスに気がついて盛り上がったものの、幼いのでどうメスにアピールしていいのかわからず、全てのオスがとにかくむやみやたらにピョンピョン跳ねていました。すぐにメスマウスを救出したのですが、オスマウスたちは途端にがっかりしていました。こういった動物の可愛らしい行動を観察できるのも、脳科学の醍醐味かもしれません(笑)。

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